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からくり戦棋  作者: 水前寺鯉太郎


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第21話「遺落(データ・ロス)と予言」

第21話「遺落データ・ロスと予言」


「――次の方。整理番号、四十六番。どうぞ」

 無音の世界。自分の声がマイクを通じてスピーカーから流れているのか、俺には確認する術がない。ただ、目の前の電光掲示板の数字が切り替わるのを確認し、次の「案件」を待つだけだ。

 瓦礫の撤去が進まない「死役所」のロビー。天井の一部が落ち、外の酸性雨が床を濡らしている。臨時の窓口は、本来の窓口があった場所ではない。瓦礫を片付けて、折りたたみ式のテーブルを置いた場所だ。それでも、列ができている。死亡届の列は、今日も途切れない。

 臨時の窓口に置かれたのは、一通の死亡届だった。

 【氏名:雨宮 陣】

 【死亡原因:対局による全損(蛇使い座による魂の剥奪)】

 俺は、その名前を無機質な視線で走査した。

 脳内の「最優先保護対象(梓)」のデータベースにおいて、この氏名は「父親」という属性に紐付けられている。だが、今の俺には「父親」という概念の熱量が理解できない。タグとして存在している。タグが指す感情が、どこにもない。第十九話で防犯カメラ越しに見た男が、今、書類になって俺の前にある。処理する。それだけだ。

『……おい、事務官。こいつ、あの「ペガサス」かよ。蛇の野郎に喰われちまったのか』

『民法上の相続順位に変動が発生したわね。……でも、今の彼には「遺産」を悼む感情すら残っていないみたい』

 刑事と弁護士が脳内で論評する。正確な観察だ。悼む、という動詞の意味は分かる。だが、その動詞を実行する機能が、俺の中にない。

 俺はただ、印影が滲まないよう、事務的に「受理」の判を押した。

 これで、最優先保護対象の親族データは消滅した。梓に会いに来るはずだった人間が、今日の業務の一件として閉じていく。ガチャン、という処理印の音を、俺は聞けない。振動だけがある。それで充分だ。

 【マブイ残量:5】

 ドクン。

 心臓が一度、重く脈打つ。

 俺の中から、「眠気(睡眠欲)」が失われた。

 脳が強制的に二十四時間稼働を維持する「オーバークロック状態」へと移行する。安らぎという機能が、システムの維持費として徴収された。いつ眠っていたのか、もう覚えていない。眠れなくなったことに、気づかなかった。感覚の棚卸しをする。睡眠欲、消失。確認した。処理済みとして記録する。

「……受理、しました。次の方」

 次に現れたのは、書類を持たない男だった。

 派手な刺繍の入ったローブを纏い、奇妙な静寂を帯びた男。室賀大河。その背後には、深海を泳ぐ「エイ」のような平たい駒が、ゆらゆらと実体化を待っている。書類がない。死亡届でも申請書でもない。整理番号を持っていないはずの人間が、次の番号で呼ばれた位置に立っている。

 列に並んでいた記録がない。いつからそこにいたのか、認知が飛んでいる。第十話の使者と同じパターンだ。俺の認知が飛ぶか、この男自体がそういう存在か。どちらでも対応は同じだ。問診する。

「……お役所仕事も大変だね。自分の名前を忘れてまで、死者の列を並べ替えるなんて」

 室賀は、窓口のアクリル板越しに、俺の「顔」ではない「何か」を覗き込んできた。顔を見ていない。俺の内側の何かを見ている。鑑定するような目だ。データを取っている顔だ。影に似ている。だが影は何も言わなかった。この男は言葉を使う。

「君の未来を占ってあげようか。……いや、君にはもう『未来』なんて不確定なものはない。あるのは、書き込まれるのを待っている『記録』だけだ」

 室賀が、二枚の札をカウンターに置いた。【コピーの札】。相手の能力や駒を複製し、自分の一部として書き換える「偽造」の力だ。

 俺は、その札を見た。偽造。書類業務において最も重大な違反の一つだ。文書偽造は、記録の整合性を破壊する。俺が二十話分かけて処理してきた記録が、偽造されれば全て無効になる。感情的な脅威ではない。業務上の脅威だ。対処が必要だ。

『……こいつ、占い師か。気に入らねえな、鼻が利く奴は』

『……気をつけなさい。エイの紋章……砂の中に隠れ、獲物の「影」を写し取る。……あなたの「継ぎ接ぎ」をコピーされたら、法的な同一性が崩壊するわ』

 弁護士の警告が、珍しく速い。分析が先で警告が後のいつものパターンではない。即座に警戒を示した。「法的な同一性の崩壊」。弁護士が最も恐れる類の問題だ。コピーされた俺と本来の俺が同一の権限を主張した場合、どちらの「受理」が有効か。手続き上、判別できなくなる。

 俺は、感情の消えた瞳で室賀を見返した。

「……占いは、業務外です。ご用件がなければ、お引き取りを」

「用件ならあるさ。君という『完成しつつあるバグ』を、僕の盤面(運命)に写し取っておきたくてね」

 完成しつつあるバグ。俺の現状の分類としては、正確かもしれない。名前を失い、感情を失い、感覚を失い、言語が半減し、死者の声が三つ共存している。通常の対局者の定義には当てはまらない。バグと呼ぶのは、一つの正確な記述だ。だが、バグは削除されるか修正されるかのどちらかだ。コピーされるものではない。

 ガチャン、と。

 修復しかけたロビーの床が、再び金色の幾何学模様へと変貌する。

 室賀大河のデッキが、砂の中から這い出るように展開された。車兵三、騎兵四。そして、俺の「将(継ぎ接ぎの駒)」をじっと見つめる、二枚の不気味な札。盤面を解析する。攻撃力よりも、俺の駒の構造を読むことに特化した配置だ。コピーするためのスキャンだ。先に「将」を動かせば、構造を読まれる。だが動かさなければ、看破される前に詰められる。

 どちらに転んでも、「将」の情報は露出する。ならば、露出する前に動く方が、まだ選択肢がある。

「……これより、……『不確定要素』に対する、強制監査を開始する」

 俺は「兵」を前に進めた。「将」ではない。「兵」だ。盤面の前線を動かす。コピーの対象を分散させる。窓口業務で言えば、最重要書類を棚の奥に入れて、別の書類を先に処理する動作だ。相手が何を狙っているかが分かっているなら、狙われるものを先に隠す。

 雨宮陣は死に、乙女座の看護師は逃げ延びた。

 須藤は保留案件だ。山名も保留案件だ。影も、計算を組み直している。全部が同時に動いている。その中で今、俺の前には「コピー」を使う男が立っている。

 世界がどれほど歪もうとも、俺の指先は、ただ次の「不備」を正すためだけに動く。

 【マブイ残量:5】

 俺の脳内で、刑事、弁護士、自衛官の三者が、静かに戦時体制を整えた。

 刑事:空間把握。弁護士:コピー権限の法的無効化を検討中。蠍座:スキャンの死角を計算中。

 三人が分業している。議場が、議論をやめて実務に入った。

 コピーされる前に、動く。

「――次の手、処理します」

 声は出ているはずだ。

 声に、抑揚はない。

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