筮麽vs三人娘
引き続き散歩をしつつ、ぼんやりと景色を眺めていた筮麽。
その時。
「くおらっ! 亜鳴蛇っ!」
突如として、背後から底冷えするような、ドスの効いた野太い声が鼓膜を震わせた。のんびりと白昼夢に浸っていた筮麽は、その騒々しい呼声に対して極めて気だるげに、ゆっくりと首を巡らせて振り返る。
そこに見参していたのは、如何にもな不良然とした装いで金髪を風に靡かせる威丈高な女生徒、河海斬呼。そして彼女の背後には、オレンジ色の髪をショートヘアにした普並木杏璃と、茶髪を綺麗なボブカットに整えた黒角鏡乎という、いつもの見慣れた取り巻きの二人が所在なげに佇んでいる。
「あー、なんだっけ? 君たち」
心底どうでもよさそうに小首を傾げた。一応、彼女の自称・極めて優秀な頭脳の片隅にある長期記憶領域の深層を探れば、朧気ながらも過去の些末な事象として覚えた彼女らの顔は合致するのだが、相変わらず他者への興味が著しく欠如しているため、その認識はひどく曖昧なまま。
「河海だっつの!! いい加減覚えろ、このデカ触手女っ!」
河海は顔を朱に染め、烈火の如く怒髪天を突いて怒鳴り散らした。
そもそも、この河海という女が筮麽に対して並々ならぬ執着と因縁を抱いているのには、極めて個人的かつ思春期特有の青臭い理由が存在する。かつて、筮麽が全く意に介さず無慈悲に振り捨てた、時庵という名の見目麗しい男子生徒。河海はその時庵に対して、長らく密かなる片思いの情を募らせていたのだ。それゆえに、憧れの彼を袖にした筮麽に対して一方的な怨嗟の念を抱き、理不尽極まりない因縁を吹き掛けていた河海だったが、数週間前に威勢よく勝負を挑んだ際は、筮麽の隣にいた柄長の振るう圧倒的な能力の前に、普並木と共に為す術もなく完全に気圧され、あえなく敗走させられてしまったという苦い過去がある。
さらに不運なことに、その直後、肝心の想い人である時庵には既に別学科に親密な交際相手が存在することが白日の下に晒され、河海の淡い恋心は脆くも粉砕され、彼女は完全に意気消沈の底へと沈降していたはず。
しかし、腐っても不良を自称する彼女の反骨精神は逞しかった。彼女唯一の男友達、無我見友成による呆れを含んだ説教を受けたことにより、不死鳥の如く見事に復活を遂げた。
そして現在。彼女は過去の屈辱によりへし折られた己のちっぽけな自尊心を修復し、筮麽への復讐という名の名誉挽回を果たすべく、こうして再び牙を剥いて絡んで来たという次第だ。今回、河海は以前の反省を活かした緻密な作戦に則り、あの厄介な柄長が不在であり、筮麽が完全に単独行動を取っているこの一瞬の隙を狙い澄まして勝負を賭けてきたようだ。
だが、そんな鼻息荒い河海とは対照的に、背後に控える取り巻きの普並木と黒角の二人は、やれやれと深い溜息を吐き出すような徒労感に満ちた表情を浮かべており、義理と人情の板挟みで仕方なく付き合わされています、という受動的な空気が全身からむんむんと醸し出されていた。
「今度こそ絶対に負けないぞっ。見ろ、さらなる修練を積んでグレードアップした私のこの棍棒を!」
シュンッ、という鋭い風切り音と共に、河海の右手に突如として質量を持った物体が具現化した。彼女の固有能力である、棍棒を出す能力の行使。以前まで彼女が愛用していたのは、鉄パイプをベースに無骨な鉄製のスパイクが無数に打ち込まれた、実に野蛮で原始的な形状の棍棒。しかし現在、彼女の手の中に握られているのは、組成される鉄の純度が飛躍的に上昇したのか、太陽光を鈍く反射して黒光りする、極めて流線型で殺傷能力の高そうな洗練された鋼鉄の棍棒へと進化を遂げていた。
「あー、じゃああたしも一応やっとくか」
黒角は面倒くさそうに両手を胸の高さまで持ち上げる。すると、彼女の白魚のような両手が、手首から先にかけて急激に硬質化し、まるで最高級のダイヤモンドのように透明感のある煌びやかな輝きを放ち始めた。
拳を宝石に変える能力。
物理的な打撃力と防御力を極限まで高める、シンプルながらも実戦的な異能。
「う……」
だが、残る一人である普並木は、怯えた子犬のように身をすくませていた。彼女は指先から電気を出す能力という、本来であれば攻撃的な異能を保持しているのだが、以前対峙した際の、筮麽が振るった身体から触手を出す能力の圧倒的な禍々しさや、柄長の放つ莫大な電波の恐怖がフラッシュバックし、脳裏を黒く塗り潰しているのだ。
