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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第八章 闇の神紋者

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121. 残された可能性

 セヴィーロとの最初の魔術訓練から四日が経った。

 五の鐘が鳴る頃、キアーラの案内で彼は再び私の部屋を訪れていた。今日は、その隣にルキスの姿はない。

 私はそのことに胸をなで下ろしながら、セヴィーロに席を勧めた。向かい合って腰を下ろしたところで、彼がいつものへらりとした調子で口を開く。


「さて、今日はこの前出した課題の確認からしていこうか」


 最初の講義の際、初級の闇魔術の呪文を覚えるよう宿題を出されていて、今日はその成果を確かめる日だった。

 個数の指定はなかったけれど、渡された教本に載っていた呪文は、すべて頭に入れてある。誰かが付き添えば実際に魔術を使ってもいいと言われていたから、キアーラに付き合ってもらい、初級の魔術は一通り試した。

 だから私が今、気になっているのは課題の出来不出来ではなくもっと別のことだった。


「……その前に、ひとつ、聞きたいことがあるのだけれど」


 そう切り出すと、セヴィーロは少し意外そうに眉を上げ、それからすぐに微笑む。


「もちろん、構わないよ。何が聞きたいんだ?」

「……神紋者について、教えてほしいの」


 一瞬の静寂のあと、セヴィーロは納得したように頷いた。


「分かった。実は、折を見て神紋者について話してほしいと、イグナツィオ様からも頼まれていたんだ」

「そうだったの?」


 セヴィーロが私の魔術講師になったのは、イグナツィオ様の知己で、かつ優秀な魔術師だからという理由だと思っていたけれど、神紋の研究者でもある彼だからこそ、という側面もあるのかもしれない。


「ただし、その前に……」


 そう前置きすると、セヴィーロは思わせぶりな視線を、部屋の端に控えていたキアーラへと向けた。

 私はその意味をすぐに察した。おそらく、神紋者に関する話は、あまり公に話せないこともあるということだろう。


「キアーラ、少し早いけれど、休憩用のお茶とお菓子の用意をしてちょうだい」

「……分かりました」


 少し躊躇いを含んだキアーラの返事に、私はにこりと笑みを返す。


「用意には、ゆっくりと時間をかけてきていいからね」


 キアーラは一礼すると、扉の前まで進み、こちらを振り返る。


「扉はこのままにしておきます。何かございましたら、呼鈴を鳴らしてください」


 そう言い残し、彼女は扉を半分開けたまま、静かに部屋を出ていった。

 キアーラが退室したことを確認すると、セヴィーロは改めて私に視線を向けた。


「それで、アリーチェは神紋者の何が知りたいんだ?」


 一拍、私は呼吸を置く。

 セヴィーロと初めて会った日からずっと考えていたことを思い浮かべながら、私は口を開いた。


「後天的神紋者の……延命について。短くなってしまった寿命を、延ばす方法はあるの?」


 答えを待つ数秒が、やけに長く感じられる。

 けれど、その返事は思いのほかあっさりと告げられた。


「結論だけを言うなら――可能性は、ゼロじゃない」

「っ……! 本当なの!?」


 思わず身を乗り出す私に、セヴィーロは苦笑しながらも、はっきりと頷いた。


「ああ。もちろん、本当だよ」


 寿命が残り少ないと告げられても、どこか現実感がなかった。信じきれない気持ちと、目を逸らしていたい気持ちが、ずっと胸の奥に燻っていた。

 だからこそ、諦め半分、期待半分で尋ねてみたのだけれど、まさか本当に道が残されているとは……。


「それで……それはどんな方法なの?」


 掠れそうになる声を必死に抑えながら問うと、セヴィーロはへらりとした表情を少しだけ引き締めた。


「それを説明する前に、まずは神紋者の力そのものについて、話そう」

「神紋者の力? 神紋者には神樹と同じような影響力があるという話?」


 私がそう口にすると、セヴィーロは小さく首を振った。


「それは周囲に与える影響の話だね。僕が言っているのは、神紋者自身の話だ」


 ますます分からなくなって、私は小さく首を傾げる。セヴィーロが言っているのは、魔力量や神和性が上がるといった話ではなさそうだった。


「神紋者はね、特別な力を持つことが確認されているんだ」

「特別な力?」

「剣の扱いがひときわ目覚ましかったり、ずば抜けた記憶力を持つ者はいるだろう? そういう才能の中でも、神紋者はさらに特別な才能を持って生まれるものなんだ」


 そう言われて、ふと自分のことを思い返す。

 そういえば、私は生まれつき記憶力がいい方だけれど、これもいわゆる才能というやつなのだろうか。

 そして、神紋者に特別な力があると聞いて、一つ思い当たるものがあった。


「アリーチェは、ルキスが人の感情を読めることは知っているか?」


 内心で、やはりか……と思いながら、「ええ、知っているわ」と答えた。


「神紋者によって力は様々だけど、ルキスのあの力がそうだ」


 セヴィーロの話によると、先ほど例に挙げたずば抜けた剣術や記憶力の他にも、予知の能力を持つ者や、人の潜在力が感覚的に分かる者、動物と会話できる者、果ては死んだ人間と会話できる、なんて者も過去にはいたらしい。


