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前世社畜の令嬢、『複式簿記』で没落領地を即黒字化!〜冷徹補佐官と最強の仕事中毒パートナーになり極上ハーブ茶で王都席巻〜  作者: 黒崎隼人


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第7話「車輪の軋みと、反撃の算段」

 荷馬車の車輪が轍に嵌まり、激しい振動が背骨を打ち据える。

 薄暗い幌の中で、アリアは手すりを強く握りしめ、胃の腑から込み上げる吐き気を飲み込んだ。

 窓枠の隙間から吹き込む風は土埃の匂いを孕み、容赦なく喉の粘膜を乾燥させていく。

 王都へ向かう主要街道は、奇妙なほど静まり返っていた。

 本来ならすれ違うはずの行商人や旅人の姿は影を潜め、車輪の軋む音だけが荒野に虚しく響き渡る。


「やはり、封鎖されていますね」


 向かいの席で、ルークが折り畳まれた地図を膝の上に広げた。

 彼の銀縁眼鏡が、差し込むわずかな陽光を鋭く反射する。

 その視線は地図上の赤い線の交点、ローズ領と王都を繋ぐ関所を冷ややかに見据えていた。


「先ほどの宿場町でも、ローズ家の紋章を見た途端に扉を閉ざされました。ダート子爵の手回しは、予想以上に徹底しているようです」


「輸送ギルドに圧力をかけて、私たちの荷を運ばせないだけじゃないのね。物理的に足を止めようというわけ」


 アリアは乾いた唇を舌で湿らせ、膝の上の鞄を引き寄せた。

 中には、新商品の契約書と、王都の商会との取引記録が束になって収められている。

 ダート子爵の狙いは明確だ。

 ローズ領の特産品を完全に孤立させ、在庫の山に埋もれて資金繰りがショートするのを待つ。

 そして、アリアたちが首を縦に振らざるを得ない状況にまで追い詰める算段だ。


「王都のパレルモ商会との約束は明日の昼よ。このままの速度では間に合わないわ」


「陸路に固執すれば、関所で理由のない足止めを食うのは明白です。ダート家の息のかかった衛兵が、荷の検閲と称して数日は留め置くでしょう」


 ルークは地図を指先でなぞり、ある一点で止めた。


「水路を使いましょう」


「水路?」


 アリアが身を乗り出すと、ルークの指は街道から大きく外れた、蛇行する青い線を示していた。

 王都の外れへ注ぎ込む、旧運河の跡だ。


「かつて木材の輸送に使われていたルートですが、水流が不安定で、現在はほとんどの商船が敬遠しています。ダート子爵の監視網も、ここまでは及んでいないはずです」


「でも、船はどうするの。輸送ギルドが手を引いている状況で、誰が私たちを乗せてくれるっていうのよ」


「あてはあります」


 ルークは懐から一枚の銀貨を取り出し、親指で高く弾いた。

 落ちてきたそれを手のひらで受け止め、冷たい光を放つ瞳でアリアを見つめる。


「合法的な組織が動かないのなら、非合法すれすれの人間を使えばいい。裏社会で生きる彼らは、権力よりも目の前の現金を信用します」


 アリアは息を呑んだ。

 彼の提案は、貴族令嬢の常識からすれば到底受け入れられない危険な賭けだ。

 だが、今のローズ領に正攻法で戦う猶予はない。


「……分かったわ。案内して。でも、交渉は私がやる」


「お嬢様が?」


 ルークの眉が微かに動く。


「相手はならず者ですよ。血の匂いと欲望で動く獣の群れだ。あなたのような温室育ちの貴族が対峙して、無事で済む相手ではない」


「温室育ちが、泥にまみれてハーブを育てたりするかしら」


 アリアはまっすぐに彼の目を見返した。


「ローズ領の当主代行として、私が直接話をつける。それが一番の誠意よ。数字と契約の重みなら、私もあなたに負けていないはずだわ」


 車内を満たす沈黙。

 車輪の振動が二人の身体を揺らす中、視線の交錯だけが火花を散らした。

