第32話 剣では勝てません
前期基礎試験まで、あと10日。
リリアーヌは放課後の訓練場で、木剣を握っていた。
「どうして、こうなったんだろう」
「俺は前から頼んでたぞ」
向かいには、嬉しそうに木剣を構えるカイルがいる。
「私はずっと断ってたよね?」
「ああ」
「じゃあ、どうして?」
「今日は授業だから」
「……そうだった」
今日の剣術実技は、試験前の模擬戦。
対戦相手は教師が決めるため、逃げ道はない。
「ようやく本気でやれるな」
「やらないよ」
「なんでだよ」
「授業だから」
「授業だから本気でやるんだろ?」
根本から考え方が違った。
◇
「始め!」
教師の声と同時に、カイルが踏み込んだ。
速い。
木剣が右肩を狙ってくる。
リリアーヌは半歩下がり、剣先を避けた。
すぐに横薙ぎが来る。
体を沈める。
木剣が頭の上を通過した。
「やっぱり!」
カイルが楽しそうに笑う。
「何が?」
「避けるのだけ妙に上手い!」
「褒めてる?」
「褒めてる!」
3撃目。
今度は避けきれず、木剣で受けた。
重い。
両手で握っているのに、そのまま押し込まれる。
(やっぱり強い)
カイルは騎士団長の息子だ。
幼い頃から剣を習い、今も騎士を目指して鍛え続けている。
剣技も力も、リリアーヌより明らかに上だった。
◇
「今度はそっちから来い」
「嫌」
「模擬戦だぞ」
「待ってたら?」
「来ないなら、こっちから行く!」
「それは困る」
カイルが再び踏み込む。
リリアーヌは避けた。
次も避ける。
さらに来た一撃も、後ろへ跳んでかわす。
「お前な!」
「何?」
「戦え!」
「戦ってるよ」
「逃げてるだけだろ!」
「まだ負けてない」
「そういう授業じゃない!」
見ていた生徒たちから笑いが起きる。
教師まで笑っていた。
「フォルティス! そろそろ打ち込め!」
「先生まで……」
仕方がない。
リリアーヌは自分から前へ出た。
カイルの胴へ向け、最短の軌道で木剣を振る。
受けられた。
すぐに狙いを変え、手首を狙う。
それも防がれる。
足の位置を変え、反対側へ回ろうとした瞬間。
カイルの木剣が先に動いた。
リリアーヌの剣を下から弾き上げる。
握りがずれた。
「あ」
次の一撃が手元へ入る。
木剣が宙を舞い、地面へ落ちた。
「そこまで!」
教師の声が響く。
リリアーヌは、空になった両手を見た。
完敗だった。
◇
「……強いね」
リリアーヌは素直に認めた。
「だろ?」
「その顔、ちょっと腹立つ」
「なんでだよ」
カイルが地面の木剣を拾い、差し出してくる。
「でも、やっぱり変だな」
「何が?」
「剣を持つと普通なのに、避ける時だけ動きが違う」
「普通で悪かったね」
「悪いとは言ってない」
「じゃあ、どういう意味?」
「本気で避けることばっかり練習してきた動きだ」
一瞬、返事に困った。
実際、その通りだった。
ガルドから最初に教わったのも、敵の倒し方ではない。
危険な相手と戦わないこと。
攻撃を避けること。
地形を利用して逃げること。
生き残るための技術だった。
「ガルドに教わったから」
「お前の先生?」
「うん。元騎士」
「なるほどな」
カイルは納得しかけたが、すぐに首を傾げる。
「でも、この前の野外実習では、もっと速くなかったか?」
「必死だったから」
「それだけ?」
「それだけ」
「本当に?」
「カイル」
「何だ?」
「疑い深い人は嫌われるよ」
「誰に?」
「いろんな人に」
カイルは少し考えたあと、木剣を構え直した。
「じゃあ、もう1回」
「今の話、聞いてた?」
◇
「今度は剣なしで。避けるだけでいいから」
「もっと嫌」
「なんで?」
「私には何の得があるの?」
「俺が、お前に攻撃を当てられるか試せる」
「それ、カイルにしか得がないよね?」
「お前の訓練にもなるだろ」
「後から私を足さないで」
「細かいな」
「人を訓練用の的にしようとしてる人には言われたくない」
リリアーヌが断ると、カイルは残念そうに木剣を下ろした。
「俺に負けたの、悔しくないのか?」
「少しは悔しいよ」
「なら練習しようぜ」
「しない」
「なんでだよ」
「私が欲しいのは、剣で勝つ力じゃないから」
