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第1話 北の死神

 連合軍前線司令部の地下室には、暖房が効いていなかった。


 壁はコンクリートで、天井には裸電球が一つ吊られている。床には濡れた泥が持ち込まれ、地図台の端から水滴が落ちていた。

 外では砲声が続いていた。遠く、近く、また遠く。誰かが時刻を記録していたが、記録する意味があるのかは誰にもわからなかった。


 会議卓の上には、朝鮮半島北部の地図が広げられている。


 赤と青の線。

 黒い丸。

 消された部隊名。

 補給路。

 狙撃被害地点。

 撤退線。

 そして、赤い鉛筆で何度も囲まれた小さな地域。


 その地域の横に、英語で短く書かれていた。


 REAPER.


 死神。


 米軍の中佐が、紙束を地図の上に投げた。


「まただ」


 韓国軍の少佐が、その紙を取った。

 死傷報告。目撃証言。狙撃地点の推定。被害者の階級。時刻。天候。距離の推定。

 どれも曖昧で、どれも不気味なほど似ていた。


 一発。

 将校。

 通信手。

 観測員。

 担架兵。

 逃げた者ではなく、立ち止まった者から死ぬ。


「昨日の午後、第三観測班がやられました」


 少佐が言った。


「観測手一名、通信兵一名。救出に出た衛生兵一名も頭を抜かれています」


「また同じ奴か」


「確証はありません」


「確証?」


 中佐は笑わなかった。


「同じ場所で、同じやり方で、同じように指揮系統だけを潰してくる狙撃手が何人もいると言いたいのか?」


 誰も答えなかった。


 部屋の隅で、若い情報士官が別の紙を読み上げた。


「捕虜の証言では、北側に特殊狙撃小隊が存在します。小隊長はオ・バンソク。平壌出身。朝鮮人民軍特殊作戦系統。詳細不明。北側の宣伝では、祖国統一の英雄として扱われている可能性があります」


