11 花簪の秘密
午後、メアリーはイシュタルから遅めの昼食に誘われた。食堂のホールに顔を出すと、すでにイシュタルは席についており、座って、座ってと声を掛けられた。
皺ひとつない白いクロスがかかった長机の端、彼の対面に座ると、さっと前菜がサーブされる。
「ああ、兄上から花簪を贈られたんだ。昨日の詰所ではドキドキさせられたよ。」
「昨日?」
イシュタルはメアリーの左耳の花簪を見つめるが、メアリーはその意図が分からずにこてんと首を傾げる。
「え、まだ知らないの。それを贈られた時に兄上から聞いてない?」
「ええ。」
イシュタルは自身の左耳の上をコツコツと指で叩く。
「右耳の上に花束や飾りをつけるのは恋人募集中。左耳の上は既婚者って意味になるのさ。」
「私、そんなつもりでは。」
知らなかったとは言え、失礼なことをしてしまった。メアリーはスープをすくったスプーンから、ポタポタと滴を落とす。
昨日の詰所では右耳の上に生花を挿していたから、メアリーは『恋人募集中』の姿で婚約者の前に現れてしまったのか。いくらイヴァナでは民衆に王女の顔が割れていないとはいえ、婚約者のそんな姿を見られてはエルドレンの部下たちにあらぬ誤解を受ける可能性もある。
「知らなかったんだろうなとは気が付くよ。」
なるほど、エルドレンが花まつりに間に合うように作らせたと言っていたから、前もって職人に製作させて、贈ってくれたのかと勘違いしてしまった。優しい彼のことだ、相手をたしなめることなく、自然に正しいマナーを教えてくれたのだろう。
ただ、詰所からの帰りに花簪を持っていたということは、仕事場にそうした装飾品を置いていたということになる。仕事場に女性への贈り物を常備する男性など、色男を疑ってしまう。それにしては、あまり遊び人らしくは見えないけれど、人はわからないものよね。
メインディッシュがメアリーの前に並べられる。白身魚は丁寧に焼かれ、彩り豊かにローズマリーとピンクペッパーが散っている。周りにはうす桃色と黄みがかったソースが模様を描くように添えられている。
シェレンディア帝国建国時に、歴史の長いフィストラル王国から要人を招いて宮廷料理の形式を真似したと言われているだけあり、見た目も味もおいしい料理に舌鼓を打つ。
イシュタルは年下の割に話が上手く、メアリーが時間を忘れて会話を楽しんでいると、いつの間にか食後のシャーベットを口にしていた。柑橘の香りがふわっと鼻から抜ける。
イシュタルは先ほどよりトーンを落とし、ぽつりとつぶやく。
「姉上は、兄上と結婚させられるの、嫌?」
「イシュタルも皇族なのだからわかっているでしょう。私は王族の一員ですから。」
推しと婚姻できることはもちろん大賛成なのだが、将来の婚約破棄の可能性を考えると、メアリーはどこか諦観の念を含んだ回答になってしまう。
「せめて僕にしておいたら?少なくとも箱に詰めて国に誘拐しようとはしないよ。」
イシュタルはそれを肯定と捉えたのか、冗談か本気かわからない口調でそう話した。
いや、箱に詰めて誘拐って何。
「どういうことですか?」
「あれ?」
メアリーの問いに、イシュタルは手を止める。彼は果実水のグラスを手に取り、軽く回すと、それを眺めるかのように、どこか遠くを見つめている。
「覚えてない?右耳の髪飾りもそうだし、メアリー姉上は兄上から逃げ出したいのかなと思っていたけど……。」
イシュタルの一言は氷の音にかき消されて、メアリーには聞こえなかった。
そんなメアリーは彼の発言をシェレンディア流のジョークかと思って、花飾りの件といい、まだまだ知らないことが多いわねと一人で結論づけていた。




