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第6話 最下位、年下に負ける

 剛武との距離は、少しだけ縮まった。


 少しだけだ。


 私はまだ、剛武に抱き上げられることを許していない。


 近づく時は声をかける。


 触れる時は許可を取る。


 私が嫌がったらすぐ離れる。


 その条件を、剛武は律儀に守った。


「剛理、見てろよ」


 庭先で、剛武が卵を指先で摘まんでいた。


 ただの卵だ。


 それを、剛武は真剣な顔で持っている。


 馬鹿馬鹿しい光景に見える。


 だが、私は笑えなかった。


 剛武の指は太い。


 年齢のわりに、明らかに力がある。


 普通に摘まめば、卵などすぐに割れるのだろう。


 剛武は卵を片手からもう片方の手へ、ゆっくり移した。


 割れない。


 それだけのことなのに、剛武はほっとしたように息を吐いた。


「こういうのをずっとやったんだ。卵を割らずに持つ。木の枝を折らずに曲げる。薄い器を割らずに洗う」


「それで、赤子を潰さなくなる?」


「……母様には、赤子は卵より弱いって言われた」


 たぶん、弱さの種類が違う。


 だが、剛力王国の教育としてはわかりやすいのかもしれない。


 強い力を持つ者に、壊れやすいものを持たせる。


 力を出す訓練ではなく、力を止める訓練。


 悪くない。


 理屈は通っている。


「剛理もやってみるか?」


「やる」


 興味はあった。


 私は卵を受け取ろうとして、少し身構えた。


 剛武は途中で手を止める。


「近づいていいか?」


「卵、置いて」


「わかった」


 剛武は卵を地面の小さな布の上に置き、数歩下がった。


 約束を守っている。


 私は卵を取りに行き、慎重に指を添えた。


 軽い。


 当然だ。


 水桶とは違う。


 水の揺れもない。


 これくらいなら――。


 そう思った瞬間、卵にひびが入った。


「え」


 中身が指の間から落ちる。


 剛武が目を丸くした。


「割れたな」


「……割れた」


 なぜだ。


 そんなに力を入れていない。


 いや、違う。


 持ち上げることばかり考えて、指先の圧を均等にできていなかった。


 理屈ではわかる。


 だが、体ができない。


「最初はそんなものだよ」


 剛武が言った。


 慰めているらしい。


 兄に慰められるのは妙な気分だった。


「剛武も割った?」


「いっぱい割った」


「蓮華は?」


「蓮華は最初からうまかった」


「……」


「あいつ、力も強いけど、細かいことも意外とうまいんだ」


 なるほど。


 姉は単なる力任せではないらしい。


 私は割れた卵を見下ろした。


 水汲みと同じだ。


 頭では理解できる。


 だが、体が追いつかない。


 前世の知識は、今の私の体を動かしてはくれない。


 それが腹立たしかった。


 そんなふうに、家の中の空気は少しずつ変わっていった。


 水汲み。


 卵の力加減。


 簡単な走り込み。


 転ぶ練習。


 受け身らしきもの。


 どれも幼児にやらせる内容としては疑問がある。


 だが、雷華も剛武も蓮華も、私を壊すつもりはない。


 父の剛力羅だけは怪しいが、雷華がいる限り無茶は抑えられている。


 それでも、私は弱かった。


 自覚はあった。


 ただ、私はそれを家族の基準がおかしいからだと考えていた。


 父は村で一番強い男。


 母も相当に強い。


 蓮華も、剛武も、長の子らしく鍛えられている。


 そんな家族と比べれば、私が弱く見えるのは仕方がない。


 そう思っていた。


 その考えは、すぐに叩き壊された。


 村の広場に連れていかれたのは、よく晴れた日のことだった。


 土を踏み固めた広い場所で、何人もの子供が走り回っている。


 私と同じくらいの年の子供たち。


 少し上の子供たち。


 そして、少し下に見える子供もいる。


 子供たちは、遊んでいた。


 いや、遊びと言っていいのかはわからない。


 殴る。


 避ける。


 押し倒す。


 転がる。


 蹴り返す。


 笑う。


 泣く前に起き上がる。


 そしてまた殴りかかる。