「英雄ね」


 中佐は吐き捨てるように言った。


「こっちでは死神だ」


 韓国軍少佐は地図を見たまま言った。


「味方からも恐れられているようです」


「味方から?」


「捕虜の一人が言っていました。彼がいる塹壕では、誰も勝手に頭を上げない。彼が沈黙すると、部隊全体が沈黙する。彼が敵を見たと言えば、誰も疑わない」


「信仰か」


「軍隊では、戦果が信仰になります」


 中佐は椅子の背にもたれた。


「こいつ一人に、どれだけ足止めされてる」


 情報士官は答えなかった。


 答えは地図に出ていた。


 進撃予定は三度遅れた。

 観測班は二つ潰された。

 前線の一部では、日中に頭を出す者が減った。

 通信設備の修理が遅れている。

 狙撃手対策に回した偵察班が、さらに二人死んだ。


 たった一人の名前が、線を鈍らせていた。


 中佐は地図上の赤い丸を指で叩いた。


「砲撃で潰せないのか」


「推定地点が複数あります。彼は固定陣地に長く留まりません」


「ドローンは?」


「天候が悪い。電波妨害もあります」


「なら歩兵で探せ」


 誰もすぐには返事をしなかった。


 歩兵で探す。


 それはつまり、誰かが頭を出して、誰かが最初に撃たれるという意味だった。


 中佐は舌打ちした。


「くそったれ、北の幽霊め」


 韓国軍少佐は、地図の上の赤い丸を見つめていた。


「幽霊ではありません」


「何だ」


「人間です。だから、相手もいつか間違えます」


 中佐は紙束をもう一度見た。


「その前に、こっちが何人死ぬ?」


 答える者はいなかった。


 外で砲声が鳴った。


 天井の裸電球が揺れ、地図の上の赤い丸が一瞬だけ震えた。


     *


 俺の名は、オ・バンソク。


 階級は上尉。他国の階級で言う大尉と中尉の中間に位置する階級だ。

 朝鮮人民軍総参謀部偵察総局、第七特殊狙撃隊〈白頭(ペクトゥ)〉第三小隊長。

 平壌出身で、核心階層の軍人の両親の元生まれた。


 人民共和国の兵士。

 将軍様の恩を受けた者。

 祖国統一戦争の前線にいる者。


 俺は、自分をそう説明するよう教えられてきた。


 人間は、所属で定まる。

 所属のない人間は、風に飛ぶ灰と同じだ。

 誰のために生き、誰のために死ぬのかを知らない者は、戦場では最初に壊れる。


 俺には所属があった。


 祖国。

 人民。

 軍。

 そして、偉大なる将軍。


 その四つの言葉は、俺の骨の内側に打ち込まれていた。


 戦場の寒さは厳しかった。


 雪は数日前に止んでいたが、地面は凍っている。

 昼になると上だけが溶け、夜になるとまた固まる。塹壕の底には泥が溜まり、その泥が軍靴の縫い目に入り込み、足の感覚を奪っていく。


 だが、寒さは敵ではない。


 寒さは誰にでも来る。

 敵にも、味方にも、俺にも。


 本当の敵は、寒さで手が震えることを許す自分だ。


 俺は斜面の陰に伏せていた。


 上着の内側には拳銃がある。

 将軍様から下賜された拳銃だ。

 式典の日、俺はそれを両手で受け取った。周囲には拍手があり、旗があり、軍楽があった。将軍様の名を呼ぶ声があった。

 その瞬間、俺は自分がこの人民共和国の武器になったのだと思った。


 武器は迷わない。

 武器は疑わない。

 武器は、向けられた先へ働く。


 それが美しいことだと、俺は信じていた。


 狙撃銃は、肩の中に溶けるように馴染んでいた。


 俺はそれを道具として扱う。

 愛着はない。

 愛着を持った武器は、失ったときに判断を鈍らせる。


 それでも、銃の癖は知っている。

 金属の冷え方。

 泥を噛んだときの重さ。

 肩に戻る衝撃。

 息を止めた瞬間に、世界がどれだけ細くなるか。


 俺の後ろで、若い兵士が震えていた。


 名はチャンミン。

 入隊してから一年も経っていない。

 頬にまだ少年の丸みが残っている。

 彼は俺の観測補助として配属されたが、正直に言えば向いていなかった。


 よく喋る。

 よく祈る。

 よく母親の話をする。


 前線では、その三つはどれも寿命を縮める。


「小隊長同志(トンジ)