ただでさえ己の出力の低い弱能力に対して強いコンプレックスを抱いている彼女は、とてもじゃないが、この学内最強と謳われる眼前の化け物に再び立ち向かう気力など、微塵も湧き上がってはこないようだ。
「普並木っ! あんたもシャキッとするの! 腐っても戦闘向け能力でしょ! この数週間で、あんたのその電気の火力だって、少しはマシに上がったんでしょ!」
弱腰の仲間を見かねた河海が、黒光りする棍棒の切っ先を突きつけて、叱咤激励という名の恫喝を喚き立てた。
「う、わ、わかった。やってやるぅ!」
半ば自暴自棄になった普並木が、涙目になりながら両手の指先を突き出し、そこから青白い電気の火花をバチバチと走らせた。
以前までの彼女の能力出力は、せいぜい市販の護身用スタンガン程度の、相手を痺れさせるだけの貧弱な火力。だが、厳しい特訓の成果か、現在は少しばかり高出力の業務用スタンガン程度には火力が底上げされており、空気を焦がす特有のオゾン臭が周囲に漂い始めていた。
「えー……」
戦意を高揚させる三人娘を前にして、筮麽の反応はどこまでも冷淡だ。彼女はただただ、この上なく非常に面倒くさそうに秀麗な眉をひそめている。
そもそも、筮麽の観点からすれば、彼女ら三人全員の能力は既に以前の戦闘───という名の蹂躙の際に自身の精神海へとコピー済みであり、これ以上干渉したところで新たな能力の恩恵を得られるわけではない。さらに言えば、彼女たちが美味な食事や高価なレストランを奢ってくれるような金づるであるはずもなく、関わることの生産的メリットは、筮麽の打算的な計算式においては完全に皆無に等しかった。
以前であれば、横にいる柄長に全てを任せ、彼女のその生真面目な性格ゆえに適当に相手を引き受けて、適度に叩きのめしてくれるのだが、あいにく今はその便利な防波堤が不在。故に、この鬱陶しい羽虫の群れは、自分自身の非生産的な労働によって直接対処し、速やかに払い除けなければならないのだ。
とはいえ、時計の針を確認すれば、午後の退屈な講義が始まるまでには、まだいくらかの空白の時間が残されている。筮麽は、これも食後のちょっとした腹ごなしであり、良い暇つぶしになるだろうと極端に思考のハードルを下げ、少しだけ相手をしてあげるという慈悲の選択を下した。
彼女は上着のポケットから気怠げに左手を引き抜き、空に向けて軽く掲げると、親指、人差し指、そして中指の三本の指先を異形へと変化させた。戸籍上、彼女の能力として登録されている能力。
身体から触手を生やす能力。
彼女の細い指先は瞬く間に質量を増殖させ、まるで最新鋭のメッキ加工が施された金属のように、妖しくも美しいメタルヴァイオレットの光沢を放つ三本の極太の触手へと変貌を遂げた。しかし、その見た目の金属的な硬質感とは裏腹に、触手の先端部分はまるで噛み終えた後のガムのように、ぷにぷにと柔らかいクッション状の材質へと意図的に変質させてある。これは、脆弱な一般生徒である彼女らに致命的な怪我を負わせない為の、筮麽なりの最大限の温情であり配慮。
「やー」
腹の底からやる気を完全に抜き取ったような、ひどく気の抜ける発声と共に、筮麽から伸びた三本のメタリックな触手が、まるで意思を持つ生き物の鞭のように空気を切り裂いて唸りを上げ、眼前の三人の少女たちへと向かって無慈悲に迫りゆく。
「ふんっ! おらあああっ!」
気合い一閃、河海は迫り来る三本のうちの二本の触手を、両手で構えた黒光りする棍棒で正面から受け止め、強引に弾き返した。ガキンッ、という、肉体から生えたものとは到底思えない、激しく重厚な金属音がキャンパスの静寂を破って鳴り響く。弾かれた触手は生き物のように身を捩り、すぐさま別角度から再び河海へと迫り、触手と棍棒が火花を散らして幾度もぶつかり合う、熾烈な攻防が展開された。
一方、黒角。
残る一本の太い触手を、ダイヤモンドの宝石に変えた両手刀を交差させて堅実に受け止め、そのままその滑らかな表面をなんとか掴み取ろうと苦戦している。
そして、最後の一人である普並木。
