第23話「重複不可(ダブル・エラー)」
カードリーダーが、限界に近い高鳴りを上げた。
俺は「必殺の札三:スコーピオンショット」をスリットに滑らせる。かつて葬った自衛官の「最長射程の殺意」が、プログラムとして再起動し、俺の「将」の右腕を巨大な多脚砲塔へと作り変えていく。
蠍座が最後まで銃口を下ろさなかったことを、俺は覚えている。いや、覚えていない。記録として残っている。記録と記憶は違う。記録はデータだ。記憶は熱だ。熱はない。だがデータはある。その差分だけを使って、引き金を引く。
「……三枚、同時破棄」
狙撃のロックオンカーソルが、砂に潜むエイの群れを捉えた。前話で読んでいた通りだ。エイが四隅に散らばった瞬間に、照射域が最大になる。その瞬間を待っていた。第六話から学んでいる戦術だ。急いで処理した書類は、後で必ず不備が出る。
だが、室賀大河は動じない。彼は二枚目の、そして最後の「コピーの札」を、自分の影へと静かに落とした。
「占いはね、当てるものじゃない。……『同じ結果』を強制するものなんだよ」
エイの影が、俺の「将」から放たれた狙撃の光を、鏡のように反射した。
――バグッ、という電子的な悲鳴。
俺の網膜に投影されていた射撃解が、反転したノイズに塗り潰される。
『しまっ……! 事務官、回避しろ!』
『嘘でしょ、私の計算を……そのまま私に叩きつけるつもり!?』
脳内の刑事と弁護士が絶叫する。
室賀の「コピーの札」は、駒だけでなく、「発動した技の権限」さえも一時的に複製した。技を出した瞬間に、その技を奪う。申請書を受け取った瞬間に抵当を設定した須藤の手口と、構造が同じだ。受理した瞬間を、攻撃の起点にする。この街の「書類の暴力」は、全員、同じ場所を狙ってくる。俺が動いた瞬間を。
空を裂く、三条の閃光。
それは俺が放った「スコーピオンショット」と全く同じ軌道、同じ出力で、俺自身の陣営へと降り注いだ。
――無音の爆発。
俺の「車兵」が砕け、「士」が蒸発し、最前線を守っていた「兵」たちが塵へと還る。圧倒的な火力が、自分自身の手によって、自分の「盤面」を更地へと変えていく。自分の一手が、自分を壊した。窓口業務で言えば、自分が押した処理印が、自分の書類を無効化したようなものだ。そういうことが、できるのか。できた。記録として、今、それが起きている。
【マブイ残量:5 → 2】
ドクン、という鼓動が、これまでにない冷たさで脳を叩いた。
俺の中から、「色彩」の最後の欠片が消え去った。これまで僅かに感じていたグレーのグラデーションさえも消え、視界は完全な「白」と「黒」、そしてデータの「線」だけになった。
感覚の棚卸しをする。視覚:白黒のみ、色彩消失。それ以外の感覚:全消失確認済み。残っているもの:視覚(白黒)、圧力の輪郭(消失進行中)、「業務を続ける」という執務命令。
それだけが、まだある。
それだけじゃない。
「恐怖」を失っていたはずの意識に、もっと無機質な、「空腹」に似た「欠損の焦燥」が湧き上がる。穴が開いている感覚だ。感覚がないはずなのに、欠けていることだけが届く。喪失の感触が、喪失した感覚の代わりに来る。これを名付ける言語が、もう半分しかない。タグだけが残る。「欠損」「焦燥」「未処理」。
「あ……が……」
膝をつく。触覚のない俺の手は、コンクリートの硬ささえ掴めず、ただ視界が激しく上下する。三度目ではない。もっと多い。だが今回は違う。今までは立てた。今は、立てるかどうかが分からない。計算する。マブイ残量二。執務命令:残存。物理的な起立の可否:不確定。
「予言通りだ。君の『継ぎ接ぎ』は、自分自身の重みで崩壊する」
室賀が、エイの背に乗って、平面の世界をゆっくりと近づいてくる。俺の「帥」の前には、もはや護衛の駒は一体も残っていない。
俺は、その場面を見ている。白黒の視界で、データの線だけで構成された盤面を見ている。色がないと、逆に線が鮮明だ。護衛の欠如が、輪郭だけになった世界では、より明確に見える。帥が孤立している。事実として記録する。
「さあ、業務終了(終局)だ。……君の残りのマブイ、僕の『エイ』が美味しく写し取らせてもらうよ」
エイの鋭い尾が、俺の喉元へと突き付けられる。
室賀が「写し取る」と言っている。写し取った後の俺はどうなるのか。コピーが俺の権限を持つ。原本は空になる。空になった原本は、どうなるのか。窓口で言えば、内容を全部転記された書類だ。転記元は不要になる。シュレッダーに入る。
そういうことだ。
――あつい。
――かえせ。
脳内の死者たちの声が、今は遠い。近いはずだ。だが遠く聞こえる。マブイ残量が二まで落ちると、声の伝達効率も落ちるのかもしれない。それとも、死者たちが距離を取っているのか。消えていく器に、しがみついていていいのか、三人とも迷っているのかもしれない。
俺は、白黒の視界の中で、瓦礫の向こうに眠る「最優先保護対象」の影を見た。
カプセルの輪郭が、白黒のデータとして、壁の向こうにある。色がなくても、形は残っている。そこにある。まだ、ある。
……不備だ。
……こんな結末は、記録できない。
受理できない。受理してはいけない。この結末に「受理」の判を押すことは、俺の業務権限の範囲外だ。窓口担当者に、自分の窓口を閉める権限はない。それは上長の判断だ。上長はいない。不在だ。不在の場合は、開け続ける。業務が完了するまで、開け続ける。
俺の指は、もはや駒を動かす力を失いつつあった。
だが、「失いつつある」と「失った」は、違う。
まだ、完了していない。
引き出しの中の三枚の駒が、今、同時に脈動している気がした。
気がした、ではない。データとして届いている。圧力の輪郭として、まだ届いている。
蟹座が言っている。牡牛座が言っている。蠍座が言っている。
内容が判別できない。だが三人が同時に、同じ方向を向いていることだけは分かる。
俺は、指に残っている最後の圧力を、駒に向けた。
「――……受理、します」
声は出ているはずだ。
声に、抑揚はない。