 チャンミンが小さく言った。


「敵は来ますか」


「来る」


「なぜわかるのですか」


「来なければ、こちらが楽すぎる」


 チャンミンは乾いた唇を舐めた。


 俺は双眼鏡を覗いた。


 谷の向こうに、壊れた農家がある。

 屋根は半分落ち、壁には砲弾の穴が空いていた。

 農家の右手に、低い石垣。

 左手に、枯れた梨の木。

 その奥に、白い雪をかぶった道。


 敵はその道を使いたいはずだった。


 使わなければ迂回になる。

 迂回すれば時間を失う。

 時間を失えば、こちらの砲兵が楽になる。


 だから、敵は必ず見る。

 見る者が出れば、通信する。

 通信する者がいれば、指揮する者が近くにいる。


 俺は指揮する者を待っていた。


 チャンミンがまた言った。


「小隊長同志は、怖くないのですか」


 俺は双眼鏡から目を離さなかった。


「怖い」


 後ろで、息を呑む気配がした。


 俺は続けた。


「怖くない兵士は早く死ぬ。怖いから、先に見る。怖いから、先に撃つ。怖いから、命令を守る」


「では、敵も怖いのでしょうか」


「当然だ」


「なら、なぜ戦うのでしょうか」


 俺は少しだけ黙った。


 その問いは、愚かだった。

 だが、前線では愚かな問いほど、時々まっすぐ刺さる。


「敵は、敵だからだ」


 俺は言った。


「我々が止めなければ、敵は祖国を踏む。人民を踏む。将軍様へ銃を向ける。朝鮮の統一もなされない。だから戦う」


 チャンミンは「はい」と答えた。


 その声は、完全には納得していなかった。


 俺は振り返らなかった。


 若い兵士は、納得するために戦場へ来るのではない。

 命令を理解するために来るのでもない。

 最初はただ、命令に従うために来る。


 意味は、生き残ったあとにつく。


 生き残れば、だが。


     *


 敵は午後に動いた。


 風が変わる直前だった。


 曇天の下、谷の向こうの雪がわずかに揺れた。

 人影ではない。

 影の動きでもない。

 枯れ草の倒れ方、雪の欠け方、鳥の飛び立つ方向。


 それらが、ひとつの線になった。


 俺は息を止めた。


 世界が細くなる。


 この感覚を、俺は昔から知っていた。


 訓練で得たものだけではない。

 子どもの頃、平壌の射撃場で初めて的を見たときから、俺の視界は時々こうなった。

 音が遠くなり、余計なものが消え、動くべきものだけが残る。


 戦場では、その感覚がさらに鋭くなった。


 兵士たちは、それを才能と呼んだ。

 教官は集中力と呼んだ。

 政治将校は、将軍への忠誠が精神を研ぎ澄ませるのだと言った。


 俺自身は、名前をつけなかった。


 名前をつけると、頼りたくなる。


 だから俺は、ただ使った。


 石垣の向こうに、ほんの一瞬、光が揺れた。


 双眼鏡。

 あるいは照準器。


 観測手だ。


 撃たない。


 観測手の近くには、通信手がいる。

 通信手の近くには、判断する者がいる。


 チャンミンが息を殺している。

 良い。

 今は喋らない。


 農家の影に、二人目。

 背中に無線機。

 頭を低くしている。


 撃たない。


 さらに後ろ。

 石垣の切れ目。

 白い覆いをかけたヘルメット。

 周囲より、少しだけ姿勢が違う。


 指示を出す者は、いつも少し違う。


 俺は照準を合わせた。


 距離は遠い。

 風は不安定。

 だが、相手は止まる。

 命令を出すとき、人は一瞬止まる。


 俺は待った。


 心臓の音が遠くなる。

 指先の冷えも消える。

 チャンミンの震えも、砲声も、祖国も、将軍様も、すべてが薄くなる。


 残るのは一点。


 敵が止まった。


 俺は撃った。


 音が谷に落ちた。


 白いヘルメットが消える。

 通信手が伏せる。

 観測手が何か叫ぶ。


 撃った瞬間、俺はもう次を見ていた。


 敵は混乱する。

 混乱した部隊は、負傷者を見ようとする。

 負傷者を見る者は、顔を出す。


 通信手が無線機に手を伸ばした。


 二発目。


 無線機ごと、雪の上に倒れる。


 チャンミンが後ろで息を詰めた。


 俺は言った。


「見るな。記録しろ」


「は、はい」


「指揮官一。通信一」


 声は冷たかった。


 冷たくしなければならない。

 撃った相手を人間として見すぎれば、次が遅れる。


 だが、まったく見なければ、射線を誤る。