 子供の遊びというより、若い獣の群れに近かった。


 だが、周囲の大人たちは止めない。


 危ないと思えば、首根っこを掴んで引き離す。


 倒れた子が起き上がれなければ、抱えて脇へ運ぶ。


 泣けば水を飲ませる。


 それだけ。


 戦うことそのものは止めない。


 むしろ、大人たちは楽しそうですらあった。


 そういう国なのだ。


 戦うことは恐怖ではない。


 娯楽であり、鍛錬であり、生きるための準備だ。


 危険地帯のすぐそばで生きる者たちは、戦いを嫌う子供を育てる余裕がないのだろう。


「今日は同じくらいの子たちと混ざってみましょうか」


 雷華が穏やかに言った。


 私は耳を疑った。


「混ざる?」


「ええ」


「あれに?」


「そうよ」


「危ない」


「危なくなったら止めるわ」


 またそれだ。


 危なくなったら止める。


 この国では、その言葉がすでに危ない。


 私は雷華を見る。


 雷華は本気で言っている。


 周囲には他の大人もいる。


 誰かが本当に危なくなれば止めるのだろう。


 それはわかる。


 だが、幼児同士を殴り合わせる発想がまずおかしい。


 蓮華が背後から私の肩を叩いた。


「大丈夫よ。最初はみんな転がされるから」


「大丈夫の意味が違う」


「起き上がれたら大丈夫」


 そういう基準か。


 剛力王国の大丈夫は、私の知る大丈夫と違いすぎる。


 最初の相手は、私と同じくらいの男の子だった。


 構えも何もない。


 相手は笑いながら、いきなり拳を振ってきた。


 見えていた。


 横へ避ければいい。


 そう思った。


 だが、体が動くより先に、拳が肩に当たった。


 続けて、相手の体がぶつかってくる。


 胸を押され、足がもつれ、背中から地面に落ちた。


 息が詰まる。


 相手は勝ち誇るでもなく、すぐに別の子へ向かっていった。


 負けた。


 何をされたかわからなかったのではない。


 わかっていたのに、体が動かなかった。


 次の相手は、少し背の高い子だった。


 腕を取られた。


 振りほどこうとした瞬間、足が浮き、地面に転がされた。


 その次の相手は、小柄な子だった。


 動きは軽い。


 力は強くなさそうに見えた。


 だが、私が踏み込んだところで足を払われ、膝から崩れた。


 また別の子には、真正面から押し潰された。


 私は考えた。


 相手の動きを見た。


 次はこうすればいいと判断した。


 だが、その判断が体へ届く前に倒される。


 頭は動いている。


 体が遅い。


 前世なら、それでも頭の方が勝った。


 理屈を組み、事前に仕掛け、相手が動く前に勝てる状況を作ればよかった。


 だが、ここでは違う。


 目の前の子供たちは、考えてから動いていない。


 動きながら覚えている。


 体が先に知っている。


 私は、その全てに遅れた。


 一人一回。


 それだけで十分だった。


 私は、同年代の子供たちに全敗した。


 家族が特別におかしいから、自分が弱く見えるだけ。


 そんな言い訳は、広場の土の上で完全に潰れた。


「次、私」


 小さな声がした。


 振り向くと、私より少し小柄な女の子が立っていた。


 髪を短く結び、無表情でこちらを見ている。


 体は華奢に見える。


 年も、私より少し下に見えた。


「蘭も混ざるのか?」


 誰かがそう言った。


 蘭。


 それが、彼女の名前らしい。


 彼女は本来なら、まだこの遊びに混ざる年齢ではないのだろう。


 だが、自分から出てきた。


 周囲の大人たちも止めない。


 少し様子を見るつもりらしい。


 年下。


 しかも、小柄な女の子。


 私は奥歯を噛んだ。


 同年代には全敗した。


 その時点で、私はもう最下位だ。


 だが、それでも。


 さらに年下の女の子にまで負ける。


 そんな無様は晒せない。


 剛力王国では、力が発言権になる。


 なら、今の私は何も言えない。


 それでも、これ以上沈むわけにはいかなかった。


 私は体の奥に魔力を流した。


 禁止されている身体強化魔法。


 ごく薄く。


 足と腕だけに。


 卑怯だとは思わなかった。


