異能戦争はなぜ起きない?
九
豪奢な大理石の卓上に並ぶのは、一般市民の常識を絶するほどに絢爛豪華な晩餐の数々。
主菜として中央に座するのは、世界最高峰の和牛たる神戸牛、その中でも一頭から僅か数百グラムしか取れない幻のエンペラー・ブリアンの極厚ステーキ。表面には惜しげもなく純金箔が散りばめられ、一流の料理人の神業とも言える絶妙な火加減で香ばしく焼き上げられている。ナイフを入れる前から、その中心部が官能的なまでのレア状態を保っていることがありありと伝わってくる。肉の旨味を引き立てるため、敷き詰められた色鮮やかな温野菜の上に恭しく乗せられており、別皿には水晶のように透き通った新鮮な朝摘み野菜のサラダが添えられている。
そして、その傍らに置かれているのは、またしても世界最高級の代名詞たる赤ワイン、シャトー・マルゴー。
薄く繊細なカッティングが施されたクリスタルグラスに注がれた深紅の液体は、空気に触れることでこの世のものとは思えないほどに非常に芳醇な香りを周囲に漂わせている。
「はっ、博士っ。本当にいいんですか、こんな信じられないほど高級なお店で……」
星ヶ咲針我は、目の前に広がる垂涎の豪華な食事にキラキラと目を輝かせていたが、手に持った重厚な純銀製のナイフとフォークがふと止まる。どう好意的に見積もっても、一端の女子大生の一食として許容される範疇を大きく超えており、あまりにも高価すぎる。万が一自腹を切れと言われれば、ひと月のアルバイト代が軽く吹き飛ぶ計算になり、思わず恐縮してしまう。
「全く構わんさ。君のような、世界的に見ても極めて稀有な多重属性持ちの強力な能力者を、こうして私の手元に置いて間近で常に観察し、貴重なデータ収集が出来るんだ。君の能力がもたらす天文学的な学術的価値からすれば、こんな食事代など安い投資くらいだよ。それに、いつもしてくれる私のラボや本館の片付けの労いも兼ねているからな」
苑奈アゲハは余裕の笑みを浮かべてそう言い放ち、慣れた手つきでナイフとフォークを鮮やかに操り、自身の極上ステーキを優雅に切り分けて口へと運ぶ。
ここ、東京の摩天楼の最上階に位置する完全会員制最高級餐房、<パスチォ>は、国家の枢要な人物や、一握りの世界的VIPのみが入店を許される、超一流の完全予約制レストラン。
本日、星ヶ咲と苑奈は共にプライベートの時間を過ごしており、日々の過酷な──主に物理的な労働の労いも兼ねてと、もちろん苑奈のポケットマネーの奢りで彼女に連れて来られた次第だ。通された席は、下界の喧騒を完全に遮断した高層ビルの最上階、防音が施された完全なる個室。
全面ガラス張りの広大な窓の外には、七色のネオンが眩く光る、眠らない大都市の街並みがどこまでも広がっている。高度に発展した科学技術の象徴たる幾何学的な高層建築群と、柔らかな光が複雑に融合し、息を呑むほどに美しい東京の夜景を形成していた。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて、遠慮なくっ。いただきますっ!」
星ヶ咲は元気よく両手を合わせ、最早遠慮を捨てて目の前の極厚ステーキにナイフを入れる。力を入れるまでもなく、スッと刃が沈み込む。切り分けた肉をフォークで刺し、思い切って大きな口に運ぶ。
その瞬間、脳天を突き抜けるような衝撃が走った。舌の上でとろける究極に柔らかいヒレ肉。圧倒的な肉厚から溢れ出す、爆発的で濃厚な肉汁と甘み。噛むほどに広がる至福の味わいに、自然と彼女の頬がだらりと緩む。
「お、美味しい……」
感極まったような震える声がぽつりと零れる。続けて、グラスを満たすシャトーマルゴーを一口含む。上質な葡萄の芳醇な深い味わいと、絹のように滑らかで繊細なタンニンが、肉の脂を綺麗に洗い流しつつ、口内に洗練された香りの余韻を長く残していく。お酒が好きで好物の赤ワインはこれまでも色々飲んできた星ヶ咲だが、間違いなく彼女の二十一年の人生において、今までで一番美味しい、至高の味わいだ。
