ジャック・オー・ランタン
「――はぁ……はぁ、はぁあっ」
また、夢?
指はある。
だけど、痛みは本物だった。
さっき本当に起きたかのように、全身を貫くような痛みは今も神経を震わせている。
目の前にあったビール缶を誰からか奪うように、掴み取り、中身を全て喉の奥へ押し込んだ。
『今日のニュースです。
〇〇区の駅前には仮装した人達で賑わいを見せております。
前年に比べれば、取り締まりが厳しくなったせいか人は少ないですが、様々な格好をした人達が集まっているとのことです……』
それは夢の中で見たニュースと一緒だった。
この時に、俺は冷たい目でこのテレビの若者達のことを見ていたのを覚えている。
「まだ、ここは……夢の世界?」
俺はまたあれを味わうのか?
体が硬直して動かない。
チッチッチっと時計の針だけが動く音が、嫌に大きく聞こえてきていた。
明日になればハロウィンは終わる。
後、少しだけどうにか耐えれば……。
――ピーンポーン
絶対に出ない。
何度チャイムを鳴らしても、俺は出ない。
目もつむらなければ、ただ時計を見ててやる。
チッチ……
――ピーンポーン、ピーンポーン……
中々引き下がらない。
後3分……それでこの悪夢から解放される。
その間も激しくチャイムが部屋中に響き渡る。
ただ、こうしてるだけなのに、全身の毛穴が開ききってそこから染み出る汗がシャツを濡らした。
脂のようにギトギトした汗で冷たくなった襟袖が首元にへばりついて、腹の中心をぎゅっと締め上げる。
ギュルギュルと臍の下辺りから、音がする。
腹痛のような底から腸を締め上げる感覚に悶えそうになったが、手で腹を押さえるだけで動くことはできなかった。
「後――三十秒……」
――バンッ
「――へ?」
ブレーカーが落ちるような音がすると、部屋が闇に飲まれた。
突然のできごとに変な声が出る。
その中で後、数十秒をひたすら耐えると、急に奥の方で明かりが灯された。
それは電気のように人が創り出した現代文明の光と言うよりは、ぼんやりと淡くて、ゆらゆらと炎が揺れているようだった。
それがゆらゆらとこっちに近づいてくると、数メートル先でピタリと止まる。
空中に浮き上がる火の玉は何もせず部屋の中を照らし続けていた。
「な、今度は……なんだよ。いや、俺は動かないからなっ!」
火の玉を睨みつけて、腰を深くソファーに預ける。
じっと身を固めていると。
――トン……トントン……
廊下から誰かが歩いてくるような音がした。
「は?」
嘘だ……。
だって、玄関開けてねーだろ。
影だけが異様に伸びてくる。
膨れた顔と体のバランスが明らかに、人と比べるとおかしい。
肩幅よりも大きくなって、時折り落ちそうになる目玉を拾う動作をしていた。
くそっ……! くそくそくそくそっ!
奴だ!
部屋に入って来やがった!
今度は捕まらない。
もう、あんなのは嫌だ。
勢いよく立ち上がると、目の前の火の玉が激しく揺れだした。
それはまるでこっちに逃げろと言わんばかりに、左右に振り子のように動いている。
「分かったよ! そっちに行けばいいんだろ!」
両足に力を込めて走り出す。
「ってか……ここどこだ? 自分の家だったよな?」
それなのに今いるのは知らない廊下。
壁には窓一つ存在せず、木で出来た床を踏めば酷く不気味な音で鳴く。
思わず足を止めて後ろを振り返ると、そこには闇しか存在しなかった。
――トトトトッ……
耳の奥に微かな音が消えた。
軽く鼓膜を揺らしたそれは、あの怪物が追ってきていると、頭が勝手に理解する。
「もう、来やがったのかよ! おい! 火の玉、本当にこっちでいいんだよな!?」
乱暴に問いかけるが、そいつは勝手に前に進もうとする。
「なん……だよ。あー! 分かった! 行けばいいんだろ」
こんなに走ったのはいつぶりだろうか?
