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第8話 畑は、腕で耕すものらしい

 朝食後、私は村の外へ連れていかれることになった。


「今日は水汲みじゃないの?」


 私は父を見上げて聞いた。


 昨日、私は魔物の血肉について説明を受けた。


 そして、三日だけ続けてみると決めた。


 夜の比率を少し上げることも、自分から頼んだ。


 とはいえ、朝から急に予定が変わるとは思っていなかった。


 剛力羅は当然のように言った。


「昨日、鍛錬をもっと濃くすると言っただろう」


「言った」


「今の飯なら、水汲みだけでは足りん。せっかくの飯も、肉体を鍛えなければ効果が半減するからな」


 飯の効果を引き出すために、鍛錬を濃くする。


 理屈としては、わからなくもない。


 魔物の血肉という強すぎる負荷を体に入れ、それに耐えながら鍛える。


 そうすることで、普通の食事では届かないところまで肉体を育てる。


 昨日、そう説明された。


 理解はしている。


 理解はしているが、納得したかどうかは別だ。


 私はまだ幼い。


 水汲みだけでも十分きつい。


 それなのに、父は水汲みでは足りないと言う。


 剛力王国の基準は、やはりおかしい。


 私は外へ連れ出された。


 村の外。


 危険地帯とは逆側らしい。


 父と蓮華が一緒だった。


 雷華は家に残る。


 剛武も別の鍛錬があるという。


 村を出るのは、まだ慣れない。


 村の中には生活の匂いがある。


 子供の声。


 鍛錬の掛け声。


 肉を叩く音。


 木を割る音。


 誰かの笑い声。


 荒っぽいが、そこには人がいるという安心があった。


 だが、村の外は違う。


 風が広い。


 音が遠い。


 どこから何が出てくるかわからない不安がある。


「危なくない?」


 私は聞いた。


 剛力羅は笑った。


「危なければ鍛錬になる」


 答えになっていない。


 いや、この国では答えなのかもしれない。


 危険を遠ざけるのではなく、危険に慣らす。


 危険地帯のそばで生きる以上、危険そのものを教材にする。


 剛力王国の価値観としては、筋が通っているのだろう。


 通っているが、子供の安全管理としてはかなり不安がある。


 蓮華が私の隣を歩きながら言った。


「大丈夫よ。こっちは危険地帯と逆だし、出ても小さい魔物くらいだから」


「小さい魔物」


「剛理でも、そのうち倒せるくらい」


「今は?」


「今は無理」


 即答だった。


 少しは迷え。


 私は黙って歩いた。


 やがて視界が開けた。


 そこに広がっていたのは、畑だった。


 広い。


 思っていたよりもずっと広い。


 村の人口を考えると、過剰ではないかと思うほどの広さだ。


 ただ、整然とした農地ではない。


 柵はない。


 区画も雑。


 場所によって作物の生え方もばらついている。


 理知帝国の農業管理なら、即座に改善指導が入るだろう。


 土の状態。


 水の流れ。


 作物ごとの区画。


 収穫量の記録。


 害獣対策。


 いくらでも改善点が見える。


 だが、この村の畑には、そういう整った理屈とは別の荒っぽさがあった。


「これ、誰の畑?」


「村のだ」


 父が答えた。


「柵は?」


「ない」


「盗まれる」


「盗られても足りるくらい作ればいい」


 まただ。


 またこの国の雑な合理性だ。


 守るのではなく、余るほど作る。


 盗まれても問題ない量を確保する。


 非効率に見える。


 だが、柵の設置や管理、見張りの人員、修繕の手間を考えると、力のある村ならこの方が早いのかもしれない。


 いや、早いのだろう。


 この村の人間なら。


 畑を荒らす獣や魔物が出ても、殴って追い払えばいい。


 柵を作って守るより、畑を広げて、荒らされた分ごと上回る。


 あまりにも乱暴だ。