 これは魔法も使える私の力だ。


 勝たなければならない。


 蘭は、何も言わずに立っていた。


 構えらしい構えもない。


 隙だらけに見える。


 だが、なぜか近づきづらい。


 私は踏み込んだ。


 速い。


 今までの私より、明らかに速い。


 これなら――。


 そう思った瞬間、蘭の姿勢が沈んだ。


 私の拳は空を切った。


 足元が消える。


 腹の下に、軽い衝撃。


 次の瞬間、私は背中から地面に落ちていた。


 息が詰まる。


 視界に空が広がる。


 魔法を使った。


 それでも負けた。


 同年代だけではない。


 少し年下の女の子にまで、私は負けた。


 蘭は私を見下ろしていた。


 無表情。


 勝ち誇るでもなく、笑うでもなく、ただ見ている。


 その目が、やけに遠かった。


 泣きたくはなかった。


 怒鳴りたくもなかった。


 だが、体の奥が冷えた。


 私は弱い。


 家族の中で弱いだけではない。


 村の子供たちの中でも弱い。


 最下位。


 その言葉が、頭の中に落ちてくる。


 身体強化魔法を使ってすら、勝てない。


 頭が大人である私が、本物の子供に負けた。


 なぜだ。


 何が違う。


 考えろ。


 考えて、答えを出せ。


 そう思っているのに、頭がうまく回らない。


 悔しさが思考を邪魔する。


 周囲の子供たちは、もう別の相手に向かっていた。


 私の敗北など、彼らには特別なことではないらしい。


 負けた。


 転がされた。


 それだけ。


 しかし私にとっては違った。


 地面に座り込んだまま、私は動けなかった。


「剛理」


 父の声がした。


 剛力羅が近づいてくる。


 私は肩を強張らせた。


 見られた。


 身体強化魔法を使ったことも。


 それでも負けたことも。


 禁止を破った。


 しかも成果は出なかった。


 理知帝国なら、この時点で評価は地に落ちる。


 使えない。


 期待外れ。


 命令違反。


 そう判断される。


 村長の子としても失格かもしれない。


 この国は力がすべてだ。


 なら、弱い私は不要だ。


 私は剛力羅の顔を見上げた。


 父は怒っているようには見えなかった。


 それが逆に怖い。


「身体強化を使ったな」


 私は黙った。


「使って、負けたな」


 さらに黙る。


 言い訳はない。


 事実だ。


 剛力羅は大きな手を伸ばした。


 反射的に身構える。


 叩かれるのか。


 持ち上げられるのか。


 罰を受けるのか。


 その手は、私の頭に置かれた。


 軽く撫でられる。


「人には得意、不得意がある」


 私は目を見開いた。


 父は続けた。


「今のお前は、戦うのが下手だな」


 下手。


 あまりにも直球だった。


 だが、切り捨てる声ではない。


「体もまだ弱い。動きも硬い。考えすぎている」


「……考えすぎ?」


「ああ。相手の動きを見て、どうするか考えて、それから動いている。遅い」


 私は唇を噛んだ。


 その通りだった。


 考えている。


 観察して、判断して、動く。


 前世ではそれが武器だった。


 だが、子供同士の戦いでは遅かった。


 相手は考える前に動いている。


 本能に近い。


 いや、訓練された反応かもしれない。


 いずれにせよ、私より速い。


「悪いことではない」


 父が言った。


「考えられるのは、お前の強さだ」


 意外な言葉だった。


 剛力羅が、考えることを強さと言った。


 筋肉しか言わない男だと思っていた。


「だが、考えている間に倒されるなら、今は弱さだ」


 その通りすぎて、何も言えなかった。


「なら、どうすればいい」


 私は聞いた。


 声が震えていた。


 悔しさか。


 怖さか。


 自分でもわからない。


 父は笑った。


「考えるのが悪いわけじゃない。考えてもびくともしないような体を作ればいい」


 出た。


 また筋肉だ。


 だが、今回は少し違った。


 考えることを捨てろ、ではない。


 考えても遅れない体を作れ。


 考えている間に殴られても倒れない体を作れ。


 そう言っている。