「はっ、博士っ。これ、凄いですっ。お肉は信じられないくらい柔らかくてほっぺたが落ちそうですし、ワインも、とても、とても美味しいですっ。こんなに美味しいもの、私初めて食べましたっ」
声を弾ませ、感動のあまりうっすらと嬉し涙を含みつつ、ばっと眼前の美しき天才博士に顔を向けた。苑奈もまた、愛らしい助手の素直な反応に満足げな笑顔を浮かべ、丸メガネの位置を中指でクイッと直しつつ頷く。
「それは良かった。エンペラー・ブリアンなど、私のように金持ちでないとこうしてお目にかかる機会は少ないだろうし、このシャトー・マルゴーもだ。今年は気候の巡りがちょうど重なった奇跡の当たり年だから、葡萄の出来はここ百年の歴史で見ても最高のものだ。さ、今日は私が全て持つ。いくらでも飲み食いしていいからな。好きなだけ、心ゆくまで食べるとよい」
「はいっ! ごちそうになりますぅ!」
星ヶ咲はもはや言葉も少なく、夢中になって極上の料理を食べ進める。究極に柔らかい肉を口いっぱいに頬張り、この世に生まれて生きててよかったと、心の底から深く痛感する。そして、肉の合間につまむサラダもまた格別だ。提携する無菌農園にて、本日の早朝に収穫されたばかりの新鮮な野菜のみを使用しているらしく、葉の一枚一枚がシャキシャキと心地よい音を立て、野菜本来の濃厚な甘みとみずみずしさが口いっぱいに広がる。
星ヶ咲は最高級のステーキを優雅に堪能しつつ、ふと窓から眼下に広がる外の景色に目をやった。
夜空を縦横無尽に飛び交う流線型のエアカーの群れはもちろんのこと。その車両の周りには、親友の紫怨よろしく自らの足元に丸い光の円盤を創り出し、それに乗りサーフィンのように空を飛ぶ者、背中から直接猛禽類のような立派な翼を生やして滑空して飛行している者、浮遊能力を駆使して直接空中にふわりと浮いている者、はたまた重力を無視して虚空の階段を踏み歩いている者たちなど、多種多様な能力を駆使する一般市民の集団が見える。全人類が何らかの特異な異能を生まれながらに保持する、異能普遍社会の日常の光景。
このように、航空機に頼らずとも、自らの身一つで空の領域で自由に活動できる能力者も世界には数多存在する。
国家が定める能力自由行使法により、もちろん他者の権利や公共の福祉を大きく害さないと規定される安全な範囲において、空域での異能の自由な活動は法的に認められている。
そして、目覚ましい科学の発展により、反重力機関を搭載した空飛ぶ車は既に一般市民の足として広く普及している。そのため、無秩序な事故を防ぐべく、広大な空にも目に見えない空道路が厳密に設けられている。都市の上空には淡く発光する光のレールが幾重にも敷かれており、車や飛行能力者はそこを通行する義務がある。このレールには特殊な重力波干渉帯が常時発生しており、仮に空中でエアカーの衝突事故などが起きても、搭乗者や車体はそのまま地上へは墜落せず、緩やかにレール上に落ち、激突寸前で強力な反重力のクッションに受け止められるという極めて安全な形になっている。
そして、空を自力で飛ぶ飛行系の能力持ちの市民が、突然の体調不良や能力の枯渇により万が一空中で異能が保てず真っ逆さまに落ちたとしても、瞬時に最も近い軌道へと引き寄せられ、車と同じように反重力網に安全に受け止められるという完璧な救済の仕組みが構築されている。もちろん、空のどこもかしこも網の目のように安全装置を設置してしまうと、空間がごっちゃになり景観を損ねる上、本来の高高度の空域を移動する大型の旅客機や、緊急車両のヘリコプターなどが通れなくなるため、地上の道路網と比べるとその敷設範囲は控えめではあるが。
だが、そんな平和で煌びやかな夜景を見下ろしながら、星ヶ咲は常々に心の中で大きな疑問に思っている事がある。
全人類が例外なく何らかの異能を保持し、そして自分のように、もし制御を失えばたった一人で世界を滅ぼせるほどの強大な可能性を持った危険な存在も、この社会には確かに紛れているのだ。
義務教育の歴史の授業で誰もが真っ先に習う一般常識だが、今より前、未だ科学のみが世界の真理であった旧時代と呼ばれた時代。
