第18話:この世界の片隅で
やがて、世界から国境の意味は無くなる。
人と情報の流れは誰にも止められない。
認識と現実の境界も無くなるのは、もはや時間の問題だ。
照明は最小限。
窓には分厚いカーテン。
多くあるモニタに映し出されているのは一人称視点の映像。
可能な限り射線を避けつつ、自分の居場所を次々と変えていく素早い身のこなし。
視覚外の敵を一瞬で狙いを定める、驚異的な反応速度。
誰がどのように景色を見ているのか分かるよう、それぞれには個体ナンバーが表示されていた。
今、一番大きくモニタ表示されているのは「ヴァルキリー1‐3」。
モニタ脇では戦場データ解析ログが表示され、目では追えないほどの早さで流れていく。得られたデータはすぐさま自己学習へ反映。膨大な数のシミュレーションを行い、新たな戦闘モデルを構築していった。
全てのモニタには共通したマークが映し出されている。
この場には絶対に相応しくないはずの印。
──グノーシスのロゴだ。
だが、その印を見て、驚く者はここにいない。
「これが“Rat Sears Program”の成果。実に素晴らしい」
口を開いたのは男性。
基地司令官ルシアン・ウォードから見て、左斜め前にいる。
アメリカ国防高等研究計画局DARPAの上級職員アラン・フォーサイス。生まれながらの天才肌。常に効率と結果を求める生粋の合理主義者。
彼の言葉を受け、アランの対面に座っているニキル・ラメシュ博士が笑みを浮かべる。
「ええ。私も非常に満足ですよ。彼女はもともとシンガポール支社の研究員で、名前はソフィア・タナカ。今の名前はセレッサ・ヴェインです。見ての通り、新たな人格に適応、ストレス値も許容範囲とそれを裏付けている。もう彼女は立派な兵士ということです。強化スーツについてはノヴァク氏から説明を」
ルシアンの右斜め前の女、ミラ・ノヴァク。
彼女は防衛産業大手エクス・ヴァラー・アームズのCEO。名門ながらも技術者出身のため、その知識量と優れた社交性、人脈の広さはグノーシスも高く評価している。
「では私から。ご覧の通り、戦闘スーツ“ゼスト・マーク5”はヴィクター隊に採用されたものよりも、さらに柔軟かつ環境適応性に優れ、AIによる着用者の行動制御も進化しました。これにより、たとえ新兵であったとしても、歴戦のベテラン以上の高い判断力・敏捷性を獲得。射撃の精度も申し分なく、今後、AIリンクの無人兵器とAIリンクの兵士は標準的なものになっていくでしょう。ただ、民兵相手にそこまでの価値がはたしてあるのか、どうかですが」
「この地で得られる戦闘データとしてはこんなもんでしょう。ここでの活動は社会構造の確立に移る。あのお方にとっては、こちらが本命だ。情報統制・合理的教育による個人の思想形成と社会集団の自由意思操作。途上国で、これは非常に重要なモデルになる」
ミラの説明を聞き終えた基地司令ルシアン。
彼の発言は実に冷淡なものだった。
この国にも、住民にも、何の愛着も感じられない。
彼らにとって、全ては計算されたもの。
反政府勢力の台頭も、国連・欧米諸国の動きも、全部、全部だ。
閃光とともに爆発音が鳴り響き、大気を揺るがす夜の七時。
ベンティウの難民キャンプでは日中、補給物資が大量に届き、診療テント横の備蓄庫はこれまでになく満たされていた。
「ドクター、交代の医師が来るまで休まれては? 患者の容態は安定しています」
「悪いわね。今日で私の担当は最後なのに」
後回しにされてきた患者の対応が可能となり、レイと現地スタッフは今日だけで、百人近くの患者を診ていた。子供から老人まで。
この間、救急患者も通常通り、際限なく受け入れ、レイによる処置を受けていった。
病気であろうと、怪我であろうと、無駄なく、確実な治療を施した。
レイの診察眼、治療・手術手技はもはや魔法か超能力とでもいえるほどのものだった。
それは本物の神業。
いったい、どれほど過酷な現場を経験してきたか。
いったい、どれほど多くの死を体験してきたか。
言葉がなくとも、彼女の動きから、それは伝わってくる。
「いいえ、ドクターには感謝してもしきれません。未熟ながら私も、多くの事を学ばせて頂きました。他の国でも多くの人を救ってください」
「もちろん」
この場をスタッフに任せ、彼女は重傷患者が収容されているテントへ歩き出す。
夜空を切り裂くのはオレンジ色の曳光弾。
時折、地上は赤い光に飲み込まれ、ほんの少しだけ沈黙の瞬間があった。
その後、続くのは決まって銃声。
「ヴィクター2‐2、これより患者の搬送を始める」
「ホーネット3‐1、了解」
目の前ではパラディン・セキュリティ兵がテントから重傷患者を運び出している。
彼らにとってはいつもの業務。
四脚歩行できる無人機に患者を寝かせたまま、彼らは警備所ヘリポートに停まっているヴァンガードへ。
無人機は後脚を伸長させながら、前後の傾きを平行に保ち、開放されたヴァンガードの後部ランプを上っていく。
最終的には機内で足を折り畳み、足場を自己固定。
それは実に器用な動きだった。
機械というよりも、生き物。
柔和かつ有機的な印象を受ける。
ひとりの患者の移送が完了し、続けて二人目、三人目と患者が運び込まれていった。
彼らいわく「設備の整った医療施設への移送」だというが、そんなのは建前だと分かり切っている。
行先は間違いなく、グリーンパールだろう。
その様子を離れた場所から横目で見つつ、レイはキャンプを定期巡回するパラディン・セキュリティ兵の横を通る。
「ドクター、お疲れ様です」
「ありがとう」
はたから見れば、ただのあいさつ。
しかし、実際は違う。
この時、彼女は警備兵からひそかに超小型ボイスレコーダーを受け取っていた。
彼もまた、八咫烏のエージェント。
グノーシスはまだ自らに近づく者を知らない。