 だが、村の力を前提にすれば成立してしまう。


 それが腹立たしい。


「今日の鍛錬は畑だ」


 父が言った。


「道具は?」


 私は当然のように聞いた。


 父と蓮華が、同時に私を見る。


 何を言っているんだ、という顔だった。


 嫌な予感がする。


「道具ならある」


 父はそう言って、自分の腕を軽く叩いた。


 私は目を閉じた。


 聞くべきではなかった。


「見ていろ」


 父は、まだ耕されていない硬い地面の前に立った。


 そして、しゃがむ。


 腕を振り上げる。


 拳を地面に突き刺した。


 突き刺した。


 比喩ではない。


 硬い土に、父の手が手首近くまで埋まった。


 そのまま土を掴み、引き抜き、砕き、横へ放る。


 次。


 また突き刺す。


 引き抜く。


 砕く。


 放る。


 数分。


 本当に数分で、硬かった地面が耕された状態になっていた。


 鍬ではない。


 鋤でもない。


 腕。


 腕で畑を耕している。


 私は呆然とした。


 人間は、そこまで道具になるのか。


 理知帝国なら、農具を改良する。


 魔導器具を導入する。


 水路を整える。


 作業工程を分ける。


 人間の負担を減らし、生産性を上げる。


 それが正しい。


 私はそう思っていた。


 だが、目の前の父は、道具を使うより早く土を砕いている。


 魔導農具を設置して、調整して、動かすより、父が腕を突っ込んだ方が早いのではないか。


 そんな馬鹿げた現実が、目の前にある。


「こんな感じだ」


 父は満足そうに言った。


「では、あとは蓮華に教わるといい」


「父様は?」


「別の仕事だ」


 そう言って、父はあっさり畑を離れていく。


 私と蓮華が残された。


 村の外。


 広い畑。


 危険地帯とは逆とはいえ、魔物が出ない保証はない。


 私は父の背を見た。


 本当に行くのか。


 行った。


 この国の親は、子供を外に置くことに抵抗がなさすぎる。


「じゃあ、やりましょうか」


 蓮華が言った。


「やるって」


「畑」


「手で?」


「手で」


 当然という顔だった。


 私は地面を見た。


 硬い。


 父が耕した場所の隣は、まだ踏み固められている。


 これに指を突き立てる。


 幼児の手で。


 正気ではない。


「最初から父様みたいには無理よ」


 蓮華がしゃがむ。


「まずは掘るところから」


 そう言って、彼女は指先を土に差し込んだ。


 父ほどではない。


 だが、普通に土が削れている。


 蓮華もおかしい。


 私は自分の手を見た。


 小さい。


 細い。


 卵すら割る力加減がまだ怪しい手だ。


 これで土を掘る。


 馬鹿げている。


 だが、昨日の悔しさはまだ残っている。


 父に弱いと言われた。


 その上で、私は強くなると決めた。


 なら、やるしかない。


 私は地面に指を立てた。


 押す。


 入らない。


 さらに押す。


 爪の間に土が入る。


 痛い。


 指先が悲鳴を上げる。


 私は歯を食いしばった。


 水汲みと違う。


 これは直接痛い。


 力を入れれば入れるほど、指先に返ってくる。


「力だけじゃなくて、少しずつ削るの」


 蓮華が助言する。


「削る?」


「そう。いきなり穴を開けようとしないで、表面を崩すの」


 私は言われた通りにした。


 指で土を削る。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 土が剥がれる。


 爪が痛い。


 指が痛い。


 腰も痛い。


 何をしているんだ、私は。


 魔法銃の開発長だった男が、幼児の体で土を指で削っている。


 あまりにも落差がひどい。


 だが、隣で蓮華が見ている。


 遠くには父がいるはずだ。


 やめる理由は山ほどある。


 続ける理由は一つしかない。


 強くなるため。