かつて地球の至近距離を横切った謎の巨大な隕石──<天墜御神石>に付着した未知の宇宙ウイルスが地球の大気へ降り注がれた事により、瞬く間に全人類の遺伝子が書き換えられ、突如として異能力に目覚めたとされる、大混乱の異能黎明期たる二十一世紀。
人類全員が凶器ともなり得る力を持ったと言うのに、これまで歴史の教科書に載るような、世界を二分するような大きな異能戦争などは一度も起きていない。もちろん、地域紛争や特定の小国によっては小規模な戦争は起きてはいるが、第三次世界大戦と呼称されるレベルの地球規模の破壊事象は一切発生していない。それどころか、旧時代より比べて、人類は異能などただの日常の道具に過ぎないという驚くべき適応精神を発揮し、社会全体で俯瞰して見れば、格段に平和で安定した世界になっている。
「アゲハ博士。お食事中に少し。ひとつ、個人的な疑問を訊いてもよろしいでしょうか?」
ワイングラスを置き、日本が世界に誇るトップクラスの能力研究者の第一人者たる苑奈アゲハに、ずっと胸の奥に抱えていたその疑問をどうしても訊きたい衝動に駆られた。
「ん? なんだね。遠慮なく言い給え」
苑奈は極上のワインをちびちびと舌の上で転がし、芳醇な香りを味わいつつ鷹揚に返す。
「どうして、この歴史の中で、能力により国の覇権を巡るような大きな戦争が一度も起きていないんでしょうかね? 普通に考えたら、皆が強力な力を手にした途端、思想や宗教の違いから異能による世界規模の大規模な戦争が起きて、人類の文明はとっくに崩壊しててもおかしくはないと思うんです」
星ヶ咲は、真面目な顔つきと口調で真っ直ぐに尋ねる。彼女の指摘は突飛なものではない。実際、世間やネットの掲示板などでも同じことを思っている人は大勢おり、度々議論の的になるテーマだ。苑奈もまた、先程までのふざけた態度から一転して研究者としての真面目な顔つきになり、フォークを静かに置いた。
「答えは極めて単純明快だ。わざわざ戦争を起こすだけの合理的なメリットが、どの国家や組織にも存在しないからだ。異能という奇跡の力が世界に普及したことにより、既存の石油やレアメタルに代わる、無尽蔵でクリーンな新たな資源も、永久機関に近い未曾有のエネルギーも次々と生まれた。ならば、旧時代のように乏しい資源や領土を無闇に血を流して奪い合う必要もない。むしろ、世界中が異能の文明的利用によるインフラ整備や経済・技術発展に躍起になっていて、大規模な戦争なんて時代遅れなことをしてる暇などどこにもないのだろう。ま、能力による強盗やテロといった個人レベルの犯罪は、黎明期には大なり小なり頻発したらしいがね」
苑奈は一切の迷いなく、キッパリと言い切った。
「しかし。私のように、意図せず強大な破壊の力を保持してしまった人も少なくはないです。それなのに何故、弱肉強食のディストピアにならず、異能普遍社会がこうして高度な秩序を保って成り立っているんでしょうか」
「そんな簡単なことか。何故かって? 針我くん、それは他でもない、君自身の身をもって一番よく分かってるんじゃないか」
「え? どういうことですか?」
彼女の意図を汲み取れない。星ヶ咲は首を傾げ、返しの意味が分からないと顔をしかめる。
「言葉の通り、そのままの意味さ。君の持つ、その強大な能力だよ。自身の感情の揺らぎに呼応してしまうという厄介な成約はあるとはいえ、その天候や気象を自在に変える神にも等しい能力で、意図的に無関係な人を傷付けたり、憎しみから街を破壊してやろうなどと、本気で考えた事はこれまでの人生で一度でもあるだろうか?」
「まさか。そんなこと、絶対にありませんよっ」
星ヶ咲は、即座に、そして強く首を横に振って否定した。
「だろう? それこそが、君の疑問に対する最も明確な答えだ」
苑奈は得意げに言い切り、再び上品な手つきでステーキを小さく切り、口に運んだ。
「全然答えになってませんってっ。それは、私がたまたま平和主義で、そんな邪悪な意思がなかっただけの個人的な話ですよ」