次第に足の力が抜けて、少しずつ走るペースが遅くなる。
少しずつ確実に音が大きくなり、それはすぐ後ろまで迫っていた。
「……はぁ……まず……」
口を開くことすらやっと。
肺が空気を求めると、自然と顎が上を向いた。
もう……だめだ。
すると後から不気味な声がぬるっと伸びてくる。
それを視界の端に捉えると、止まった足を引きずるように強引に動かした。
「あ……扉……」
目の前に見えてきたのは金属で出来た扉だった。
この空間には似つかわしくない、どこにでもあるアパートや家の扉。
「やった……これで……」
――ガチャ
「――おがし、ちょ……だ……ぃいいい」
周囲に人工の光が戻ると、俺と目の前の怪物が照らされる。
「嘘……だ」
どうして俺は玄関にいるんだよ。
それに、あんなに時間が経ったらハロウィンなんてとっくに過ぎてるはずじゃ。
急いで部屋に戻って時計を見た。
「……23時59分……後、1秒なのに……なんで、動かないんだよっ!」
乱暴に壁を叩くが状況は変わらない。
そうしているうちに背後に気配を感じる。
動けない。
だけど首だけが勝手にそっちを向いていく。
肩の横辺りまで来ると、そいつはいつもの醜悪な顔で俺を出迎えてくれた。
「……っ……おぁ……あ……あ、と」
なにか言おうとしているが、それは言葉にすらならい。
「……さ、探すから、まっ……」
そいつの頭皮がぼたりと落ちる。
おさげ頭のカツラのように、きれいに剥がれて床に広がった。
その上に、ころりと目玉が乗っかって、そいつの顔がドンドン崩れていく。
膨らんだ顔に縦筋が入る。
均等に食い込むように伸びた筋は、かぼちゃのようにボコボコとした食い込みをつくった。
「いぎぃいいい」
首がどんどん捻れていく。
だけど体だけは前を向いたまま動かない。
首の筋が伸びて、ブチブチと裂ける音がする。
裂けた皮膚からは溢れた血で首から下を濡らす。
ぐるぐると何回転もタオルを絞るように捻れていくが、俺は今だに死ねない。
残っているのは拷問に近い苦痛と、喉の奥で骨同士がゴリゴリと削り合う音だけだった。
「――|トリックオアトリート《お菓子くれないと殺しちゃうぞ》」
その言葉を最後に、俺の頭は床に落ちていた。
――ジャック・オー・ラン
そいつが楽しげに笑っているところで、やっと闇に落ちた。
――――
「はあ……また……かよ――くそがっ!」
同じ時間、同じ場所、同じ光景。
何度も繰り返される悪夢に、机を思いっきりひっくり返す。
「はぁはぁはぁ……いい加減に、あぁ? これ、飴?」
それは紙のような包装紙に包まれた飴玉だった。
机の下に一つだけ落ちていたのだ。
「は……はははっ! やっと……これで、助かった……」
ついに見つけたお菓子に、嬉しさのあまり強く握り締める。
「やべ、こんなに強く握ったら割れるかもしれねぇ。あー、これで……解放……早く来い、来いっ」
――ピーンポーン
きた、きた、きたぁあっ!
「――ほら、お菓子だ、これで……なんで――二人なの……」
玄関を開けると、小学校低学年くらいの男女が手を繋ぎ立っている。
女の子の頭はかぼちゃのように歪な形で、男の子の方はまた普通の人間のように見えた。
「お菓子くれないと悪戯しちゃうぞ」
その瞬間、手から飴が滑り落ちる。
膝から崩れ落ちて、瞳から力が抜ける。
二人の子供の"隙間"の向こうから、全身が黒い子供がさらに走って来ているのが見えた。
もう……死にたく……。