彼女は正面切っての戦闘を避け、筮麽の触手越しに直接スタンガン並みの高圧電流を浴びせるべく、触手と格闘する黒角の死角となる裏側へと小動物のように素早く回り込んでいた。彼女の狙いは明確だ。黒角が触手の動きを完全に封じ止めたその決定的な瞬間に、自身の指先から最大出力の電気を直接流し込み、筮麽の本体へと電流を逆流させて完全に痺れさせるという、狡猾なる連携プレイの腹積もりだ。
その間にも、前衛を張る河海の攻防は続いていた。筮麽の操る触手の速度と軌道は、まさに人智を超えた圧倒的な次元にある。
触手が迫る。
防ぐ。
棍棒。
弾く。
客観的に見れば、河海はただ闇雲に棍棒を振り回し、防戦一方のジリ貧状態であるように見受けられ、物理法則を無視した連続攻撃を防ぐだけで手一杯の様相を呈している。だが、不思議なことにその汗ばんだ顔つきは、絶望とは無縁の、奇妙に生き生きとした喜色に満ち溢れていた。
「どうだ亜鳴蛇っ! 見える、見えるぞっ! 今度はあんたの攻撃に、完全に遅れを取らずに対応出来てるぞっ。しかも、一本じゃなく同時に二本もだ! 私はあの時の惨めな自分とは違うんだっ!」
初の邂逅時は、筮麽の触手の動きを視神経で捉えることすら叶わず、一瞬にして反応すらできずに蹂躙された。だが今は違う。視認し、反応し、そして明確に棍棒で防ぐことができている。それも、同時に二本もの予測不能な軌道を描く触手を相手にして、だ。河海からしてみれば、この事実は己の戦闘スキルと動体視力が飛躍的に向上しているという、確固たる自信と自己肯定感に直結していた。
とはいえ、その残酷なる真実はと言えば。
ただの退屈しのぎの暇つぶしという目的しか有していないが故に、筮麽が文字通り「めちゃくちゃに」手加減をして、河海の反応速度にわざと合わせて動かしてあげているというだけの滑稽な茶番劇に過ぎない。もし仮に筮麽がほんの少しでも本気を出そうものなら、この善良なる不良少女三人を、瞬きをするよりも短い刹那の間に地に沈め、物理的に無力化することは赤子の手を捻るよりも容易いこと。
そんな河海の勘違いによる一人相撲を眺めながら、筮麽は依然として気だるげな表情を崩すことなく、三本の触手を指先でキーボードを叩くように自在に操り、適当に三人の少女たちを弄び、あしらい続けている。
「よしっ、ようやく掴んだっ!」
隙を窺っていた黒角が、ついに宝石化した両手で暴れる触手の胴体部分をガシッと力強く抱え込むように掴んだ。
だが。
「うわっ、なんだこりゃ!? て、手がっ! 離れないっ!?」
黒角が勝利を確信した次の瞬間、彼女が強く掴み込んでいた触手の側面の金属的な表皮がグチャリと蠢き、そこから枝分かれするようにまた別の細い触手が無数に生え出してきた。その無数の細い触手は、まるで食虫植物のように黒角の両手を瞬く間に包み込み、強固に拘束した。
そして。
「ひ、ひえええっ! 」
悲鳴を上げる間もなく、そのまま片手をぐいっ、と圧倒的な膂力によって黒角の身体は軽々と地上から上方へと持ち上げられてしまった。
完全に宙に浮き上がり、手足をバタバタと藻掻きながら宙ぶらりんの状態にされた彼女は、為す術もなく完全に無力化されてしまう。
「鏡乎っ! で、でも今だっ! 食らえええっ!」
しかし、その黒角の犠牲によって生じた一瞬の膠着状態という隙を狙い、背後に潜んでいた普並木が果敢にも飛び出した。彼女は宙吊りになった黒角を拘束している触手の根元部分に必死に掴みかかり、己の渾身の力を込めて、青白い火花を散らす最大出力の電気を勢いよく流し込んだ。
バチバチバチッ! という派手な放電音が鳴り響く。
しかし。直撃を受けたはずの筮麽の本体は、眉一つ動かさず、一切動じている気配がない。
「あ、あれ? おかしいな……」
普並木が間抜けな声を漏らし、そう状況を分析する暇すらも与えられなかった。
その触手から分離し、ひょっと生え出してきた新たな触手。普並木の片手をあっさりと持ち上げ、彼女もまた黒角の横へと並ぶようにして無慈悲に宙ぶらりんの刑に処された。
普並木は吊し上げられながらも、自由になっているもう片方の手で必死に触手の表面をなぞり、ビリビリと電気をあて続けるものの、やはり一切のダメージを与える効果がないようだ。
「な、なんで動じてないのっ!?」
「あー、言い忘れてたけど、私のこの触手、絶縁体らしいから。電気は効かないんだ。ごめんね」
筮麽は適当に、しかし残酷な事実を淡々と呟く。触手を通してあらゆる物理干渉が出来ないような設定にしてあるのだ。
