百四十三話 別視点――リール・ド・コモン男爵 その三
時間は戻り、ふたたび男爵視点。
「すべては男爵のせいだ。やつがみなを苦しめている元凶だ」
「ほんとうにあった。城の地下には魔法陣があったんだ」
「魔物もいたぞ! ヨダレをたらし、こちらを威嚇してきやがった」
おしよせる民衆は、口々に叫ぶ。
「くそっ! どけ!!」
こうしてはいられない。
男爵は目の前の冒険者ふたりを押しのけると、屋敷へと急ぐ。
「おいおい、乱暴だな」
「ふふふ」
冒険者どもの態度がなんとも腹立たしいが、相手にしているヒマなどない。
ツタが巻くパーゴラをくぐり、レンガの小道を抜けていく。
「いたぞ! あそこだ!!」
ボロ布を顔に巻いた男が、こちらを指さす。
見つかった。急げ、急げ、急げ。
男爵は必至で足をうごかす。玄関まで、あともう少し。
「男爵様。早く中へ」
いつのまにやらセバスチャンが先行しており、扉を開いて待っていた。
でかした!
男爵は足をもつれさせながらも、中へと飛び込んだ。
カチャリ。
すぐさまセバスチャンが施錠する。
間一髪、民衆が扉をたたく音がした。
「ここを開けろ!」
「説明しろ! あの魔法陣はなんだ!!」
「私たちも生贄にするつもりね。そうはさせない!」
怒号のなかには意味不明なものも混じっている。
これだから民衆というのは……。
だが、その圧はすさまじい。扉も壁もお構いなしに叩いているようで、屋敷全体がグラグラと揺れていた。
「破られるのも時間の問題ですな」
のんきな声のセバスチャン。
男爵はカッと頭に血が上るのを感じた。
「あの納屋は、いったいぜんたいどういうことだ!」
お前がうなずいたから、やつらを納屋へと案内したのだ。
これでは、まるで話がちがうではないか!
怒鳴り声をあげる男爵。
しかし、セバスチャンは、はて? と首をかしげる。
「食料……ですな」
「そんなことはわかっておる! なぜあそこにあんなものがあるのかと聞いておるのだ!!」
ふざけおって!
庭の管理はキサマの役目ではないのか。
それがなんたる体たらく。おかげですべてが台無しではないか!!
男爵のボルテージはさらに上がる。
「天からの恵みでしょうな」
「なにぃ!?」
「降ってわいた食料。これで、飢えをしのげるというもの。あ、そうそう。木箱には酒もあったそうで。それはそれは真っ赤なワインが」
「キサマ~」
男爵はステッキで叩いてやりたい衝動に駆られた。だが、すんでのところで思いとどまる。
いま頼れるのはセバスチャンだけなのだ。やりすぎれば、おのれの命を縮めることになりかねない。
なんといまいましいことか。
男爵はセバスチャンを睨みつけるにとどめた。
「リールく~ん。大変なことになっちゃったね」
そのとき、なにやら声がした。
見れば二階へとつづく階段の先、こちらを覗き込むように見下ろす誰かがいる。
顔はボロ布で覆われよく見えないものの、リール・ド・コモン男爵にはピンとくるものがあった。
「キ、キサマ、召喚士か!」
以前、目の前を飛び跳ねるように逃げていった召喚士。
セバスチャンをも振り切り、いずこかへ去ったあの――。
「ありゃ!? もうバレちゃった? こっちは想定よりはやいなあ」
男はシュルリとボロ布をはずす。
男爵の言葉どうり、召喚士エムの顔が現れるのであった。
「ぜんぶキサマの仕業か!」
「うん、さすがリール君。話がはやくて助かるよ」
この男がぜんぶ後ろで手をひいていたのだ。
あの木箱を用意し、冒険者を仕込んで、兵士や住民をけしかけたのだ。
「よくも、よくも、よくも」
「大変だったんだよ~。納屋にいっぱい運んでさ。それから、みんなにも配ってあげたんだ。リール君のとこから持ってきましたよ~って」
おのれ~。
男爵はくちびるを噛む。じわりと赤い血がにじんだ。
「あとね。城の地下牢、殺風景だったんで絵を書いてあげたんだよ。魔法陣、ってやつ? ほいで魔物も入れといてあげた。囚人もいなかったんで、さみしいかなーと思って」
「なんだと!」
「街の人驚いてたね~。自分たちを苦しめている魔物は、じつは男爵が呼びだしていただなんて」
ばかな!!
では、あの民衆の意味不明の言葉。あれは……
「つかまったら、ひき肉にされちゃうんじゃない? なにせ囚人を生贄に召喚したと思ってるみたいだったし。必死になるよね~。そのうち自分も生贄にされちゃうかもって」
「くうぅ~、この外道が!」
「いやいや、このやり方はリール君が教えてくれたんだよ。精霊が消えた理由を俺に押しつけて~。だから今度はリール君の番。因果応報ってやつだね~」
おのれ、おのれ、オノレ~!!
「セバスチャン! こやつを殺せ!」
男爵は召喚士を指さす。
おまえを八つ裂きにして、さらし首にしてくれるわ!
今ならまだ巻き返せる。
おまえが持ってきた食料があるからな!
ノコノコ姿を現しよってからに。
すべてを奪って、すべてを押しつけてくれる!!
ところが、セバスチャンの答えは――
「ムリですな」
「なんだと!」
よもやの答えに男爵はとまどう。
「き、きさま。わたしの命に逆らうか!!」
「ふふふ、そんなものを聞くいわれなど、わたしにはありませんな」
「何を言うか! セバスチャン、お前はわたしに仕える身。男爵家の執事ではないか!!」
「セバスチャン? はて、それはいったい誰のことでしょう?」
セバスチャンの顔がぐにゃりと歪んだ。
口は裂け、目はつりあがる。
明らかに人間ではないその姿に、男爵は絶句するのであった。