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断頭台の最後の署名

王都の処刑場に吹き付ける風は、いつも喉を焼くように乾いていた。肌を突き刺すような熱風は湿気を一切含んでおらず、呼吸をするたびに肺の奥がヒリヒリと痛む。空は常に淀んだ鉛色を呈し、時折まばゆい閃光とともに大地を焼き枯らす酸性の雨が降る。それが、このレヴァンテ王国の日常だった。


国を覆った原因不明の天災——『黒き枯渇』の厄災により、この世界から一滴の潤いをも奪い去られて久しい。大地は亀裂が走るほどにひび割れ、植物の根すら育たない死の大地と化していた。わずかに残された地下水脈を求めて深く井戸を掘り下げてみても、汲み上げられるのは強烈な塩分と硫黄の臭いを含んだ、赤茶けた泥水ばかりである。そのまま飲めば内臓を焼き爛れさせるその泥水は、濾過し、灰で中和してようやく細々と命を繋ぐことができるレベルの代物だった。 水の一滴は、もはや人間の血よりも重い。民は常に乾きによる幻覚に怯え、井戸の底を見つめながら飢えと渇絶のなかで息を潜めて暮らしている。


幸いにして、この王国には数少ない救いがあった。かつて山岳地帯だった領域に眠る豊富な鉱物資源と貴金属、そして代々受け継がれてきた熟練の職人たちによる高度な金属加工品が遺されていたからだ。それらを他国へと輸出することで莫大な外貨を稼ぎ出し、周辺の湿潤な国々から法外な価格で水を買い入れることで、かろうじて国家の崩壊を防いでいる。しかし、それはいつ途絶えるとも知れない危ういバランスの上の延命措置にすぎず、国内の緊張感は常に限界すれすれで張り詰めていた。


だからこそ、神託によって異世界から「聖女」が召喚されたとき、王国総てが狂喜乱舞したのだ。 神殿の大聖堂で行われた大規模な召喚の儀式。光の柱のなかから現れた彼女の手にかかれば、数百年もの間腐敗しきった土壌が一瞬で蘇り、毒に満ちた地下水脈が透き通るような清らかな水へと浄化される——その奇跡の力を目の当たりにしたとき、宮廷の貴族も、泥まみれの民衆も、誰もが涙を流してひれ伏した。彼女こそが、この死の世界に降り立った唯一の救世主だった。


聖女は召喚されるやいなや、次々と枯渇した水源や毒の沼地を歩き、その手で奇跡を起こして王国中に貴重な水をもたらした。人々はその恩恵に涙し、彼女の名前を知らずとも、心の底から崇拝し、讃えた。 広い国土を聖女はくまなく巡り神の恩寵をもたらした。

しかし、偉業に対し問題はその私生活にあった。 彼女は王宮の一室にあてがわれた豪華な寝台で眠るだけでなく、毎日のように宮廷の侍女たちに対し、全身をたっぷりの湯に浸す入浴を求めた。それだけではない。浄化の儀式を終えて疲弊した身体を癒やすためとして、白砂糖を使った焼き菓子——この国では王族やごく一部の上級貴族ですら、一年のうちに一度口にできるかどうかという極上の甘味を、毎日のように要求したのである。


「エレノア殿下、お聞き及びでしょうか。聖女様がまた、今日も全身を浸すほどの湯をご所望なのです。王都の水事情では、ただでさえ民への配給がカツカツというのに……それに、国庫に備蓄していた貴重な砂糖も、このペースでは完全に底をつきかけております」

青ざめた顔で私の執務室に駆け込んできたのは、厳格な侍女長だった。その額には冷たい汗が滲み、声はかすかに震えていた。 当時の私は、王家の長男に嫁いだ王子妃として、宮廷内の財政と内務を取り仕切る立場にあった。私は書類から目を離し、冷徹な視線を侍女長に向けながら、こう言い放ったものだった。

「何を迷うことがあるの。彼女が機嫌を損ね、浄化の儀式を拒絶でもしたらこの国は終わりよ。水が出なくなれば、私たちは全員この荒野で乾いて死ぬのよ。湯だろうと砂糖だろうと、彼女が望むものはすべて用意しなさい」