「ちなみに、後天的神紋者の中にも、力に目覚める者がいたそうだよ。アリーチェは、神紋者になったあとで、何か自覚した力はないかい?」


 急に話題が自分に向いて、思わず目をしばたかせる。まさか、私自身もその対象だなんて考えていなかった。


「うーん……心当たりは、ないかな」


 記憶を辿ってみたけれど、特別だと思えるような現象は思い浮かばなかった。ほんの少しだけ、残念な気持ちになる。


「そうか……。力といっても本当に様々だからね。もしかすると常時発動ではないか、条件付きの力かもしれない」

「常時発動って、ルキスみたいな力のこと?」

「そうだね。常時発動型は自覚しやすいけれど、その分苦労も多い。今は自分で制御できるそうだけど、幼い頃は周囲の感情に振り回されたと、ルキスも言っていたよ」


 それは確かに大変だろう。具体的にどういう感覚なのかは分からないけれど、他人の感情が無意識に流れ込んでくるとしたら、それはある種の暴力に近い。

 感情には良いものもあれば、悪感情もある。子供時代のルキスの苦労に、少しだけ胸が傷んだ。


「条件付きの能力なら、条件を満たさないと分からない場合もある。水の中で呼吸できる力や、動物と会話できる力がそれだ。それに、まだ発現していないだけの可能性だってある」

「確かに、その通りね」


 日常的に経験しない条件であれば、気付かないまま過ごすことだって十分あり得るのだ。

 取り急ぎ、動物と会話できる力があるかどうかは確認しておこう。もしできたら、ちょっと楽しそう。


「もし能力に気付いたら、すぐに教えて欲しい。死者と会話できる類のものとか、面白そうだよね」


 どうやら、私と彼の「楽しい」という価値観は相容れないようだ。

 そんな能力はないと思うけれど……もし本当に目覚めてしまったら、精神を病みそうなのは間違いない。

 にこにこと微笑みながらも、どこかぎらりとした眼差しを向けてくるセヴィーロに、私は曖昧に頷いた。その笑顔の奥に、研究対象を見るような冷ややかさを感じ、背筋がひやりとする。


 私の微妙な反応を察したのか、セヴィーロは小さく咳払いをして、気を取り直すように姿勢を正した。


「神紋者には、さっき話した力のほかに……もう一つ、特別な力がある」


 その声音は、先ほどまでの軽さを失い、部屋の空気がぴんと張り詰める。私は無意識に指先を握りしめた。


「神紋者はね、神紋を通じて神と繋がっている。だから、神に祈りが届きやすいんだ」

「……祈りが届きやすいと、どうなるの?」

「人は願いがあるから、神に祈るものだろう? だから、神に祈りが届けば……願いは叶う」

「願いが叶う? それは、何かの冗談? それとも比喩?」


 思わず笑って否定した私に、セヴィーロは首を横に振った。


「もちろん、願いが叶うといってもそう簡単に叶うものじゃない。願いの対価は――神紋者の命だ」

「……命……」


 私の喉がひくりと鳴る。


「神紋者が命をかけて、魂からの叫びで祈れば、死者ですら蘇る」

「そんな馬鹿な話が……」

「本当のことだよ。事実として逸話も残っている。この世界の理を紡ぐ神が相手だ。何でもあり、ってわけさ」


 じっとりと、背中に汗がにじむ。

 死者すら蘇る――荒唐無稽な話だと思う一方で、もしそれが本当なら、と期待が胸の奥で蠢いた。


「じゃあ……さっき可能性があるって言ったのは、私が心からの祈りとして延命を願えば、私の寿命が延びるってこと?」

「いや、それは無理だ。アリーチェ自身の命を対価に延命を願うのは……矛盾しているだろう?」


 肩から力が抜けて、がっくりと椅子にもたれ掛かる。ぬか喜びなんて、本当にひどい。

 じとりと、咎めるような視線をセヴィーロに向けた。

 

「可能性はゼロじゃないって言ったじゃない……」

「嘘は言ってないよ。神紋者なら、誰でも命を対価に願いを叶えられるんだから」

「……え?」


 ぞわりと、鳥肌が立った。

 セヴィーロの言葉の意味が、遅れて理解できてしまった。


「セヴィーロが言う可能性が……ルキスがそれを願うという意味だったなら、私、怒るわよ」


 声に自然と力がこもる。


「自分の命のためならルキスの命を犠牲にしてもいいと、そんな自分本位だと思われてるの? それを私が良しとすると?」

「命の重さは人それぞれだよ。現にルキスは、君が後天的神紋者になったことに責任を感じている。お願いすれば……案外、叶えてくれるかもしれないよ?」


 半眼で睨むと、セヴィーロはへらへらとした笑みを深めた。

 鋭い視線のまま、「今の話、ルキスには絶対に言わないでね」と念を押す。


「言わなくても、ルキスはその可能性を理解していると思うよ」

「それでもよ。わざわざ伝える必要なんてないし……私がそれを知ったことも、絶対に言わないでちょうだい」

「……分かった。僕からは言わないよ。ルキスは感情が分かるとはいえ、思考まで読めるわけじゃないから、黙っていればバレることはないだろう」


 その言葉に、ようやく胸をなでおろす。

 そして、ふと我に返って居心地の悪さに視線を逸らした。


「……語気を強めて、ごめんなさい」


 きつくなった口調を謝ると、セヴィーロはいつもの本音の読めないへらりとした笑みを浮かべた。


「こちらこそ、ごめん。少し失礼だったね。まぁ、ルキスのことを除いても、他に可能性があるかもしれないし、諦めることはないと伝えたかったんだ」


 悪気があったのか、何も考えていないのか、よく分からない表情でセヴィーロが言う。


(中途半端に“可能性”が残される方が、逆に残酷なこともあるのね……)


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