その決定的な絶望の言葉に、普並木は顔の血の気を一気に引かせて真っ青になり、全身を硬直させて完全に固まってしまった。
「まぁまぁ、杏璃。気に病むことないよ。元々あたしたちじゃ、どう足掻いても勝てない規格外の相手なんだって、最初から分かってたことじゃない」
隣で同じく宙吊りにされている黒角が、諦めの境地に至ったような穏やかな口調で慰めるが、普並木は己の能力が全く通用しなかったという事実に、またしても深い能力コンプレックスの底へと陥ってしまい、すっかりしょんぼりと項垂れている。
「こらぁぁぁぁっ! 二人とも、何を勝手に諦めムードになってんだ! 国信魂を見せろ! 気合いと根性で何とか脱出しろ!」
ただ一人地上に残り、未だに防戦一方で必死に触手の猛攻を防いでいる河海が、汗だくになりながら大声で叫んだ。
だが。
「あぁっ!? しまった!?」
仲間に気を取られて叫んだそのほんの一瞬の隙を、筮麽の冷徹な触手が見逃すはずもなかった。ひょい、と蛇のようにしなやかに動いた触手の先端が、河海が両手で固く握り締めていた黒光りする棍棒を、いとも容易く絡め取り、そのまま上空へと奪い去ってしまった。
だが、丸腰になろうとも河海の闘志は衰えない。ダッ、と力強く地面を蹴り、彼女は防御を捨てて筮麽の本体へと向け、決死の形相で駆け出した。
「馬鹿めっ。私の能力を甘く見るなっ! 棍棒なら、もう一本じゃあああっ!」
シュンッ、という音と共に、走りながら彼女の手の中にすぐさまもう一本、全く同じ形状の鋼鉄の棍棒が具現化した。ストックは一本だけではないのだ。彼女はそのままの勢いで棍棒を振りかぶり、雄叫びを上げて突撃した。
筮麽の待機していたもう一本の触手が、その渾身の物理攻撃を正面から余裕で受け止めた。
が。
「う、うえっ? な、んだこれ、ひ、引っ付いて……! 取れないっ!?」
激突した瞬間、触手の先端部分の硬度が、噛み終えたガムのようにドロリと柔らかく変化し、さらには強力な鳥餅のような粘着性を帯びて、振り下ろした棍棒の先端にベチャリと強固に引っ付いた。
「わわわっ! ちょっと、まっ、やめっ!」
慌てて棍棒を引き抜こうとする河海であったが、そのままゴムのようにしなやかに伸びた触手は、棍棒ごと河海の両手をすっぽりと包み込み、そして。
ぐいんっ、と。
いとも容易く彼女の身体を空高く持ち上げた。
これで、三人仲良く揃って宙ぶらりんの完成である。普並木と黒角の二人は、もはや抵抗する気力もなく、洗濯物のように大人しく風に揺られて吊られている。
「く、くそう! 離せっ! このやろっ! 卑怯だぞっ、正々堂々と地上で殴り合えっ!」
ただ一人、河海だけが空中でジタバタと手足を無様に振り回して暴れまわっているが、強靭な触手の拘束から逃れられる気配は全くないようだ。
「えー、もう降参すれば?」
「……ひっ!?」
ジタバタと暴れる河海の眼前に、ずい、と。先程筮麽の触手が奪い取った、彼女自身の黒光りする棍棒の冷たい先端が、無言の圧力と共に突きつけられた。己の武器を眼前に突きつけられるという圧倒的な実力差の誇示に、河海は完全に戦意を消失し、先程までの威勢はどこへやら、ピタリと動きを止めて大人しくなった。
主の戦意喪失に呼応するように、空中の棍棒はシュンと音を立てて虚空へと消失した。
「亜鳴蛇~。あたしたちの完敗。そろそろ降ろしてちょうだいっ。降参降参っ」
吊るされたままの黒角が、空いている手でヒラヒラと白旗を振る真似をした。
「んー、おっけー」
筮麽は退屈そうに欠伸を一つ噛み殺すと、三人をそっと地面へと降ろし、展開していた触手群をスルスルと引っこめた。
元の手に戻る。
ようやく確かなる重力を持った地に足がつき、ほっ、と安堵の大きな溜息を漏らす三人。
普並木はすっかり自信を喪失してずーんと暗く沈み込んでおり、黒角がその背中をポンポンと叩いて優しく励ましている。
「く、くそぅ……! 今日はこれくらいにしといてやるっ!」
先程までの戦闘で著しく体力を消耗し、新たな棍棒を出す力も尽き果てたのか、河海は悔し涙を滲ませながら、子供のようにギリギリと地団駄を踏んだ。その姿は、不良というよりも、おもちゃを取り上げられた子供のように滑稽で、どこか憎めないほのぼのとした空気をキャンパスの一角に漂わせている。