 乱暴だ。


 だが、私向きかもしれない。


「それが簡単にできるなら、誰だって強くなっているんじゃないのか」


 私は思わず言った。


 剛力羅は少しだけ目を細めた。


「そうだな。簡単ではない」


「なら」


「剛理」


 父の声が、少し低くなった。


「お前は、どうしても強くなりたいか?」


 私は一瞬だけ黙った。


 今日、私は負けた。


 同年代に負けた。


 年下の蘭にも負けた。


 身体強化魔法を使っても負けた。


 守られる側だと突きつけられた。


 なら、答えは一つしかない。


「うん」


「鍛錬をもっと濃くしても、強くなりたいか?」


「うん」


「飯がまずくなってもいいか?」


「うん」


 そう答えてから、少し遅れて引っかかった。


 飯がまずくなる。


 今でも十分まずい。


 赤子の頃から飲まされていた乳もまずかった。


 今の食事も、鉄臭く、苦く、舌に嫌な味が残る。


 それがさらにまずくなる。


 どういうことだ。


「体調が悪くなっても耐えられるか?」


「……うん?」


 今のは、うん、でよかったのか。


 体調が悪くなるとは何だ。


 鍛錬を増やす話ではなかったのか。


 なぜ食事と体調の話が混ざってくる。


 父は大きく頷いた。


「わかった。では明日から鍛錬を増やす。今日の夜から、お前の食事の配分も変えよう」


「今日の夜?」


「強くなりたいんだろう」


「……うん」


「なら、飯も今日からだ」


 意味がわからない。


 筋力を増強するが、まずい食事というものがあるのだろうか。


 いや、理知帝国にも栄養管理という考え方はある。


 兵士の食事。


 魔術師の集中力を保つ食事。


 肉体労働者向けの高栄養食。


 だが、体調が悪くなる前提の食事など聞いたことがない。


 嫌な予感がした。


 この家では、嫌な予感はだいたい当たる。


 私は立ち上がった。


 体中が重い。


 土まみれだ。


 周囲では子供たちがまだ笑いながら殴り合っている。


 蘭は少し離れた場所に立っていた。


 こちらを見ている。


 無表情。


 何を考えているのか、まるでわからない。


 私は彼女から目を逸らさなかった。


 いつか倒す。


 そう思った。


 年下の女の子に向けるには、あまりにも大人げない決意だった。


 だが、私は本気だった。


 その夜。


 食卓で私はあまり話さなかった。


 蓮華が私を見る。


「負けたんだって?」


「うん」


「弱いわね」


 容赦がない。


 剛武が慌てて蓮華を睨む。


「蓮華、言い方」


「事実でしょ」


「そうだけど」


「剛理は弱い。だから強くなるまで私が守ってあげる」


 蓮華は当然のように言った。


 私は顔を上げた。


 守る。


 その言葉は、以前なら利用価値として受け取っただろう。


 姉に守られる。


 弱いうちは悪くない。


 だが今は、妙に刺さった。


「守られっぱなしは嫌だ」


「じゃあ強くなりなさい」


「なる」


「うん。頑張りなさい」


 蓮華は満足そうに頷いた。


 剛武が少し笑った。


「剛理ならなるよ」


「根拠は?」


 私が聞くと、剛武は少し考えた。


「悔しそうだから」


「……」


「悔しいって思ってるうちは、鍛錬できる」


 この国の人間は、悔しさを燃料の一種と考えているらしい。


 間違ってはいない。


 少なくとも、今の私には当てはまる。


 雷華が食事を並べる。


 相変わらずまずい匂いがする。


 ただ、私の皿だけ、いつもより濃い。


 鉄臭い。


 苦い。


 口に入れる前から、体が拒むような匂いだった。


 私は皿を見た。


「母様、これ」


「剛力羅から聞いたわ。強くなりたいんでしょう?」


「……うん」


「だから、剛理の分だけ今日から配分を変えたの」


「今日から」


「ええ。少しきついわよ」


 私の分だけ。


 今日から。


 その言葉に、嫌な予感がさらに強くなった。


 皿の中身は、いつもの飯と同じように見える。


 肉。


 スープ。


 野菜。


 だが、匂いが違う。


 普段よりずっと濃い鉄臭さがある。


