78 仕組まれた結婚
だが、現実はそう上手くはいかなかった。
「ごめんね、あなたのためなの。」
アンドルシアはアンドルーに冷たく言い放つ。
親になって、彼女と同じ立場になった今なら母の気持ちが痛いほどわかる。
だが、当時は何故スヴェンナとの結婚を認めてもらえないのか、何故そんなことを言うのかさっぱりわからなかった。
それでも、流石にスッツデール帝国一の踊り子を屠ったり、大きくなった子を殺めたりできなかったのだろう。
スヴェンナは母、アンドルシア王妃のフィストラル王国大劇場への推薦という名目で、国外へ追放されることになった。表向きは芸術文化の発信地で舞台を学ぶため、裏ではアンドルーとの子を身ごもっていること、その出産を隠すために企てられたものだ。
世間でも彼女のことは話題になっていたが、舞台に立つ者にとっては憧れるシンデレラストーリであり、羨みこそすれ、誰も疑うようなことはなかった。
ここまでなら、身勝手ながらも、どこか遠くで2人が幸せに生きてくれたらと、城の端で細々と幸せに暮らせただろう。時々、スヴェンナの劇場での活躍を新聞で知ったりして、いつかはその子も2世として一緒に表舞台に立つ。離れていても、その小さな幸せを何度も何度も噛みしめる。だが、そんなかすかな希望さえ打ち砕かれることになる。
◇
当時、既に兄が皇帝の座に就いており、皇后は妊娠中だった。私は時折見かけるその腹を見ては、スヴェンナもこれくらいの腹を抱えているのかと、手紙も送れぬ彼女のことを懸想していた。
自分の子と腹の子を重ねる。それが罰当たりな行為だったのかもしれない。
皇后は出産の際の事故で子をなくした。妻か子かどちらかしか助けられない、その時、兄である皇帝は迷わず妻の命を選んだらしい。
けれども、それは皇后にとっては死よりもつらい選択であったようで、気が狂ったかのように人が変わってしまった。アンドルーも全てを見ていたわけではないが、彼女は人形を大事そうに抱いては、飲むはずもない乳を与え、沐浴をし、汚れのないおしめを頻繁に変える。
侍女が皇后がする仕事ではない、その子を乳母に引き渡すようになだめても耳を貸す様子もなく、下手な幽霊よりも恐ろしい存在となっていた。
妻を深く愛していた皇帝は思いついたのだ。そうだ、ちょうどいい人間がいるではないかと。そして、私とスヴェンナの子、エーデルは奪われた。
不幸はそれだけではなかった。
スヴェンナとの一件の後、しばらく謹慎させられていたが、母上と共にフィストラル王国で開かれた夜会に出席することとなった。どうも、母上の年の離れた弟、現フィストラル国王がやっと結婚するということで、わざわざ顔を出したらしい。
古巣に帰ってきた母は、アンドルーのことは2の次で、壁の花になった息子には見向きもしない。もう四十も近いというのに蝶よ花よと男たちにかわいがられ、彼らをとっかえひっかえしながら、ホールの中心で楽しそうにクルクルと踊っている。
こんな様子を見ると、前皇帝であった父が、不義を疑うのも無理はないと思えてしまうほどだ。もう、帰ってしまおうか、そんなことを考え始めた時、仰々しい音楽とともに、ホール階段上の扉がゆっくりと開かれる。
現れた2人は腕を組み、女性は明るい茶褐色の髪を揺らす。
「皆さま、本日は私の結婚を祝す会にご参加いただきありがとう。」
深い海のような瞳と目が合ったかと思えば、ふっと逸らされてしまう。
ああ、神様、嘘だと言ってください。
「こちらは、私の妻となるスヴェンナです。」
そこには見紛うことなき彼女の姿があった。
アンドルーは煮えたぎる思いがふつふつと湧いてくる。何故、スヴェンナはあんな小汚い男を選ぶのか。そして結婚まで認めたのか。持っていたグラスが割れそうなほど、指先に力がこもる。
怒っても仕方がない。自分は第1夫人にすらできず、彼女から息子が奪れた際にも何も助けられなかった男だ。フィストラル国王があの美しいスヴェンナを見初めたのだ、そう思いこむことによってアンドルーは溜飲を下げようとした。
頭を冷やそう。外の庭園に向かって、ベンチに座り、目を瞑る。風が撫でる感触と聞こえる旋律だけに耳を傾け、ただそれだけに感覚を澄ます。
どれくらい時間が経っただろうか。ホールから何の音楽も聞こえなった頃を見計らって、あてがわれた王宮内の客間に戻ろうとした時だった。
「バッシュ、お疲れ様。スヴェンナを受け入れてくれてありがとう。」
廊下の先から、母の声が聞こえてくる。
「もとはあのアンドルーが愛した女。そう聞くとより一層そそられるわ。」
この声はバッシュ・ド・ラ・フィストラル国王だろう。少し先に見える、光がわずかに漏れている部屋から聞こえてきているようだ。
「あなたのその嫌な趣味は変わっていないのね。」
「姉上とは言え、その言い草はやめていただきたい。人の性癖を利用したくせに。」
「まあ。」
見えなくとも、母上が扇で顔を覆う様子が目に浮かぶ。
「アンドルーは見目で相手を選ぶわけにはいかないの。」
「ええ。」
「フィストラル王国が再びスッツデール帝国を手に入れるための足掛かりとなる、後ろ盾を持つ子を妻にしなくてはならないんだから。」
私はフィストラル王国が再びスッツデール帝国を手に入れるための踏み台でしかなかったのだ。そして、彼女の結婚も、ここで私が知ることも仕組まれたものだったのだ。アンドルーはそう気が付いて打ちひしがれた。
よろよろと足を進める彼の足音が遠のいた頃、部屋の中の2人はこそこそと耳打ちする。
「わざと息子に聞こえるように仕向けるだなんて、姉上もお人が悪い。」
「アンドルーは自分が王になるべきだと自覚すべきよ。」
「そこではありません、弟の性癖を甥っ子にばらすなんて。」
2人は一瞬だけ真顔になり、破顔する。
「ふふふ。」
「あははは。」
その黒い笑い声だけは、既にそこを離れていたアンドルーの耳にもかすかに聞こえていた。




