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ハーメルン  作者: 亜流今
3/5

海とガニマ

 帰国してから日本の大学に通う数年は海との静かな暮らしが続いた。バイトで遅く帰った日は、眠そうな目で文句を呟きながら早く寝ようと部屋へと先導して歩いた海。何度教えても曜日の違いは分からず、土日も平日と同じ朝6時に私を起こした海。


 大学4年になると、家を空けることが多くなった。留学先のアメリカの街を中心に学生向けの旅行ガイドを書く企画で、出張取材が続いたり、事務機器関係の会社に就職も決まり、入社前の研修があったり、原稿の締切に追われたり、過労で胆嚢炎を起こして入院したり、自分の忙しさにかまけて、海との暮らしから再び離れて行った。


 週に1、2度帰宅すると、海はずっとついて歩き、トイレも風呂も離れない。聞けば私の留守中は一日中私のベッドの上から動かず、ご飯とトイレの時以外は布団の上で帰りを待っているのだと言う。


「これでは海ちゃんが可哀想」と言う口実で、母は近所のペットショップのシャム猫を買いたいと言いだした。

「海ちゃんだってお友達がいないと寂しいだろうし」いやいや、海に相手をしてもらえず、寂しいのは母のほうに違い無いのだが。

 

 猫というのは、ある程度の社会性はあるものの、基本的には個人行動しかしない。その上、気位が高くて嫉妬心もあるから、同じ縄張りを他の猫と共有させるのは難しい。新たな猫の同居が、海にストレスにならないかが心配だった。反面、もしも仲良くできるなら、海にとっても有難い。


「あの子ね、売れ残って半額セールになっちゃったのよ。可哀想だから明日おうちに連れて来ようと思うの。名前は何がいいかしら。」

母はもう完全に買う気である。こうなった母はもう止められない。砂色のシャムの雌猫。思い浮かんだのは当時読んでいた『砂の惑星』という小説に登場する砂漠の星の双子の皇子。予知能力を持つ兄妹はレトとガニマという。

「名前はガニマでどう?」

「あら、あの子がガニ股だって、あなたよく知ってたわね」

いやいやそう言う意味じゃ無いんだが。

「へー、砂漠の王女様の名前か。じゃあガニマちゃんにしましょ」


 翌日ガニマが家にやって来た。海はガニマを見るなり私の部屋に引きこもり出て来ない。こりゃまずい。ガニマの方はペットショップの狭いケージから解き放たれ、とにかく嬉しそうに走り周る。その後ろ姿は確かにガニ股だ。先天的に股関節に異常があり、どうやらそれが特売品になった理由らしい。


 家中をクンクン嗅ぎ回り、時折何かに驚いてピョコンと垂直飛びしたり、ドタドタとガニ股歩きをしながら探検を終えたガニマが母の膝の上に落ち着くと、私の部屋のドアの隙間から、海が半分だけ顔を覗かせて、じっと様子をうかがっている。


 ここで私がガニマを可愛がったら海のストレスになる。こんな猫には興味ないなって風を装い、約30分。海が扉の陰からソロリソロリと現れた。顔は私の方を向き、私の膝を目指しているように見せながら、やや遠回りして母の近くへ。


 海は母の膝から垂れたガニマの尻尾に近付くとクンクンと匂いを嗅いだ。母も私もガニマも何が起きるか息を殺して成り行きを見守る。海はいきなり後足で起ち上がると、目にも止まらぬ超高速の猫パンチを5連発、ガニマの頭に叩き込んだ。


 一方、ペットショップのケージで喧嘩など知らずに育ったガニマは、何が起こったかすら分からず、鼻炎で詰まった鼻水を吹き出して「ぶみー」と情ない声を出した。海は何事も無かったかのように尻尾を立てて悠然と歩き、私の膝に跳び乗った。


 最初の出会いとしては大成功だった。野良猫は出会い頭の挨拶で相手の力量を計ることがある。海の猫パンチもガニマの出方を覗うもの。対するガニマも偶然とは言え反撃も威嚇もしなかった。それで海もこいつは自分の敵ではないと認識し、警戒を解いた。そうした猫の心の有り様は、耳の動きになって現れる。今は海の耳も横を向き、リラックスしているのが分かる。ガニマを視野から外さないように座ってはいるが。


「この子達、意外とうまく暮らせるかもね」と正直な感想を漏らすと、海の素晴らしい連続猫パンチに言葉を失っていた母は

「あんな叩き方されたらガニマが馬鹿になっちゃうわ」と真顔で心配する。お嬢様育ちの母には想像もつかないだろうが、野生の血を持つ動物たちの争いはあんなものじゃない。もっとずっと激しいが、一方でルールは絶対で戦いはクリーンだ。人間社会の争い事は陰湿でやりきれない、なんて猫達から教えられた。

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