宮廷の者たちはその贅沢な要求の数々に深く困惑し、眉をひそめたが、王家としての最優先事項は常に「聖女の機嫌を損ねないこと」の一点に集約されていた。もし彼女が気まぐれを起こし、あるいは私たちの対応に不満を抱いて浄化の儀式を拒絶でもすれば、レヴァンテ王国は再び容赦のない死の乾きへと逆戻りしてしまう。 だからこそ、王子妃としての私は彼女の要求に可能な限り従い、裏であらゆる手立てを講じて機嫌を取ることに全力を注いだ。彼女を怒らせてはならない。彼女を不快にさせてはならない——それこそが、この国家を存続させるための、絶対的にして唯一のルールだった。


一方で、民衆の態度は瞬く間に、そしてあまりにも身勝手に変貌していった。 最初は「命の恩人」「神の使者」として崇め奉られていた聖女だったが、地下水路を通じて各村や都市に当たり前のように水が供給され、日々の生活にほんのわずかな余裕が生まれると、人間の欲とは恐ろしいもので、その恵みはすぐに「あって当然の権利」へとすり替わっていった。 そんな頃、宮廷に出入りする商人や業者、あるいは口の軽い侍女たちを通じて、聖女が毎日贅沢に湯を使い、宮殿の奥で甘い菓子を貪っているという噂が、飢えと節制に慣れきった民衆の耳にも届くようになった。


——私たち民が、一滴の水すら大切にし、日々節制を重ねてやり繰りしているというのに、あの異世界の女は毎日たっぷりの湯を使い、贅沢を極めているらしい。

——水を出してくれた恩は感謝しているが、もう水源は安定して確保できている。これ以上、あんな底なしの我が儘をいつまでも許しておくわけにはいかない。私たちの生活がいつまでも楽にならないのは、あの女が私財を食いつぶし、贅沢三昧をしているせいではないのか。


不満の種は瞬く間に燎原の火の如く広がり、聖女への崇拝は嫉妬と怒りへと塗り替えられた。王都の広場では連日のように気勢が上がり、「これ以上あの女を養うわけにはいかない」「傲慢な異端者を処罰しろ」という殺気立った声が街を覆い尽くした。


この高まる民衆の怒りと不満の矛先をどう逸らし、国家の暴走を抑え込むべきか。 王家の下した判断は、冷徹なまでに明確だった。聖女のおかげですでに必要な水源は網羅され、彼女の持つ魔力や奇跡の価値は、国家のインフラが完成した今となっては低下していた。むしろ、増長した民衆の不満を鎮火するための「いけにえ」として、これ以上ない格好のターゲットとなっていたのだ。 ならば、役割をすでに終えた聖女を処罰し、民衆の溜飲を下げるための「火消し」とすることこそが、王国を維持するため極めて合理的かつ必要な処置であると、最高会議は満場一致で結論づけた。


私は、その王家の冷酷な判断に、一片の迷いも疑問も抱かなかった。為政者として、国家の秩序を守り、民の納得を得るための決定。そこに私情など微塵も挟む余地はなく、ただ王国を統べる者としての完璧で正しい義務として、私はその決定を受け入れていた。


「……エレノア殿下、お引き受けを」

側近に促され、私は視線を目の前に置かれた重厚な羊皮紙の書類に戻した。 その表面には、すでに先頭に国王陛下の直筆サインが記され、続いて枢機卿、そして王家の主要なメンバーたちの署名がずらりと並んでいた。その最後に自分の名を加えることが、私の果たすべき役割だった。 王家の紋章である双頭の鷲が彫られた重いリングをはめた指で、私はしなやかな羽ペンを迷いなく、しっかりと強く握りしめた。


ガリ、と荒い羊皮紙にペン先が鋭く走る。 『王子妃エレノア』


私が最後の署名を終えると、羊皮紙は迅速に裁判官の元へと回収され、公開処刑の場において読み上げられる手はずとなった。 ざわめく処刑場の特設ステージの上で、裁判官の冷徹でよくとおる声が響き渡った。


——これより、異端にして大罪人なる異界の聖女に対する判決文を読み上げる。神の恩寵を我がものと錯覚し、王家の慈悲と民の信仰を嘲笑ったその罪、万死に値す。ゆえに、ここに死刑に処す!


宣告の言葉が途切れた瞬間、処刑人の手によって、陽光を反射して冷たく光る銀色の刃が大きく振り下ろされた。 鈍く重い金属音が石畳を打ち、白亜の石畳が一瞬にして生々しい赤に染まった。 その凄惨な光景を完全に覆い隠すように、集まった民衆のすさまじい歓声と、積年の鬱憤を晴らすような怒号が地響きのように天を突き刺した。国家の秩序を守り、暴走する民の不満を完璧に収めるためのこの決定は、為政者としてあまりにも正しく、完璧な一手であった。

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