第48話 白銀の聖女は地下に潜る
古い倉庫の中で、リリアーヌは黒い外套を羽織った。
「きつくありませんか?」
リゼが右腕を取り、黒い籠手の留め具を確かめていく。ヴァルガスに作ってもらったそれは手首から前腕までぴたりと収まり、拳を握っても邪魔にならない。
「うん。大丈夫」
「無茶はなさらないでくださいね」
「大丈夫だって」
「お嬢様の大丈夫は信用しておりません」
「ひどい」
「実績がありますので」
言い返せなかった。
薄暗い窓に映る自分を見る。銀白の髪に金色の瞳、黒い外套と右腕の籠手。最近、王都でも噂になり始めた《白銀の聖女》がそこにいた。
「捕まっている2人は?」
「退路は確保した」
地下へ続く扉を確認していたガルドが答える。
「3人目はまだ分からん。中にいるかどうかも含めて確認する」
「分かった。行こう」
扉へ向かおうとしたところで、リゼが外套の裾を掴んだ。
「お嬢様」
振り返る。
「必ず戻ってきてください」
いつもの小言とは違う声音だった。
リリアーヌは少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「戻るよ。フィオレにも行く約束してるし」
「本日の営業は、もう終わっております」
「……じゃあ明日」
「はい。明日までにお戻りください」
「約束する」
リリアーヌはリゼの手を軽く握ってから、ガルドを見る。
「行こう」
「ああ」
◇
古い倉庫の地下から続く石段は、長く使われていなかったらしい。湿った壁には苔が浮き、足元には薄く水が流れている。
先を進んでいたガルドが片手を上げた。
「この先だ」
通路の向こうに灯りが見えた。同時に、焦った男たちの声が聞こえてくる。
「見張りと連絡がつかない!」
「上の入口も開かないぞ!」
「捕虜を移せ! 急げ!」
最後の言葉を聞いた瞬間、リリアーヌは走り出した。
「おい、待て!」
「待ってたら移される!」
「分かってる! だから先に行くな!」
角を曲がる。
向こうから飛び出してきた男と目が合った。
「誰だ!」
男の視線がリリアーヌの顔で止まる。
銀白の髪を見て、目を見開いた。
「まさか……白銀の聖女……!」
リリアーヌの方が少し驚いた。
名前だけでなく、姿まで知られているらしい。
「武器を捨てて。そうしたら何もしないから」
「ふざけるな!」
奥からさらに2人が現れ、3人が一斉に剣を抜いた。
仕方ない。
「ガルド」
「殺すなよ」
「分かってる」
「あと、壊すな」
「何を?」
「できれば全部だ」
「それは約束できない」
「お前な……!」
最初の男が斬りかかってきた。
リリアーヌは剣先を半歩ずれてかわし、そのまま懐へ入る。腹へ掌を添えて軽く押し出すと、男は数歩分の石床を滑って倒れた。
「軽くやれと言っただろ!」
「軽くしたよ!」
「今のでか!」
2人目が横から剣を振る。
手首を取って勢いを流し、足を払う。背中から落ちる直前に襟を掴んで衝撃を殺してやると、男は何が起きたのか分からない顔のまま床へ転がった。
3人目はガルドへ向かった。
剣が一度だけぶつかる。
次の瞬間にはガルドが相手の懐へ入り、剣の柄で顎を打ち抜いていた。
静かになった。
「……終わり?」
「油断するな」
ガルドが言った直後、奥で硬いものが砕ける音がした。
さらに3人の男が姿を現した。
その手には、見覚えのある黒い石が握られている。
「ここを知られた! 資料を燃やせ!」
「こいつらを止めろ!」
男たちが黒い石を握り潰した。
溢れ出した黒い魔力が腕から全身へ広がり、身体が膨れ上がる。指先から鋭い爪が伸び、先ほどまでとは比べものにならない圧力が通路を満たした。
1人が床を蹴る。
速い。
けれど、リリアーヌには十分見えた。
顔を狙って振るわれた爪をかわし、すれ違いざまに腹へ拳を入れる。《聖》を流し込むと、男の身体を覆っていた黒い魔力が白い光に呑まれ、その場に崩れ落ちた。
息はある。
残る2人が左右から襲ってくる。
「ガルド、右!」
「任せろ!」
リリアーヌは左から来た男へ踏み込んだ。
爪が外套を掠めるより早く懐へ入り、胸へ掌を当てる。白い光が弾けると、黒い魔力が身体から剥がれるように消えていった。
男が膝をつく。
ほぼ同時に、背後で鈍い音がした。
振り返ると、ガルドの相手も床に倒れている。
「これで3人目」
「最初の連中を入れて6人だ」
「数えてたの?」
「お前が数えないからだ」
「助かる」
「褒めてない」
その時、奥から女性の悲鳴が響いた。
「助けて!」
リリアーヌはすぐに走り出した。
◇
通路の先には、いくつもの鉄格子が並んでいた。
手前の檻にいたのは2人。治療院から姿を消した女性と、南門近くの宿に泊まっていた旅人だった。
「白銀の……」
「話はあとで。怪我は?」
「わ、私は大丈夫です。でも、あの人が……」
女性が奥を指した。
もう1つの檻に、男が倒れている。
「3人目……!」
リリアーヌが駆け寄る。
「鍵は?」
ガルドが通路を振り返った。
「あった」
先ほど倒した男の腰から鍵束を外し、こちらへ投げる。