食い下がるように言う。苑奈は動じない。
「なら、少し視点と考え方を変えて見ようか。旧時代的なぶっとんだ空想の思考実験になるが、銃社会という概念が世界中の全ての国に適応され、老若男女問わず、全人類に等しく強力な銃火器が一斉に配られたと仮定する」
「はい」
「それで、法律が撤廃され、今日から全員好きに自由に使って良い、となった場合。世界はどうなると思う?」
「それは……旧時代の映画<パージ>のような、血で血を洗う、恐ろしい地獄絵図になるんじゃ……」
星ヶ咲は凄惨な光景を想像し、言葉を濁し口ごもる。苑奈は彼女の内心を見透かしたように、薄く笑う。
「確かに、一部の反社会的な荒くれ者やチンピラは、己の欲望を満たすために嬉々として引き金を引いて使うだろう。だが……善良な一般市民以前に、ほとんどの人は、例え自衛のためであっても、赤の他人に銃口を向けるなど、それも確実に相手の命を奪う殺人など到底不可能だろう。人間には、長年の社会生活で培われた高度な理性と、他者の痛みを思いやる倫理観がある」
「まぁ、そうですね。言われてみれば」
星ヶ咲も、苑奈のその意見には納得し同意する。
いくら一市民が致死性の武器を持ったからとはいえ、タガが外れていきなり無差別に殺人など出来るはずがないと。苑奈はワイングラスを揺らし、話を異能の世界である今に戻す。
「いや、今の例えは少し極端すぎたな。だが、我々人類の身体に宿る能力というものは、ただ指先で冷たい引き金を引くだけの無機質な銃とは根本的に性質が違う。異能は、己の血肉であり、魂の延長のような身体の一部なんだよ。実際、自身の能力による直接的な殺人は、まるで素手で相手の命を絞め殺すようなひどく生々しい感覚を伴うため、刃物で刺したり銃で撃つよりも、遥かに強い心理的抵抗と嫌悪感がある、という詳細な統計データが、過去アメリカのある能力学会でも公式に発表されていた」
苑奈は雄弁に、まるで大学の講義のように淀みなく続ける。
「それにだね。我々人類が発現する能力の大部分は、指から小さい火を出したり、少し紙を浮かせてみせたり、爪の色が変わったりと、大概が実にささやかで、日常のちょっとしたくだらない事にしか使えない程度の微弱な能力ばかりだ。仮に、この私のように圧倒的な戦闘にも長けた強能力を持った者が一部にいたとして、だからと言って、その強者が全て血に飢えた好戦的思想を持つ訳じゃない。そして、国家が強権を発動し、そのような多種多様な能力者達を無理やりかき集めて過酷な軍事訓練をさせ、規格化された兵士の軍隊にするのも、軍事戦略的に見れば異常なほど効率が悪すぎるんだ。能力の性質というのは個人の資質によって千差万別だからな。銃の射撃のように訓練内容を一つに統一出来ないし、個別の育成コストも桁違いに高い。おまけに、先程言ったように人に向ける心理的抵抗感も強烈だ」
「あ、確かにそうですね。大昔の史実で、フランスの軍部が強力な異能者だけを集めた無敵の軍隊を作ろうとしたけど、結局個別の専用装備の開発や、個性が強すぎる故の連携不足で維持コストの方が跳ね上がってしまい、計画が完全に頓挫したって話は知ってます」
星ヶ咲は、以前図書室で暇つぶしに読んだ海外の能力の論文の内容をふと思い出して言う。
「その通りだ。能力開発ジムで使用される仮想霊子などという便利なホログラムもあるが、あんなものは軍事用には使えん。それに何より恐ろしいのは、部隊内でクーデターや反乱が起きた場合、その制圧が絶望的に難しくなる点だ。異能という力は、銃や刃物といった物理的な武器と違って、捕虜にしたからといって外部から容易に取り上げられないからね。実際、アフリカの貧困地域で、極めて強力な能力を持った子供を軍閥が無理やり誘拐して洗脳し、少年兵士にしようとした結果、激しい反乱を起こされ、逆にその軍閥の基地ごと一晩で跡形もなく壊滅させられたなんていう恐ろしいケースもある。軍隊という絶対的な指揮系統において、制御システムで完全に抑えられない不確定な力など、兵器としては以ての外だ」