 舌の奥が、食べる前から拒んでいる。


 これは食べ物ではない。


 体がそう警告している。


 この国の食事は、最初からおかしかった。


 赤子の頃に飲まされた乳もまずかった。


 今の飯もまずい。


 だが、今日の皿はそれよりさらにひどい。


 私は匙を持った。


 手が少し震えた。


「嫌なら、今日は下げるわ」


 雷華が言った。


 私は雷華を見た。


 本気で言っている。


 無理やり食べさせるつもりはないらしい。


 ここで断れば、皿は下げられる。


 たぶん誰も責めない。


 父も、母も、兄も、姉も。


 この家の人間は、限界を越えさせようとはするが、折れた者を踏みつける家ではない。


 それがわかってきた。


 だからこそ、断れなかった。


 私は今日、最下位だった。


 同年代に負けた。


 蘭に負けた。


 魔法を使っても負けた。


 守ってあげると言われた。


 悔しい。


 なら、食べるしかない。


「食べる」


 私は匙を持ち上げた。


 雷華の目が、少しだけ真剣になる。


 蓮華も、剛武も黙った。


 剛力羅だけが満足そうに見ている。


 一口。


 口に入れた瞬間、舌が固まった。


 まずい。


 苦い。


 鉄臭い。


 生臭い。


 飲み込む前から、喉が拒む。


 胃が嫌がる。


 食べ物ではない。


 体がそう叫んでいる。


 私は、それを無理やり飲み込んだ。


 喉の奥に、嫌な味が残った。


 目に涙が浮かぶ。


 情けない涙ではない。


 体の反応だ。


 そういうことにした。


「剛理」


 雷華の声が聞こえた。


 止めるなら、今だ。


 その声だった。


 私は首を振った。


 二口目を運ぶ。


 今度は口が開くことを拒んだ。


 唇が止まる。


 手が止まる。


 体が嫌がる。


 だが、私は匙を押し込んだ。


 噛む。


 飲む。


 吐き気が上がる。


 水で押し込む。


 三口目。


 四口目。


 涙がこぼれた。


 蓮華が何か言いかけて、やめた。


 剛武が拳を握っている。


 剛力羅は黙っている。


 雷華は私の顔色を見ている。


 私は皿だけを見た。


 見るものを広げると、止まってしまいそうだった。


 今日、私は弱かった。


 なら、食べる。


 蘭に負けた。


 なら、食べる。


 魔法でも届かなかった。


 なら、食べる。


 強くなるには、これを飲み込むしかない。


 皿の底が見えた時、私はようやく息を吐いた。


 食べ切った。


 勝った。


 相手が飯というのは、あまりにも情けない。


 だが、少なくとも匙は置かなかった。


 雷華が小さく息を吐いた。


「……よく食べたわね」


 その声には、驚きが混じっていた。


 剛力羅が笑う。


「いい根性だ」


 根性。


 前世なら鼻で笑っていた言葉だ。


 だが、今、最後の一口を飲み込ませたものは、理屈ではなかった。


 意地だ。


 執念だ。


 それをこの国では、根性と呼ぶのかもしれない。


 私は返事をしようとした。


 だが、口の中に残った味がひどすぎて、声を出す気になれなかった。


 腹の奥が重い。


 体がだるい。


 視界が少し揺れる。


 雷華が水を差し出した。


 私はそれを飲んだ。


 水がうまい。


 ただの水が、異様にうまい。


 それがまた腹立たしかった。


 食後、私はほとんど動けなかった。


 布団へ運ばれたのは、父だったか、母だったか。


 そこも曖昧だ。


 意識が沈む直前、私は思った。


 理知帝国で毒を盛られた時、私は何もできなかった。


 魔力を乱され、体が動かず、床に這いつくばって死んだ。


 今度は違う。


 これは毒に近い。


 体が拒んでいる。


 それでも、私は自分の意思で飲み込んだ。


 弱い。


 私はまだ弱い。


 だが、食べ切った。


 今日、私が勝てたのはそれだけだ。


 それだけでも、何もないよりはましだった。


 私は口の中に残るひどい味と、腹の重さを抱えたまま、眠りに落ちた。


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