第224話 蒼名の預け先
訪問ありがとう。今日は少し地味だけど、あとで効いてくる流れの回。肩の力を抜いて読んでもらえたら嬉しいです。
紙を持った男が去ったあとも、広場の空気はすぐには緩まなかった。
受け取り自体は終わっている。
赤、灰、茶の三本の棒も、役目を終えたように見える。だがガラムは、まだ抜かせなかった。場が一度覚えた順は、終わったあとにどう崩れるかで本当の強さが出る。
人が散り始める。
桶が下がる。
縄が巻かれる。
その流れの端で、薬草婆が低く言った。
「来るよ、次は」
「来るな」
ガラムも短く返す。
「紙を預けられなかった。なら次は、紙じゃなく名を預けに来る」
エドが眉を動かした。
「名?」
「誰それが言っていた。誰それが知っている。そういう形だ」
物を持たせる手が効かない。
紙も預からない。
なら次は、人の名を差し出してくる。名は紙より軽い。軽いくせに、いったん場へ落ちると紙より長く残る。
案の定、その日の午後、南壁の見張りが板を一つだけ打った。
急ぎではない。
ただし、門前に誰かが立った合図だ。
ガラムが向かうと、そこにいたのは見覚えのある男だった。町と集落の間を時々行き来する干し肉売りだ。荷車はない。背負い籠も軽い。商いの帰りに寄った顔をしているが、目だけが少し忙しい。
「どうした」
ガラムが聞くと、男は愛想笑いを浮かべた。
「いやなに、大したことじゃない。ただ、町の方で少し話が出ててな」
その時点で、もう大したことではない顔をしている。
「どんな話だ」
「帳面のことだよ。ほら、昨日見つかったってやつ。あれ、商人組合のラダンが気にしてるらしい」
ラダン。
名が出た。
ガラムはすぐには返さない。
まず、その名がどう置かれたかを見る。
干し肉売りは続ける。
「組合でも顔が利く男だ。あいつが面倒だと言えば、面倒になる。だから今のうちに話を通しておいた方が――」
「お前はラダンに直接聞いたのか」
男の口が止まった。
「いや、そこまでは」
「誰から聞いた」
「町でだよ」
「町の誰だ」
愛想笑いが少し崩れる。
つまり、そういうことだった。
名前だけを先に持ってきたのだ。組合、顔が利く、面倒になる。そういう響きで場を先回りさせたい。だが継ぎ目はない。
ガラムは門の柱に手を置いたまま言う。
「名を預けるなら、継ぎ目をつけろ」
干し肉売りが眉をひそめる。
「継ぎ目?」
「誰が、どこで、どう言ったかだ。名だけ置いていくな」
男は少し苛立ったように肩を揺らした。
「いや、忠告してるだけだ。ラダンの名が出たら、普通は重く見るもんだろ」
「重く見るかどうかは、継ぎ目を見て決める」
門の向こうで風が回る。
男は何か言い返そうとしたが、結局飲み込んだ。
名だけなら便利だ。
本人がいなくても動く。
言ったかどうかも曖昧にできる。
あとから、そんなことは言っていない、と切ることもできる。
紙より厄介だった。
だからこそ、預からない。
干し肉売りは最後にぼそりと漏らした。
「閉じてるなあ」
「預け先を間違えたくないだけだ」
ガラムが言うと、男は鼻を鳴らして去っていった。
広場へ戻ると、ディノが壁の影から笑った。
「やっぱり名で来たか」
「ああ」
「次はどうする」
ガラムは三本の棒を見た。
もう受け取りは終わっている。だが、まだ場は解かない。
「今夜から残す」
「何を」
「名の預け先だ」
エドが首を傾げる。
「妙な言い方だな」
「口に出た名を、そのまま場に置かないってことだ。誰が持ってきた名か、どこまで確かか、それを先に分ける」
薬草婆が頷く。
「名前そのものより、誰の腹に乗ってきたかを見るわけだね」
「そうだ」
ガラムは地面に短く線を二本引いた。
一本は、直接聞いた名。
もう一本は、伝わってきた名。
「同じ名でも、この二つは重さが違う。混ぜると、向こうの都合で重みが変わる」
広場に残っていた何人かが、その線を見ていた。
難しい顔はしている。だが、わからない顔ではない。
結局いつも同じなのだ、とガラムは思う。
物も、紙も、口も、名も。
全部、持ち込まれた形のまま受けると向こうの順になる。だから一度ほどく。継ぎ目を見る。預け先を分ける。
狼は腹で走る。
群れは順で持つ。
そして名は、預け先を誤ると場の奥まで入り込む。
だから今夜は、棒を抜く前にそれを皆へ覚えさせる。
誰の名かより先に、誰が持ってきた名かを。
最後まで読んでくれてありがとう。物や紙だけじゃなく、名前の運ばれ方にも順がいります。次も楽しんでもらえたら嬉しいです。