 やがて、ルークが小さく息を吐き、視線を外す。


「……強情ですね。ですが、その無謀さが状況を打開する鍵になるのも事実です。交渉の席には私も同席します。危険と判断した瞬間、強硬手段に出ますのでそのつもりで」


「頼もしい護衛ね。よろしくお願いするわ」


 馬車は急激に進路を変え、未舗装の獣道へと突入していった。

 激しい揺れの中で、アリアはルークの腕に何度か肩をぶつけた。

 彼はそのたびに微かに身体を固くするが、決してアリアから距離を取ろうとはしなかった。


◆ ◆ ◆


 腐った魚とタールの匂いが、鼻腔を容赦なく突く。

 旧運河の船着き場は、王都の華やかさとは無縁の吹き溜まりだった。

 朽ちかけた木製の桟橋には、無数の小さな船が係留され、薄汚れの外套を羽織った男たちが、鋭い視線をこちらに向けている。

 アリアはブーツの裏でぬかるんだ土を踏みしめ、背筋を伸ばして歩みを進めた。

 隣を歩くルークの気配が、冷ややかなプレッシャーとなって周囲の男たちを牽制している。

 一番奥に停泊している、ひときわ大きな平底船。

 甲板で酒瓶を傾けていた大柄な男が、アリアたちの姿を認めて口の端を歪めた。


「おや、珍しい客だ。こんなドブ川に、香水の匂いをさせた貴族様が何用で」


 男の言葉には、あからさまな侮蔑が混じっている。

 アリアは立ち止まり、彼の目を見据えた。


「王都のパレルモ商会まで、荷と私たちを運んでほしいの」


 男は酒瓶を下ろし、大声で笑った。


「冗談だろう。俺たちはギルドの犬じゃねえ。ましてや、ダート子爵に睨まれているローズ家の荷なんて、疫病神と同じだ。どんなに金を積まれても断るね」


 やはり、情報は裏社会にも行き渡っている。

 アリアは鞄から皮袋を取り出し、甲板の上に無造作に放り投げた。

 重い金属音が響き、袋の口から金貨が数枚こぼれ落ちる。

 男の目の色が変わった。


「これは前金よ。無事に王都へ到着すれば、この三倍の額を支払うわ」


「……金持ちの道楽にしちゃ、随分と張るじゃねえか。だがな、俺たちの命の値段には足りねえ」


「足りないのなら、継続的な利益を約束するわ」


 アリアは男の言葉を遮り、一歩前に出た。


「私たちの特産品は、今、王都で飛ぶように売れている。ダート子爵がそれを独占しようとしているのが何よりの証拠よ。この運河ルートを、ローズ領の独占輸送路として契約する。あなたたちには、ギルドを通さない正規の運送業者としての地位と、売り上げの一定割合を保証するわ」


 男の表情から嘲笑が消え、真剣な値踏みの光が宿る。

 目の前の少女が、単なる世間知らずの貴族ではないことを悟ったのだ。


「……俺たちを、表舞台の商売に引き上げるって言うのか」


「ええ。日陰の仕事で一生を終えたいなら別だけれど。太陽の下で堂々と金を稼ぎたくない?」


 アリアの問いかけに、男は顎をさすりながら沈黙した。

 その背後で、ルークが静かに口を開く。


「お嬢様の提案は、決して絵空事ではありません。ダート子爵の包囲網は、王都の貴族社会の反感を買いつつあります。我々がこの水路を開拓し、特産品を安定供給できれば、子爵の経済的優位は崩れ去る。その時、真っ先に利益を得るのは、最も早く我々に味方した者です」


 ルークの低く響く声が、男の迷いを断ち切るように背中を押す。

 男はしばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがて甲板の上の皮袋を拾い上げた。


「……面白い。その話、乗ってやる。だが、道中何が起きても恨みっこなしだぜ」


「当然よ。よろしく頼むわ」


 アリアが手を差し出すと、男は汚れの染み付いた手でそれを強く握り返した。

 反撃の第一歩が、暗い水面の上で確かに刻まれた。

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