 人間として見る。

 同時に、標的として見る。


 その二つを同時にできる者だけが、長く生きる。


 敵は煙幕を焚いた。

 遅い。


 煙が広がる前に、観測手が後退しようとした。


 三発目。


 倒れる。


 谷はまた静かになった。


 チャンミンの鉛筆が震えている音が聞こえた。


「小隊長同志」


「何だ」


「あの者たちにも、母親はいますか」


 俺は答えなかった。


 あるだろう。

 妻も、子も、友も、名前も。


 だが、それを今考える必要はない。


 俺は言った。


「記録しろ」


 チャンミンは小さく「はい」と答えた。


     *


 夕方、塹壕へ戻ると、兵士たちがこちらを見た。


 誰も大声では言わない。

 だが、視線はわかる。


 また小隊長が敵を止めた。

 また北の死神が撃った。

 また今日も、俺たちは生きている。


 その視線には、尊敬と恐怖が混ざっていた。


 味方から向けられる恐怖は、敵から向けられる恐怖より重い。


 敵の恐怖は利用できる。

 味方の恐怖は、部隊を硬くする。

 硬すぎる部隊は、折れる。


 俺は兵士たちの前を通り、何も言わなかった。


 笑わない。

 慰めない。

 誇らない。


 狙撃手が誇ると、周囲の兵士は死を軽く見る。

 死を軽く見る兵士は、すぐに死ぬ。


 塹壕の奥で、政治将校が待っていた。


 彼は俺を見ると、笑顔を作った。


「オ小隊長同志、また大きな戦果だそうだな」


「確認中です」


「謙遜はよい。祖国は君のような兵士を必要としている」


 俺は敬礼した。


「すべては偉大なる将軍様のご恩に応えるためです」


 政治将校は満足そうに頷いた。


「明日の朝、短い談話を頼みたい。若い兵士たちに、忠誠と勇気について話してほしい」


 俺は一瞬だけ沈黙した。


「自分は話すより、配置につく方が役に立ちます」


「それもわかる。しかし、英雄の言葉は弾薬と同じだ。兵士を前へ進ませる」


 俺は政治将校を見た。


 英雄。


 その言葉は、いつも俺の外側に貼られる。

 敵は死神と呼び、味方は英雄と呼ぶ。

 どちらも、俺自身ではない。


 俺は武器だ。


 武器に、英雄も死神もない。


「命令であれば」


 俺は言った。


「命令ではない。要請だ」


 命令でない要請ほど、断りにくいものはない。


 俺は再び敬礼した。


「承知しました」


     *


 夜、砲撃が近くなった。


 塹壕の壁から土が落ち、天井板が軋む。

 兵士たちは黙っていた。喋る気力も、祈る余裕もない。


 チャンミンが俺の近くに座っていた。


 彼は昼の記録帳を抱えている。

 指先が黒く汚れていた。鉛筆の芯が折れたのだろう。


「眠れ」


 俺が言うと、彼は首を振った。


「眠れません」


「目を閉じるだけでもいい」


「小隊長同志は、眠れますか」


「必要な時に眠る」


「怖い夢は見ませんか」


 砲声が近くで鳴った。


 泥が落ちる。


 誰かが小さく将軍様の名を呼んだ。

 別の誰かが母親の名を呼んだ。


 俺は答えなかった。


 怖い夢は見る。


 夢の中で、撃った敵が顔を上げることがある。

 撃ったはずの者が、名前を言うことがある。

 名前は知らないはずなのに、夢の中では知っている。


 だが、そんなことを部下に言う必要はない。


「小隊長同志」


「何だ」


「今日撃った敵は、悪い人間だったのでしょうか」


 俺はチャンミンを見た。


 彼の目は暗闇の中で揺れていた。


 この問いは危険だ。


 敵が悪いかどうかを考える兵士は、引き金の前で遅れる。

 遅れれば、死ぬ。

 あるいは味方を死なせる。


 俺は言った。


「敵だった」


「それだけですか」


「それだけで十分だ」


 チャンミンは黙った。


 俺は言葉を継いだ。


「お前が生き残りたいなら、今はそれだけ覚えろ。意味は後で考えればいい」


「後で、ですか」


「ああ」


「後がなければ?」


 俺は答えられなかった。


 その時、塹壕の外で笛が鳴った。


 敵ではない。

 味方の合図。


 前方監視からの報告だった。


 敵が動いている。


 俺は立ち上がった。


 チャンミンも慌てて立つ。


「来るぞ」


 砲撃の間隔が短くなる。


 上官の声。

 走る足音。

 泥を踏む音。

 負傷者のうめき声。

 誰かの祈り。

 誰かの悪態。