「確かに。総合的に考えると、軍事利用するにはメリットよりもデメリットの方が圧倒的に高いですね」
「そうさ。結局、不確実な能力なんかでわざわざ戦うのではなく、遠くから無人ドローンや精密誘導ミサイル、強力な銃火器といった完成された近代兵器を使った方が、遥かに安上がりで手っ取り早い。君のように、戦略核兵器すら凌駕するほどのデタラメな力を持つ、国家指定広域殲滅級凶悪能力クラスすら軽く凌駕する者など、世界を見渡してもほとんど存在しないからな。仮に今後、大国間で大規模な戦争が起きるのだとすれば、部隊の補助や大規模破壊能力者はそれも併用するなど、多少は異能も混ざるだろうが、主力となるのは旧時代と遜色ない、科学の粋を集めた近代兵器同士の衝突になるはずだ」
これみよがしに、わざとらしく両手を大きく広げて見せた。
「ここはご都合主義で満ちた漫画やアニメ、映画のファンタジー世界ではない。不確実な魔法のような能力よりも、合理的に作られた銃火器や化学兵器の物理的破壊力の方が、よっぽど冷酷で強く、現実的な脅威だ」
ふふ、と自嘲気味に笑ってみせる天才博士。星ヶ咲も深く納得したように頷く。
「言われてみれば、本当にそうですね。私もたまに旧時代の能力バトル漫画とか映画を見てて思うんですけど、そんな非効率な能力で戦うくらいなら、後ろからこっそり銃を撃てばすぐに解決して良くない? とはいつも疑問に思っていました」
星ヶ咲はふむふむと、考え込むようなポーズを作り、顎を抑えて見せる。
「ま、長々と語ってしまったが、要するに世界を巻き込んでまで、わざわざ異能による大戦争をする意味や経済的メリットが、どの国にも圧倒的に少ないというのが現実的な理由だな。それに能力なんてものは、争いに使うのではなく、極めて私的に利用し、我々の平穏な日常をほんの少しだけ豊かに、便利にするくらいが丁度いいのさ」
苑奈は話を綺麗に締めくくり、グラスに残っていた芳醇なワインを一気に喉へと煽った。
「あー、なんだか折せっかくの美味しいお食事中なのに、辛気臭くて難しい話しちゃってすみません。私のくだらない疑問のせいで」
星ヶ咲は、場の空気を重くしてしまったことを恥じ、申し訳なさそうに眉を下げて俯く。
「いやいや、全く気にする必要はない、いいんだよ。むしろ、無知なまま盲目的に生きるより、そういった世界の真理に対する純粋な疑問は、私の前ではどんどん口に出して言ってくれて構わん。君の思考の成長を見るのも、また私の楽しみの一つだからね」
苑奈は優雅に肩をすくめ、先程の厳しい研究者の顔から一転し、年上の女性らしい包容力のある優しい微笑みを向ける。
「とは言え、せっかくの至高の料理を前にして、血生臭い戦争などという生々しい話をするのは、少々ディナーの雰囲気が重々しくなりすぎる嫌いはあるがね」
「あっ、ですね。配慮が足りませんでしたっ。すみません」
「ははは。まぁ、世界の成り立ちに興味を持つこと自体は決して悪くない。もし今日の話の続きに興味があり、かつ暇があるのなら、私のラボの奥底にある書庫に、異能普遍社会の歴史や能力に関連する難解な専門書が山のようにある。それを自由に読むといい。とりあえず、今は難しいことは一旦忘れて、目の前のこの上なく豪華な食事を、ただ純粋に楽しもうじゃないか」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
星ヶ咲は苑奈の優しさに触れ、安心したように満面の笑みで微笑み、再び眼前の美しく輝くエンペラー・ブリアンと、芳醇な香りを放つシャトーマルゴーに向き直る。
重厚なナイフで丁寧に切ったレアの肉をフォークで口に運ぶ。
もぐもぐと幸せそうに咀嚼しつつ、窓の外の平和な夜景を見つめる。
圧倒的な力を持つ人類が、理性を保ち、互いを尊重し合いながら生きるこの美しい世界。
この優しく煌びやかな平和が、何時までも途切れることなく永遠に続きますように、と。
心の中で密かに。
しかし強く、そう祈り思った。




