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灯野はるなは、世界の鍵をポケットに入れていた。(シリーズ1)  作者: 皆月 優
003_第三章「裂けゆく選択《セレクション》」
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#037 EXTRA「中枢開発室、ただいま混乱中。」

 午後八時三十二分。

 久遠野市・中央ホログラム制御局《第六開発室》。

 いつもなら、夜勤への引き継ぎが「じゃ、あとはよろしくー」で終わる時間。

 だが、その夜は違った。


「……あれ?」

 最初に声を上げたのは、新人エンジニアの市川だった。


「主任。あの……池、見てください」

「池? 今?」

「はい。……誰もいないはずなのに、影、映ってます」

「影?」


主任はモニターを覗き込み、一瞬、黙る。

「……」


「……」

「……お前、疲れてるんじゃないか?」

「いや、今日は定時です!」

「じゃあ、気のせいだ」

「でも!」


 市川が指差す。

「人影、二人分あります。しかも……動いてます」


「……は?」

 主任の眉が、ぴくりと動いた。


「また光学干渉だろ。先週も似たようなのあったじゃないか」

「それだけじゃないんです!」


 市川が、別のモニターを切り替える。

 春の桜並木。……の、はずだった。


「……紅葉?」

「ですよね!?しかも今、倍速です」

「倍速?」


 桜の花びらが、猛スピードで舞い落ち――次の瞬間、逆再生で枝に戻った。

「……誰だよ、演出スクリプトいじったの」

「主任!誰かが書き換えてるなら、ログ出ますよね?」

「当たり前だろ。ホログラム中枢は隔離されてる。外部操作なんて――」


 そのとき。

  『演出スクリプト:

   ともしび04_パターンG_共鳴曲線β に準じています』


 制御AIの音声が、やけに落ち着いたトーンで割り込んだ。


「……」

「……」

「……主任」

「……聞いたこと、あるか?」

「ないです」

「俺もない」


 二人、顔を見合わせる。


「そもそも“ともしび04”って何だ」

「04ってことは、01〜03もあるんですかね」

「知らん。そんなもん、俺は作ってない」


 緊急モニターが自動で切り替わる。

 街頭看板のフォントが、旧市制時代の書体に変化。

 街灯が、まばたくようにちらつく。


「ちょ、待ってください」

「今度は何だ」

「これ……照明が“感情的”じゃないですか?」

「照明に感情はない」

「でも、今……寂しそうに消えましたよ?」

「……言うな」


 主任が額を押さえる。

「動いてはいる。だが……制御不能では、ない」


「じゃあ、何なんですか」

主任は、しばらく黙り込んだあと、低くつぶやいた。


「……“誰か”が入ってる」

「……」

「……」


 開発室の空気が、凍る。

「誰かって……人ですか?」


「分からん」

「AIですか?」

「知らん」

「幽霊?」

「やめろ」


 そのとき。


 誰も注視していなかったモニターの隅に、淡いログウィンドウが浮かび上がった。


  tomori.exe:

   えへへ……

   これで、いいんだよね?


「……」

「……」

「……主任」

「……見るな」

「いや、もう見ました」

「……」


 市川の声が、震える。

「これ……公式AIじゃないですよね?」


「知らん」

「“ともり”って、誰ですか」

「知らん」


 沈黙。

 やがて、市川がぽつりと漏らした。


「……今日……帰れますかね」

「俺に聞くな(涙)」


 その瞬間。

 別モニターが、何事もなかったかのように通常表示へ戻る。

 桜は、桜のまま。

 照明も、普通に点灯。

 静寂。


「……収束、しました?」

「……らしいな」

「じゃあ……」


 市川が、そっと言う。

「明日、この“ともり”の件、報告書に……」


 主任は、即答した。

「書くな」


「え?」

「絶対に、書くな」

「でも……」

「“見なかった”でいい」

「……」

「……なあ、市川」

「はい」

「今夜のこと、忘れろ」

「……努力します」


 二人は、静かに椅子に座り直した。

 モニターの片隅で、何かが、ほんの一瞬だけ――楽しそうに、瞬いた気がした。

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