 俺は狙撃銃を取った。


 胸の内側に、将軍から下賜された拳銃の重さがある。

 その重さは、いつも俺をまっすぐにした。


 武器確認。

 弾薬確認。

 射線確認。

 退路確認。


 考えるべきことは決まっている。


 だが、その夜の戦場は、いつもと少し違っていた。


 敵の砲撃が、妙に白かった。


 最初は照明弾かと思った。


 空の低い雲が、内側から光っている。

 白い。

 青でも赤でもない。

 煙でもない。


 塹壕の外で、誰かが叫んだ。


「新型弾か!」


 別の者が叫ぶ。


「伏せろ!」


 俺は反射的にチャンミンの襟を掴み、泥の中へ引き倒した。


 白い光が、塹壕の上を走った。


 音が消えた。


 砲声も、叫びも、心臓の音も。


 世界が細くなる時の静けさに似ていた。

 だが、違う。


 これは俺が作った静けさではない。


 誰かが、世界そのものから音を抜き取ったようだった。


 俺は顔を上げようとした。


 その瞬間、視界の端でチャンミンが何かを言った。


 聞こえない。


 彼の口が動く。


 小隊長同志。


 たぶん、そう言った。


 俺は手を伸ばした。


 届かなかった。


 白い光が視界を裂いた。


 戦場での死は、もっと騒がしいものだと思っていた。


     *


 泥の匂いがした。


 最初にそう思った。


 雪ではない。

 火薬でもない。

 血でもない。


 重く、湿った、腐った草と石炭のような匂い。


 俺は目を開けなかった。


 まず、音を聞いた。


 風。

 水。

 遠くで金属を叩くような音。

 鳥ではない何かの鳴き声。

 砲声はない。

 機関銃の連射もない。

 車両の駆動音もない。


 次に、身体を確認した。


 右手。動く。

 左手。動く。

 胸。痛みはあるが、貫通創ではない。

 腹。出血なし。

 脚。感覚あり。


 俺はゆっくりと目を開けた。


 空が灰色だった。


 雲は低く、煤を吸い込んだ羊毛のように垂れ込めている。

 視界の端に、黒い煙突が何本も見えた。


 工業地帯か。


 敵後方か。

 それとも、爆発で別の地点まで吹き飛ばされたか。


 どれもあり得ない。

 だが、あり得ない状況で最初にすべきことは、理由を考えることではない。


 生存確認。

 武器確認。

 周辺確認。


 俺は伏せたまま、右手を胸元へ滑らせた。


 拳銃はあった。


 腰の弾倉。短刀。

 ある。


 左肩。

 狙撃銃もあった。


 俺はそこで初めて、わずかに息を吐いた。


 身体は俺のものだった。

 軍服もそのままだ。破れ、泥にまみれ、左袖の一部が焦げている。手の甲には見慣れた古い傷があった。爪の形も、指の硬さも、訓練で潰れた関節も、すべて俺のものだった。


 俺は生きている。


 そして、武器も残っている。


 だが、ここがどこなのかはわからない。


 韓国側の後方ではない。

 中国でもない。

 英国でもない。

 少なくとも、俺の知るどの土地の匂いでもなかった。


 湿地の黒い泥。

 遠くの煙突。

 古い工場のような音。

 そして、見たことのない空気。


 俺は狙撃銃の状態を確認した。


 使える。


 ただし、弾薬は限られている。

 補給の見込みはない。

 この場所がどこであれ、同じ弾が手に入る保証はない。


 残弾は、命の数ではない。

 判断の回数だ。


 その時、叫び声が聞こえた。


Run run(走れ!走れ、), you(この) fuckin(馬鹿) bastard!(が!)


 英語。


 いや、英語に似ている。

 発音が古い。荒い。聞き取りにくい。

 だが、意味は取れた。


 俺は身を低くした。


 葦の向こうで、何かが壊れる音がした。

 木材が裂ける音。

 馬の悲鳴。

 人間の叫び。


 戦場ではない。


 だが、死が近い。


 俺は狙撃銃を抱え直し、黒い泥の中を進んだ。


 どこにいるのかは、まだわからない。

 なぜ生きているのかも、わからない。

 チャンミンがどうなったのかも、わからない。


 ただ、声が聞こえた。


 助けを求める声か、命令の声か、逃げる声か。


 まだ判別できない。


 だが、兵士は声のする方へ行く。


 俺は葦を分け、灰色の空の下へ出た。


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