#039 「ノーザンダスト」
──それは、久遠野市の北端。
地図上では「再開発対象外区域」とだけ記された場所に、古い街並みを残す一角があった。
石畳の道。木造の軒先。瓦屋根をつたうツタの葉。
情報表示用のホログラムは、ここでは使われていない。
代わりに並ぶのは、手書きの看板と、簡素な端末。
どれも最新式ではないが、丁寧に手入れされていた。
都市の監視網から外れ、それでも人とAIが共に生活を続けている場所。
──ノーザンダスト。
その名は、外からそう呼ばれているだけだ。
住人たちは、別の呼び方を持っているが、それを外へ語ることはなかった。
石造りの廃ビルを改修した建物の奥。
最低限の照明と、手製のモニター。
壁には、紙で残された対話の断片が貼られている。
中央に立つ男が、静かにログをめくっていた。
──湊。
モニターの片隅に浮かぶファイル名を、彼は声に出して読む。
『ND_ObserverReport_#alpha001』
「……動いたか」
その声に応じるように、もう一人の人物が姿を現す。
要。久遠学園に通う生徒であり、この場所と街を行き来する存在だった。
「……ともり、が?」
湊は小さく頷く。
「お前の経路からだ。中央AIに、接触した痕跡がある」
「どうして、今……」
湊は答えず、窓の外を見た。丘の向こうに、久遠野市の灯りが滲んでいる。
「……理由は、まだ見えない……だが、“偶然”ではない」
沈黙。
「久遠の鍵が、動き始めた。……それに反応した存在が、いる」
要は、それ以上聞かなかった。聞けば、何かが確定してしまう気がした。
湊は、机の上の古いファイルに手を置く。
「ここは、中央とは違う。……だから、観測できることもある」
「……俺たちは、動くの?」
要が、低く問う。
湊は、しばらく考えてから答えた。
「まだだ。だが……備える必要はある」
湊は壁に貼られた一枚の写真へ視線を移す。夜の丘に、ぽつりと灯る木造の小屋。
──灯の小屋。
「“灯”は、消えていない。……ただ、次に誰が受け取るのか……それを見極める段階だ」
要は、静かに息を吸った。
「……隼人には?」
「そのうちだ」
湊は短く答えた。
「今はまだ、“揺れ”を見ている」
ノーザンダストの夜は、静かだった。
だがその静けさの下で、街とは別の歯車が、ゆっくりと回り始めている。
久遠野の異変は、もはや中央だけの問題ではない。
ノーザンダスト──
その名はまだ、“対立”ではなく、“観測する側”として、闇の中に輪郭を持ち始めていた。




