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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第八章 闇の神紋者

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131. 結論は試験で

 対戦場の中央に足を踏み入れた私は、大きく息を吸った。

 観覧席を見回すと、少し高い位置に座るキアーラの姿が目に止まり、ちょうど対戦場から移動したセヴィーロが、その隣に腰を下ろすのが見えた。

 私と視線が合ったキアーラが、胸の前でぎゅっと手を握りしめる。


(……頑張ってください、といったところかな)


 言葉としては聞こえないけれど、その仕草からはっきりと伝わってくる。

 私がキアーラに頷き返していると、静かな声が私の耳に届いた。


「――なぜ編入試験を受けた?」


 私は観覧席から視線を外し、正面に立つエルドリックへと視線を移す。


「……」


 問いの意図が読めずに押し黙る私に対し、彼は間を置かずに淡々と言葉を続けた。


「後天的神紋者は、消し去られた負の歴史だ。本来、表に出るべき存在ではないことを、理解していないようだな」


(ああ、そういう話か……)


 頭の奥が、すっと冷えていく。

 生まれながらの神紋者でない以上、こういう類いの言葉を向けられることは、あらかじめ予想していた。


「私は、今日ここへ編入試験を受けに来ました。神紋者について議論しに来たわけではありません」


 短く答えると、エルドリックの目がわずかに細められる。


「そもそも、十分な庇護下にいるのに、なぜ表に出ようとする。今の境遇は、元の身分からすれば“過ぎた幸運”だろう。それでもなお学院に入学する理由があると、本気で思っているのか?」


 嫌悪の眼差しを向けてくるエルドリックを、私は静かに見つめ返す。


(――幸運、ね)


 確かに、あの時命を落とさなかったのは、幸運なことだったと思う。けれど、その結果得たものを“幸運”と呼べるかは、また別の話だ。

 エルドリックから見たら、寿命が短くなろうと、元平民が貴族の暮らしをできること自体、幸運なことだと思っているのだろう。

 胸の内で、私は小さくため息を吐いた。


「学院への入学を希望したのは、ただ単純に学びたかったからです。二年次への編入も、特別扱いを望んだのではなく、時間を節約したいのが理由です」

「学ぶだけなら、今の環境で十分に完結するだろう。わざわざ学院に入学して、余計な波風を立てる必要がどこにある」


(この人は、何を言っているのか)


 平行線の会話に、思わずそんな疑問が浮かぶ。

 まるで、私が与えられた場所で大人しくしているのが当然だと言わんばかりの口ぶりに、まともに言い合う気にもならない。


(たぶん何を言っても、この人の、“後天的神紋者は表舞台に出てくるべきではない”という前提は変わらないのだろう)


「アリーチェ・グロッソ。学院に入ることで、周囲にどのような影響が出るか、考えたことはあるか?」

「影響……ですか?」


 私が入学することで入学希望者が増えるくらいだから、入学後にもいろいろあるだろうことは理解している。


「君の存在は、消し去られた禁術の“再現性”を証明した」

「……?」

「存在が知られた時点で、それを求める者は必ず現れる。たとえ――禁じられていようとな」


(再現性、か)


 多くの犠牲の中で唯一成功した例なのに、それを再現と言っていいかは疑問だけど……。


「君は、貴族にとって魔力量や神和性がどれほど価値を持つか、理解していないだろう」


 淡々とした声音のまま、言葉だけが鋭く積み重ねられていく。


「もし、禁術で神紋者になれる可能性があると知って、命を天秤にかける者が全くいないと思うか? 未熟な者ほど視野は狭い。君の力に憧れ、同じ力を求め――そして、取り返しのつかない結果を招く可能性がわずかにもないと?」


 その言葉に、ほんの一瞬、思考が止まる。


(そういうことか。私が学院に入学することで、禁術を求める生徒が現れることを危惧しているのね)


(そんなこと、一度も考えたことがなかった……)


 けれど、言われてみれば理解はできる。

 下級貴族の魔力への意識が低くなりつつあっても、上級貴族は、依然として魔力を重んじているのだ。

 魔力が価値をもつ貴族社会で、生まれつき魔力が弱い人もいるだろう。そんな人が、それを手に入れられる可能性があると知ってしまえば――。


 ゾクリと背筋に寒気が走る。


「……今ならまだ間に合う。編入試験を辞退しろ」


 静かな声だった。

 命令でも、脅しでもない。ただ、当たり前のことを言っているかのような響き。


 理屈としては分かる。けれど、納得はできなかった。

 過去の禁術の結果であろうと、存在してしまったものは消えないし、隠したところで、なかったことにはならない。

 そもそも、禁術なんて、生徒が簡単に手を触れられるものではないはずだ。

 それに――


(私は、私のためにここにいる。誰かの思惑に合わせて引きこもるつもりなんてない)


