第223話 蒼正の差し出し
訪問ありがとう。今日は少し硬めの空気を読む回。静かな押し引きを楽しんでもらえたら嬉しいです。
昼前、南壁の見張りが短く二度、板を打った。
来客の合図だった。
ただし急ぎではない。数も多くない。押し寄せる気配もない。だから広場の流れは止めない。赤、灰、茶の三本の棒はそのまま立てたまま、受け取りもそのまま続ける。
ガラムは壁際へ歩いた。
門の外にいたのは一人だけだった。
町側の男だ。歳は四十前後。荷は持っていない。身なりは整っていて、声を荒げる気配もない。こういう顔が一番厄介だと、ガラムは思う。
揉め事ではなく、正しさを運んでくる顔だからだ。
男は門の前で一礼した。
「少し話がしたい」
「ここで聞く」
ガラムが答えると、男は苦笑した。
「警戒されているな」
「されるような流れが続いている」
男は否定しない。
その代わり、手の中の紙を一枚持ち上げた。
「なら、これは見てもらいたい。町の商人組合の控えだ。そちらの集落に関わる荷と帳面について、確認を取る必要がある」
紙。
広場の向こうで、何人かがこちらを見る。
目立つほどではない。だが、紙というだけで空気が少し動く。書いてある物には、書いてあるだけで正しさが宿るように見える。そう思わせるために、相手はいつも紙を持ってくる。
紙は腹にならないが、腹は紙を運ばせる。
ガラムは紙を受け取らない。
距離も詰めない。
「何の確認だ」
男は紙を下ろし、落ち着いた声で言った。
「昨日見つかった帳面の切れ端だ。それが町側の不足分と繋がる可能性がある。もしそうなら、そちらに預かり品があることになる」
「可能性がある、か」
「現時点ではな。だからこそ、話を整えたい」
整える。
綺麗な言い方だ。
だが整えるという言葉は、順をすり替える時にもよく使われる。
「整える前に聞く」
ガラムは男を真っ直ぐ見た。
「その話は誰から上がった」
男が少しだけ眉を動かす。
「町の方で帳面不足が出ている」
「誰から上がった」
同じ問いを重ねると、男はわずかに息を吐いた。
「荷番からだ」
「荷番の誰だ」
「それを今ここで言う必要があるか?」
「ある」
門の前の空気が少し硬くなる。
男は正しさの顔を崩さない。
だが、そこで名を出せない時点で薄い。正しい手続きで来たのなら、最初から継ぎ目を切らないはずがない。
ガラムは門の内側から、広場へ聞こえる程度の声で言った。
「紙を持ってきた話も、口と同じだ。誰から、どこで、何を。そこが欠けた紙は、ただの紙だ」
広場の流れは止まらない。
それが男には少し不都合そうだった。
受け取りが止まり、皆の目が自分へ向けば、紙の力は増す。だが今は違う。赤布の列が一つ進み、灰布の列で桶が渡り、茶布の列が少し詰まる。その動きの中では、紙はまだ場の先頭に立てない。
男は口調を少し変えた。
「話を荒くしたいわけじゃない。だが、そちらの中に帳面へ触れた者がいるなら、後で困るのはそちらだ」
「触れていない」
ガラムは即答した。
「見つけた物は囲った。開ける役、書く役、運ぶ役を分けた。誰か一人に持たせてもいない」
男の目が、初めて少しだけ細くなる。
思っていたより隙がなかった、という顔だ。
「……随分きっちりしている」
「そうしないと、後で誰のせいにでもできるからな」
男はすぐには返さない。
その沈黙が、逆に継ぎ目になった。
やはりこいつは確認に来たのではない。
こちらがどこまで雑か、誰に持たせたか、そこを探りに来たのだ。
エドが壁の少し後ろで低く言う。
「正しさを差し出してる顔だな」
「ああ」
ガラムも小さく返す。
「だから受け取らない」
男はもう一度、紙を持ち上げた。
「では、せめて控えだけでも預かってくれ」
「預からない」
「確認のためだ」
「預かれば、預かった順になる」
男の口元が止まる。
受け取った紙は、その時点でこちらの手続きに編み込まれる。
読んだか。
読まなかったか。
返したか。
失くしたか。
どれも後から口実になる。
だから持たない。
ガラムは顎で門の外を示した。
「言いたいことがあるなら、ここで言え。残したいなら、そっちで残せ。こっちはこっちの順で残す」
男はしばらく黙っていたが、やがて薄く笑った。
「閉じたやり方だ」
「差し出した正しさで、こっちの順を切らせないだけだ」
風が一つ、紙の端を揺らした。
白い。
薄い。
だが、今までの木札や帳面切れと同じ匂いがした。持たせるための形だ。
広場では受け取りがもう終わりかけている。
誰も門へ寄って来ない。誰も紙を見せろと言わない。そのことが、男には思った以上に効いているようだった。
やがて男は紙をしまった。
「また来る」
「継ぎ目を揃えて来い」
ガラムが言うと、男は一礼だけ残して町道へ戻っていった。
見張りがその背を追う。
門は閉めない。だが開ききりにもしておかない。半端な開き方のまま、人の出入りだけを通す。
ディノが壁の上から笑った。
「紙も飲ませなかったか」
「飲んだら腹が崩れる」
ガラムは三本の棒を見る。
物。
口。
紙。
どれも同じだ。
差し出された形のまま受け取れば、向こうの順がこちらへ入る。だから持たない。急がない。継ぎ目を揃えるまで、場の外に置く。
狼は腹で走る。
群れは順で持つ。
その順を、正しさの顔をした紙にも渡さない。
それが今日の守りだった。
最後まで読んでくれてありがとう。正しそうに見える物ほど、受け取り方を間違えると後で効くきます。次も楽しんでもらえたら嬉しいです。