受け取ったリリアーヌは錠前に鍵を差し込んだ。最初の1本は違ったが、2本目で錠が開く。
扉を開けて中へ入り、倒れている男のそばへ膝をついた。
脈はある。
ただ、かなり弱い。
腕には黒い痣が広がり、その中心には何度も何かを押し当てたような傷が残っていた。
「その人、何度もやられてました」
女性が震える声で言った。
「あの黒い石を身体に押しつけられて……どれくらい耐えられるか見るって……」
リリアーヌは男の腕を見た。
「人で試してたの……?」
周囲を見れば、それ以上聞く必要はなかった。
血のついた器具や砕かれた黒い石が作業台に残され、その隣には魔物の毛や爪が置かれている。さらに奥の小さな檻には、弱った魔物まで閉じ込められていた。
リリアーヌは倒れている男の胸へ手を置いた。
淡い白光が身体を包む。
浅かった呼吸が、少しずつ落ち着いていった。
「もう大丈夫」
その言葉を聞いた女性が、泣きそうな顔で息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「まだ終わってないから。お礼は出てからね」
リリアーヌが立ち上がる。
「ガルド、この3人をお願い」
「ああ」
ガルドが檻へ向かった、その時だった。
さらに奥から足音が聞こえた。
「よくも……」
低い声とともに、男が姿を現した。
倒れた6人を見回し、その顔が引きつる。
「6人が……たった2人に……」
「あなたで7人目?」
「そこを気にするのか」
ガルドが呆れた。
「今度はちゃんと数えようと思って」
「今じゃない」
男の視線が、リリアーヌの銀白の髪へ移った。
「白銀の聖女……!」
その声には、はっきりと恐怖が混じっていた。
男が一歩下がる。
逃げるのかと思った。
違った。
背後に置かれていた木箱へ手を伸ばした。
「待って!」
男が木箱を床へ叩きつける。
大量の黒い石が散らばった。
「ここを……渡すものか!」
足元の石が踏み砕かれる。
黒い魔力が噴き出し、それに反応するように周囲の石へ次々と亀裂が走った。
「リリアーヌ!」
ガルドの声が飛ぶ。
リリアーヌは男へ向かうのをやめ、捕らわれていた3人の前へ飛び込んだ。
直後、黒い魔力が爆発した。
白い光が3人を包む。
激しい衝撃が地下室を揺らし、壁に亀裂が走った。天井から砂と小石が降り注ぐ。
それでも、リリアーヌの後ろには届かなかった。
やがて黒い奔流が収まる。
「みんな、大丈夫?」
「あ、ああ……」
旅人が呆然と答えた。
女性も、治療した男も無事だった。
「お前は?」
ガルドが聞く。
「平気」
リリアーヌは外套についた埃を払った。
傷はない。
だが、床を覆った黒い煙が消えていなかった。
それどころか、ゆっくりと1か所へ流れ始める。
先ほど黒い石を砕いた男の身体へ。
「……まだ何かする気?」
返事はなかった。
男は喉を押さえ、苦しそうに身体を折っている。
砕けた石から溢れた黒い魔力が次々と吸い込まれ、さらに檻の中の魔物を覆っていた黒い靄まで引き寄せられていく。
「ぐ……あああああっ!」
悲鳴が、途中から人間のものではなくなった。
身体が急激に膨れ上がる。
太くなった両腕に加え、肩口からさらに2本の腕が伸びた。背中を突き破るように角が現れ、伸びた爪が石床を削っていく。
頭が天井近くまで届いた。
4本の腕が床へ叩きつけられると、地下室全体が大きく揺れた。
「……大きいなあ」
「感想を言ってる場合か」
「天井、大丈夫かな」
「今はそっちを心配するな」
ガルドが剣を構える。
男だったものは、もはや人間とも魔物とも呼べない姿になっていた。
その巨体が一歩踏み出す。
捕らわれていた女性が小さく悲鳴を上げた。
リリアーヌは振り返る。
「ガルド。この人たちをお願い」
「お前は?」
「私が止める」
ガルドは一瞬だけリリアーヌを見た。
「無茶はするなよ」
「善処します」
「その返事をする時のお前は信用できん」
「最近、そればっかり言われる」
ガルドが3人の前へ下がる。
怪物の4本の腕がゆっくりと持ち上がった。
リリアーヌは右拳を握る。
黒い籠手の内側へ、《聖》が集まっていく。
さっきまでとは違う。
あれだけ黒い石を取り込んだ相手に、手加減だけを考えて戦う余裕はなさそうだった。
それでも、負けるとは思わなかった。
むしろ――ちょうどいい。
この籠手を作ってもらってから、まだ本気で試せていないことがある。
怪物が踏み込んだ。
巨体からは想像できない速さで距離が縮まり、巨大な拳がリリアーヌへ振り下ろされる。
逃げれば、後ろの3人に当たる。
なら、逃げる必要はない。
リリアーヌは右足を踏み込み、拳を引いた。
「こういう相手の方が、分かりやすくていいよね」
黒い拳が迫る。
リリアーヌも地面を蹴った。
銀白の髪が舞い、白い光をまとった右拳が真正面から打ち上がる。
人間の少女と、天井近くまで膨れ上がった異形。
その拳が、激突した。
面白いと思っていただけましたら、ブックマーク・☆☆☆☆☆からの評価をいただけると嬉しいです!
感想も大歓迎です。執筆の励みになります!