 私は黙って土を削り続けた。


 時間の感覚が薄れていく。


 最初は怒りがあった。


 次に痛みがあった。


 その次に、単調さが来た。


 削る。


 土を退ける。


 また削る。


 少し穴ができる。


 指を入れる。


 広げる。


 また削る。


 蓮華はときどき助言をした。


「指だけじゃなくて手首も使う」


「腰を落として」


「肩に力を入れすぎ」


「痛いなら指を変える」


 思ったより、教えるのがうまい。


 蓮華は普段、短い言葉で容赦なく弱いと言う。


 だが、鍛錬中は必要なことを必要なだけ言う。


 雑ではない。


 むしろ、父よりずっとわかりやすい。


 父は見せて終わる。


 蓮華は段階を分けて教える。


 姉としては、かなり有能かもしれない。


「剛理、休む?」


 蓮華が聞いた。


 私は首を振った。


「休まない」


「指、痛いでしょ」


「痛い」


「腰も?」


「痛い」


「じゃあ休めば?」


「嫌だ」


 蓮華が少し目を丸くする。


「なんで?」


「弱いから」


 そう答えた。


 自分で言って、胸の奥が熱くなった。


 弱い。


 それを認めるのは屈辱だ。


 だが、認めなければ強くなれない。


「弱いままは、嫌だ」


 蓮華はしばらく私を見ていた。


 そして、小さく笑った。


「そっか」


 それ以上は何も言わなかった。


 私も黙って土を削った。


 日が傾き始める頃、父が戻ってきた。


「どうだ」


 蓮華が私の掘った場所を指差す。


 畑と呼ぶには程遠い。


 ただ、硬い地面にいくつかの穴と崩れた土があるだけだ。


 子供の土遊び。


 そう見えるだろう。


 だが、私の指は痛み、腕は重く、腰は限界だった。


 これは遊びではない。


 少なくとも、私にとっては。


「よくやった」


 父が言った。


 珍しく、筋肉という言葉が入っていない。


 私は立とうとした。


 膝に力が入らなかった。


 体が前に倒れかける。


 父が片手で私を持ち上げた。


 荷物のように肩へ担がれる。


「歩ける」


 私は抗議した。


「歩けてないぞ」


 その通りだった。


 反論できない。


 父の肩の上で、私は揺られた。


 体が重い。


 指がじんじんする。


 腹の奥には朝食の嫌な重さがまだ残っている。


 遠くで蓮華と父が話している声が聞こえた。


「どうだった?」


「体は弱いわね。同じくらいの子たちより、まだ少し弱いと思う」


 容赦がない。


 だが事実だ。


「でも、精神力はすごいわ」


 蓮華の声が、少しだけ柔らかくなった。


「やめたいとか、疲れたとか、一回も言わなかった。休むかって聞いても休まないって。黙ってずっと掘ってた」


「そうか」


「今は弱いけど、本当に強くなるかも」


 父が低く笑った。


「何がこの子をそこまで駆り立てているのかはわからんが、強くなることはいいことだ」


「明日からも私が見る?」


「ああ。頼む」


「いいよ」


 蓮華が明るく言った。


「この子は、強くなるまで私が守ってあげる」


 私は目を閉じていた。


 眠い。


 体が限界だ。


 だが、その言葉は聞こえた。


 守ってあげる。


 またそれだ。


 悔しい。


 けれど、少しだけ温かい。


 前世では、誰かに守られるなど考えたこともなかった。


 守られる立場は、利用される立場だった。


 弱い者は、庇護と引き換えに自由を失う。


 そういうものだった。


 だが、蓮華の言葉には打算が薄い。


 ただ、弱い弟だから守る。


 それだけに聞こえる。


 この国は野蛮だ。


 おかしい。


 飯はまずい。


 鍛錬は狂っている。


 子供を魔物が出るかもしれない外に連れ出す。


 それでも。


 理知帝国より、少しだけ息がしやすい。


 そう思ってしまった自分に腹が立った。


 家に着く頃には、私はほとんど眠っていた。