カイルが不思議そうな顔をする。
「じゃあ、何が欲しいんだ?」
「死なない力」
「……何だ、それ」
「そのままの意味」
剣の試合で勝ちたいわけではない。
誰よりも剣が上手くなりたいわけでもない。
危険から逃げる。
大切な人を守る。
逃げられない時だけ、敵を倒す。
そのための力があればいい。
「変なやつ」
「よく言われる」
「でも、避けるのが上手いなら、それを伸ばせばいいんじゃないか?」
「剣は?」
「必要なだけ使えればいい」
カイルは木剣を肩へ乗せた。
「俺と同じ戦い方をする必要はないだろ」
思っていなかった言葉に、リリアーヌは目を瞬いた。
「いいこと言うね」
「俺はいつもいいことを言ってる」
「それはどうかな」
「それに、逃げるために誰かが前へ立つ必要があるなら、そこは俺がやる」
カイルは、何でもないことのように言った。
「俺は避けるより、そっちの方が得意だからな」
剣の腕は確かで、前へ出ることを怖がらない。
それでいて、自分と違う強さを否定しない。
(攻略対象になるだけはあるんだよね)
リリアーヌが感心していると、カイルが再び木剣を構えた。
「だから、もう1回やろうぜ」
「今の格好よさ、全部なくなったよ」
「なんでだよ」
「自分の訓練に付き合わせようとするから」
「お前の訓練にもなるって」
「また後から私を足した」
「今度は最初から言っただろ!」
「どっちにしても嫌」
少しだけ感心した分を、返してほしかった。
◇
授業が終わったあと。
リリアーヌは訓練場の端で、自分の右手を見た。
剣では、カイルに勝てなかった。
それでいい。
というより、当然だ。
リリアーヌは剣の天才ではない。
長く鍛えてはいるが、ガルドに勝ったことは1度もない。
カイルにも、純粋な剣技では届かない。
(でも、《聖体強化》を使っていたら……)
結果は変わっていたかもしれない。
技術で上回るのではない。
速度と力で、無理やり技術の差を潰す。
それなら、カイルにも勝てる可能性はある。
ただし、それは剣が強いとは言わない。
「……違うな」
「何が?」
「うわっ」
気づけば、カイルが隣に立っていた。
「急に来ないで」
「ずっといたぞ」
「気配を消さないでよ」
「消してない」
「じゃあ、話しかけて」
「今、話しかけた」
それもそうだった。
「何を考えてたんだ?」
「カイルに剣で勝つ方法」
「やっぱり悔しかったんだな」
「でも、やめた」
「なんで?」
「剣で勝つ必要はないから」
「そうか」
カイルは、それ以上聞かなかった。
「じゃあ、剣なしで――」
「それもやらない」
「まだ最後まで言ってないぞ」
「古代語の勉強があるから」
「明日は?」
「明日も勉強」
「明後日」
「ずっと勉強」
「そんなに古代語が危ないのか?」
「……」
「悪かった」
「今日、一番傷ついた」
◇
放課後。
リリアーヌは約束どおり、図書室へ向かった。
「遅い」
エミリアが、古代語の問題集を用意して待っていた。
「ごめん。着替えるのに時間がかかった」
「剣術はどうだった?」
「負けた」
「えっ」
「何、その反応」
「リリアーヌでも負けるんだ」
「普通に負けるよ」
「誰に?」
「カイル」
「ああ……」
「その納得した顔は何?」
「カイルって剣だけはすごいから」
「本人の前で言わないでね」
「どうして?」
「『だけ』の部分で怒ると思う」
エミリアは少し考えた。
「でも、ちょっと安心した」
「何が?」
「リリアーヌにも苦手なことがあるんだなって」
「古代語で十分証明したよね?」
「それはそう」
「そこは否定して」
◇
「じゃあ、始めよう」
エミリアが問題集を開く。
「まず、この文章を訳して」
古い単語。
今とは違う語順。
途中で消える主語。
リリアーヌは時間をかけて文章を読み解いた。
「昔、王が森へ行きました」
「うん」
「そこで女神に会いました」
「そこまで正解」
「女神は王を殴りました」
「違うよ」
「え?」
「王に剣を『授けた』の」
「この単語、殴るじゃないの?」
「それは隣」
「似てない?」
「全然違う」
リリアーヌは机に額をつけた。
「剣より難しい」
「そんなに?」
「カイルともう1回戦う方が楽かも」