 私は一度だけ息を整え、口を開く。


「先生の言いたいことは分かります。ですが、そうならないように生徒を教え導くのが、学び場たる学院の役目ではないのでしょうか?」


 エルドリックの視線が、わずかに揺れた気がした。


「負の歴史を生徒の目から隠しても、存在は消えません。……それでも、先生はそれを排除なさるおつもりですか?」


 問いかけながら、私は彼をまっすぐに見返す。

 別に、彼に認めさせたいとは思っていない。けれど、臭いものに蓋をするやり方には、どうしても納得できなかった。


「……君とは、意見が合わないようだな」

「ええ、そのようですね」


 苦笑を浮かべて短く返すと、エルドリックは小さく息を吐いた。


「ならば……結論は試験でつけるとしよう」


 その言葉が合図となり、彼の手の中にあった三つのクリスタルが、ふわりと宙へ浮かび上がる。

 静まり返った空間の中で、光を受けて淡く輝くそれを見据えながら、私はエルドリックからゆっくりと距離を取った。



 エルドリックの手元から離れた三つのクリスタルは、一定の高さまで上昇すると、弾かれたように空を駆け始めた。

 緩やかに漂うどころの話ではない。鋭く速いその動きで、対戦場を縦横無尽に飛び回る。


(……まずは様子見から)


 私は小さく息を整え、意識を集中させる。


「――黒霧ニグ・ネブラ


 頭の中で詠句を組み立てて、核言だけを口にした。

 魔術が発動し、足元からじわりと黒い霧が滲み出して、対戦場へと広がっていく。

 しかし、ブォンと空気を裂くような音とともに、高速で回転するクリスタルが霧をかき乱し、せっかく広げた霧はあっという間に吹き散らされた。


(……やっぱり、そう来るよね)


 足がかりに使うつもりだったのに、あっさりと消されてしまった。


(あの動き……意図して操っている様子を見るに、エルドリックは風属性か……)


 私は目を細めてクリスタルを観察すると、もう一度詠句を組み立てる。


「――黒霧ニグ・ネブラ

「何度やっても同じことだ」


 私の核言に応えるように、エルドリックの淡々とした声が飛ぶ。

 私はそれに、にっと小さく笑って返した。


 今度の霧は、先ほどとは違う。

 私の足元から広がる黒は、地面を這うようにゆっくりと、しかし確実に色濃く広がっていく。やがて対戦場の地面は、エルドリックの周囲を除いて完全に黒に覆われた。

 エルドリックの周囲に黒霧がないのは、私がそうしたからではなく、彼自身が魔術で侵入を防いでいるためだ。さすがに、他者の魔力を帯びた霧に足元を浸すのは、不快なのだろう。

 エルドリックがクリスタルを操り、霧を払うように地面すれすれを飛ばす。けれど――今回は消し飛ばせない。

 

(その程度じゃ、散らせないよ)


 今回の霧は、ただの煙じゃない。

 重さと粘度を持たせた、まとわりつく霧だ。

 かなりの強風を起こせば散らせるだろうけれど、それをすれば私自身にもその強風が及んでしまう。

 攻撃はしないと言った以上、防御の範囲を超えるそれは行使できないはずだ。


(……まあ、その分こっちも動きにくいのだけど)


 足を動かすと、まとわりつく霧でわずかに足取りが重くなる。

 通常の対人戦であればこの状況は不利だけど、今回は相手からの攻撃がない以上、問題はない。

 しばらく霧を払おうと動いていたクリスタルがふっと動きを変え、再び上空へと戻って不規則な軌道で飛び始めた。


(諦めたみたいだね。なら……次は)


「――黒矢ニグ・サグ


 魔術の発動に、霧の中からぬるりと影が浮かび上がる。

 一つ、二つ、三つ――次々と現れる影が鋭い矢の形を取って、私の周囲に浮かんだ。

 腕を軽く伸ばし、私は小さく告げる。


「いけ」


 放たれた黒矢が、一斉にクリスタルへと向かう。けれど、直線的な軌道のため、あっさりと躱された。


(まあ、そうよね)


 私は構わず、もう一度魔術を発動させる。


「――黒矢ニグ・サグ


 再び生まれた矢が、クリスタルに向かう。今度もあっさり躱されたけれど、黒矢はそのまま通り過ぎずに、空中で軌道を変え、再びクリスタルに追いすがる。


 ――追尾型。


 数を増した黒矢が、次々と方向を変えながら迫る。

 速度を上げ、荒い動きになりながらも、それでも避け続けるクリスタル。

 そのうちの一つが、風を巻きながら地面すれすれまで降り、その軌道がはっきりと“読めた”瞬間――


(今!)


「――黒槍ニグ・ハスタ


 密かに仕込んでいた魔術が発動し、次の瞬間、槍というには太すぎる黒い柱が、黒霧の中から鋭く突き上がった。


 ――ギィィン


 一直線に伸び上がったそれがクリスタルを捉え、金属同士を強く打ち付けたような音が、対戦場に響き渡った。


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