 次に意識がはっきりした時、目の前には夕食が並んでいた。


 そして私は思い出した。


 夜の比率を少し増やしてほしい。


 そう言ったのは私だ。


 皿の中の料理は、昨夜よりもさらに濃かった。


 匂いが違う。


 鉄臭い。


 苦い。


 生臭い。


 そして、舌に触れる前からわかる。


 これは、痛い飯だ。


「母様」


「なに?」


「これ」


「夜は比率を少し増やすって言ったでしょう?」


 確かに言った。


 言ったのは私だ。


 だが、今日はもう指も腰も限界だ。


 畑を手で掘った。


 幼児の体で、硬い土を削り続けた。


 腹は減っている。


 体は栄養を欲している。


 だが、口は拒否している。


 雷華が一応尋ねた。


「食べられそう?」


 ここで無理だと言えば、下げてくれるのか。


 たぶん、下げてくれる。


 雷華は無理やり口に突っ込む母ではない。


 だが。


 蓮華が守ると言った。


 父がよくやったと言った。


 そして、自分で頼んだ。


 三日、続けると決めた。


 なら、食べるしかない。


「食べる」


 私は匙を持った。


 手が震える。


 畑で酷使した指が痛い。


 それでも匙を握る。


 一口目。


 口に入れた瞬間、舌が拒否した。


 まずい。


 その感想の前に、痛い。


 舌に刺激が走る。


 喉が身構える。


 胃が受け入れる前から嫌がる。


 飯を食べている反応ではない。


 毒を口に入れた時の反応に近い。


 だが、私は飲み込んだ。


 喉を通る。


 体が震える。


 息を吐く。


 二口目。


 今度は口が開くまでに時間がかかった。


 匙を持つ指が痛い。


 口の中には、さっきの味と刺激が残っている。


 それでも口に入れる。


 噛む。


 飲む。


 三口目。


 涙が出た。


 情けない涙ではない。


 体の反応だ。


 そういうことにした。


 四口目。


 吐き気がこみ上げる。


 水で押し込む。


 剛武が心配そうにこちらを見ている。


 蓮華も黙っている。


 父は何も言わない。


 雷華だけが、いつでも止められるように私を見ている。


 止めない。


 私は止めない。


 食べる。


 食べる。


 食べる。


 いつもより明らかに遅い。


 昨日の夜よりも遅い。


 一口ごとに、体と相談しなければ進まない。


 体は毎回、拒否する。


 私は毎回、それを押し切る。


 これは食事ではない。


 交渉だ。


 いや、交渉ですらない。


 体への強行命令だ。


 目の前のものを飲み込め。


 強くなるために。


 この国で発言権を得るために。


 いずれ理知帝国に備えるために。


 皿の底が見えた時、達成感より先に安堵が来た。


 終わった。


 もう今日は食べなくていい。


 いつもの倍くらいの時間がかかった気がする。


 実際、そのくらいかかったのだろう。


 家族の食事は、とっくに終わっていた。


 それでも、誰も急かさなかった。


 雷華が小さく息を吐いた。


「……食べきったわね」


 その声には、安堵と驚きが混じっていた。


 剛力羅が低く笑う。


「いい根性だ」


 根性。


 またそれだ。


 だが、今はもう否定できない。


 最後の一口を飲み込ませたものは、理屈ではなかった。


 意地だ。


 執念だ。


 この国の言葉で言えば、根性なのだろう。


 そう思った瞬間、体の力が抜けた。


 視界が傾く。


 雷華の声が遠くで聞こえた。


「剛理」


 返事をしようとした。


 できなかった。


 意識が沈む。


 最後に思ったのは、ひどく情けないことだった。


 明日の朝食は、どうか普通のまずさであってほしい。


 その程度の願いを抱きながら、私は眠りに落ちた。


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