「呼んでこようか?」
「それは嫌」
「どっちなの?」
「どっちも嫌」
エミリアが笑う。
「ここも間違ってる」
向かいから声がした。
顔を上げると、3冊の本を積んだノアが座っていた。
「いつからいたの?」
「最初から」
「また?」
「僕は本を読みに来てるだけ」
ノアがリリアーヌの問題集を指す。
「ここの訳は、『森の奥に眠る古き門を開く』」
「目的語が門なの?」
「そう」
「書いてないよ」
「前の文に書いてある」
「毎回書いて」
「古代人に言って」
「会えたら絶対に言う」
エミリアが、声を抑えて笑っている。
「この単語は?」
リリアーヌが尋ねる。
「今はあまり使わないけど、古い魔法文書にはよく出てくる」
ノアが指で文字をなぞった。
「意味は、『固定する』とか『留める』に近い」
「固定する。留める……」
リリアーヌは単語帳の端へ書き加えた。
苦手な古代語の中で、その言葉だけは妙に覚えやすかった。
◇
その夜。
屋敷の訓練場で、リリアーヌはガルドと向かい合っていた。
「体調は?」
「もう大丈夫」
「足は?」
「完全に治ってる」
「なら、今日は軽くだ」
「うん」
リリアーヌは剣を持たず、構えを取る。
「今日、学校でカイルに負けた」
「剣でか?」
「うん」
「当然だ」
「即答しないでよ」
「あいつは騎士団長の息子だろう。幼い頃から、毎日剣を振っている」
「私も結構やってるけど」
「年数も才能も違う」
「慰める気ある?」
「ない」
「少しくらい頑張ってよ」
ガルドは木剣を肩へ乗せた。
「それで、お前は剣であいつに勝ちたいのか?」
リリアーヌは少し考える。
「ううん」
「なら問題ない」
「カイルにも同じようなことを言われた」
「分かってるじゃないか」
「本人は、もう1回戦いたいだけだと思う」
「それもあるだろうな」
◇
「お前の剣は、敵を倒すための1番の武器じゃない」
ガルドが続ける。
「距離を作る。相手の武器を逸らす。逃げ道を作る。それができれば十分だ」
「分かってる」
「お前には、別の武器があるんだろう?」
リリアーヌは自分の右手を見る。
《聖体強化》。
これまでは《聖》を全身へ薄く流し、筋肉や骨、神経をまとめて強化していた。
あの方法なら、全身を速く、強くできる。
ただし、魔力の消費が大きい。
「ガルド」
「何だ?」
「少し試したいことがある」
「嫌な予感しかしない」
「まだ何も言ってないよ」
「お前がその顔で言う時は、大体ろくでもない」
「失礼だなあ」
「何をする気だ?」
リリアーヌは、訓練場の端に置かれた古い訓練人形へ目を向けた。
「《聖体強化》を全身に使うんじゃなくて、打つ瞬間だけ右腕に集中させる」
「……」
「拳が当たる直前に、筋肉と骨と関節をまとめて強化するの」
「やめろ」
「まだ試してないよ?」
「だから、今止めている」
「少しだけ」
「腕が壊れるぞ」
「壊れたら治せる」
「魔力は戻らないだろう」
「……そうだけど」
「それに、治す前に次の敵が来たらどうする?」
正論だった。
「じゃあ、どうしたらいい?」
「まず、腕を守る装備を用意する」
「籠手?」
「ああ。衝撃を逃がせるものがいい」
「作れるかな」
「ヴァルガスに聞け」
「また変な顔されそう」
「当然だ」
ガルドは、古い訓練人形を見る。
「それと、壊してもいい標的を用意する」
「この人形じゃ駄目?」
「駄目だ」
「どうして?」
「お前の体より先に、訓練場が壊れる」
「そこまで強くないよ」
「そう言って、森で魔物を素手で横へ飛ばしたのは誰だ?」
「……私です」
リリアーヌは右拳を見つめた。
剣では、カイルに勝てない。
それでいい。
自分には、自分に合った戦い方がある。
ただ、その戦い方を完成させるためには、また職人へ変な注文を頼むことになりそうだった。
「ヴァルガス、作ってくれるかな」
「断られたら?」
「ダリオからお願いしてもらう」
「権力の使い方が悪くなってきたな」
「必要だから」
「その言い方、リゼに似てきたぞ」
それだけは、少し嫌だった。
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