第22話「原本破棄(原本照合)」
第22話「原本破棄(原本照合)」
無音の議場に、金色の砂が舞う。
室賀大河の「エイ」が、盤面の砂の下に潜り込み、俺の「兵」の足元を影のように弄んでいる。砂の動きだけが見える。実体がない。輪郭がない。存在を確認しようとするたびに、砂がその形を変える。第四話の路地で見た赤い光に似ている。だがあれは遠ざかった。これは近づいている。
『おい、事務官。あいつ、俺たちの駒をジロジロ見てやがる。……写し取る気だぜ』
『不快ね。私の「完璧な論理」を、あんな胡散臭い占いの道具にされるなんて……』
脳内で刑事と弁護士が毒づく。二人が同じ方向に不快感を示している。珍しいことではなくなった。議場が成熟している。死者たちが、俺の優先事項を共有し始めている。
俺は、感情の消えた指でデッキの天面をなぞった。そこには、新たに生成されたカードリーダーが、スリットを赤く光らせて鎮座している。
このリーダーがいつ生成されたのか、俺には記録がない。気づいたら、あった。感覚が削れるほど、認識の速度が上がる代わりに、プロセスの記録が飛ぶことがある。結果だけが残る。今の俺の認識系はそういう構造になっている。
「……原本の、照合を開始する」
俺は、懐から一枚の黒いカードを取り出した。かつて俺が「受理」した死者たちの魂が凝縮された、処刑のライセンスだ。刑事の殺意、弁護士の演算、蠍座の射程。三者の最も鋭い部分が、一枚の薄いカードに収まっている。
「――必殺の札一:シザーズクラッシュ」
リーダーにカードを滑らせる。シュッ、という物理的な摩擦の感触が、触覚を失ったはずの左腕に、電子的な信号として直接流れ込んだ。温度はない。だが、圧力だけがある。カードが認証された、という事実の重さだけが届く。
「面白いね。君の中に溜まった『未練』を、そんな安っぽいカードリーダーで読み込ませるなんて」
室賀が笑い、一枚の「コピーの札」を宙に放った。
札がエイの影に触れる。瞬間、俺の「騎兵」のデータが写し取られ、二体の「偽物の騎兵」が、砂の中から飛び出した。コピーの速度が速い。スキャン時間がほとんどない。弁護士が言っていた通りだ。砂の下で、俺の盤面の情報を読み続けていた。
偽物の騎兵は、本物と見分けがつかない。動きのパターンも、マブイの周波数も、同じだ。原本と複製の照合が、視覚だけでは不可能だ。
「君の動きはすべて占めている。そのハサミが届く前に、僕のエイが君の喉元を――」
「……いいえ」
俺は、無音の喉で「受理」を宣告した。
「占めている」という言葉が、一瞬だけ引っかかった。占う。先を読む。だが俺の動きを先読みするには、俺が何者かを理解しなければならない。俺自身が自分の名前を失い、顔を失い、感情を失っている。コピーできるのは、今ここにある構造だけだ。喪失した部分はコピーできない。だとすれば、俺のコピーは俺より脆い。
「……複製の作成は、著作権の侵害にあたります。……原本の意思に基づき、当該データの『完全抹消』を執行します」
俺の「将」の右腕が、巨大な蟹のハサミへと変形し、白熱したマブイを噴射した。
バチンッ。
シザーズクラッシュ。単なる破壊ではない。対象の「存在理由」そのものを噛み砕く、事務的な強制終了だ。コピーされた騎兵には、原本に含まれている「未練」がない。死者たちの意志が、そこにない。空の器が形だけを真似ている。だから、一撃で割れる。
コピーされたエイの騎兵が、一瞬で光の塵へと還る。
室賀の顔から、余裕の笑みが消えた。
「な……!? コピーした駒の耐久値を無視して、一撃で……!?」
「……バックアップのないデータは、消えればそれまでです」
窓口業務で、毎日やっていることだ。原本のない書類は受理しない。根拠のない申請は差し戻す。コピーに効力はない。それは一年目の先輩に教わった原則だ。記憶が削れても、この原則だけは残っている。
【マブイ残量:5】
心臓が、一度だけ重く脈打った。
俺の中から、「温覚」の残滓さえも完全に消滅した。さっきまで感じていた、マブイの「熱さ」さえも、今はただの「出力数値の上昇」としてしか認識できない。
感覚の棚卸しをする。視覚:モノクロームで機能中。聴覚:なし。触覚:圧力のみ。温覚:今回消失、完全喪失。平衡感覚:MPの残滓として変質済み。立体感覚:なし。疲労感、吐き気、空腹感、痛覚:全消失済み。睡眠欲:消失済み。
残っているもの:視覚、圧力の輪郭、そして「業務を続ける」という執務命令。
それだけだ。それで、まだ動ける。
『……やるじゃない、事務官。次は自衛官の「スコーピオンショット」で、あいつの本体を引きずり出しなさい』
『いいや、弁護士。ここは「エンドオブザ・ワールド」で、この占い館ごと更地にしてやろうぜ!』
脳内の死者たちが、俺の指を次のカードへと急かせる。珍しく、提案の内容が違う。二人が別の手を主張している。だが方向は同じだ。どちらも「次に動け」と言っている。議長は俺だ。どちらの手を選ぶかは、俺が決める。スコーピオンショットは精密だ。エンドオブザ・ワールドは広域だ。対象が砂の下に隠れているなら、広域の方が有効かもしれない。だが広域攻撃は、自分の「将」の情報も更に露出させる。
判断を保留する。次のターン、室賀の動きを見てから決める。
室賀は、二枚目の「コピーの札」を握りしめ、後退した。彼の「エイ」たちが、盤面の四隅へと散らばり、砂の下で複雑な幾何学模様を描き始める。包囲だ。四隅を押さえて、盤面全体をスキャン領域にしようとしている。どこに「将」を動かしても、読まれる。
だが、盤面全体を読むには、全体を照射する必要がある。照射すれば、エイの位置も露出する。罠を張るために、自分の位置を晒す。その瞬間が、狙い目だ。
「……まだだ。まだ、僕の『運命』は終わっていない。……君のその『継ぎ接ぎの体』、僕がもっと美しく写し取ってあげるよ……!」
美しく写し取る。室賀はそう言った。継ぎ接ぎを美しいと思っている。それは誤認だ。これは美しくない。刑事の暴力と弁護士の詭弁と自衛官の射程が、整合性なく混在している。美しくないからこそ、予測不能だ。美しいコピーには、美しくない原本の予測不能性が、入らない。
俺は、リーダーの上に次のカードを構えた。
エイが四隅に散らばる瞬間を、待っている。
待つことは、第六話から学んでいる。急いで処理した書類は、後で必ず不備が出る。
「――次の札、構えます」
声は出ているはずだ。
声に、抑揚はない。




