第十七話「足音、ふたつ」④
目が合った瞬間、蒼依の表情が動いた。
崩れたのではなかった。緊張の糸が切れたのでもなかった。それまで一人で支えていた何かを、半分だけ誰かに渡せた——そういう顔だった。唇が、音にならないまま動いた。遅いよ、と言いたかったのかもしれない。泣きそうになっているのを堪えているのかもしれない。どちらとも読めた。どちらでもよかった。
来た、と蒼依の目が言っていた。
夜久は六人を見た。六人が、夜久を見た。廊下の向こうから来た夜久と、囲まれていた蒼依——状況が変わったことを、男たちは即座に読んだ。先頭の男が夜久に向き直った。
「仲間か」
男の声から笑いの色が消えていた。
夜久は答えなかった。影桜の柄に手を添えた。抜かない。まだ抜く必要はない——そう判断した。六人は多いが、廊下の幅が制限する。同時にかかってこられるのは正面と背後の二方向だけだ。横の一人は壁際で邪魔になっている。
夜久は蒼依を一度だけ見た。
「後ろ、いけるか」
「任せて」
言い切りだった。短く、迷いがなかった。蒼依は夜久から視線を外し、後ろの二人へ向き直った。
男たちが動いた。夜久も動いた。
先頭の二人が同時に踏み込んでくる。一人が剣、一人が棍棒。剣の男が大きく踏み込んで正面から斬りかかってくる——夜久は半歩外へ逸れ、剣士の伸びた腕を掴んで前へ投げた。男が廊下の石畳を転がった。棍棒の男が横から薙ぎかかる——低く沈んで潜り込み、男の脇腹に肩を当てた。弾かれた男が壁に叩きつけられた。
横の一人が抜刀しながら割り込んでくる。
刃が横から来た。正面から受ければ弾かれる。では——辰桜御影流の三大理のひとつ、流桜は逆らうことを知らない。水が低きへ流れるように、力の向きそのものに乗る。むしろ逆らわないことこそが、流桜の本質だった。刃の軌道に沿って影桜の鞘を当てた。受けるのではなく、乗る。男の力を借りて鞘が回り、そのまま男の手首を弾いた。刃が宙に舞った。空いた体に、鞘の先を鋭く打ち込む。男が壁を背にして崩れた。
後ろで音がした。
蒼依の息遣い、靴底が石畳を蹴る音、肉が当たる音、男が呻く声。振り返らなかった。振り返る必要がないと判断した——そういうことだ。
転がっていた剣の男が立ち上がろうとしていた。夜久は踏み込んで、影桜の鞘で男の後頭部を打った。男がまた崩れた。棍棒の男が壁から離れようとする。手首を取って廊下の中央へ送り出す。重心が崩れた。地面に落ちた。
静かになった。
振り返ると、蒼依が立っていた。後ろの二人が、廊下に伏していた。蒼依は息を整えながら、手首を一度回した。
「怪我はないか」
夜久が聞いた。
「ない」
蒼依は少し間をおいてから、夜久を横目で見た。
「遅かったね」
「すまなかった」
夜久は短く言った。言い訳をしなかった。ただ、その一言だけが、確かな重さで置かれた。
蒼依は何か言いかけて、口を閉じた。怒っているのではなかった。ただ、色々と言いたいことがあって、今は言える場面ではないと判断した顔だった。
夜久は廊下の奥を見た。先に扉があって、閉まっている。その向こうに気配がひとつ、じっとしたまま動かずにいた。逃げていない。
「奥にまだいる。どんな男だった」
「大きい男で、金属の鎧を着てた。大剣を背負ってた」
蒼依は奥の扉を見ながら答えた。
「さっき廊下の奥に入っていくのを見た。頭目だと思う」
観桜が扉の向こうを測った。重い気配だった。動かない。だが緊張している——戦う気でそこにいる。
夜久は蒼依を見た。蒼依も夜久を見た。
「蒼依、いけるか」
蒼依の目が少し変わった。それから、まっすぐ夜久を見返した。
「行く」
「俺は外で待ってる。何かあればすぐ動く」
「分かった」




