八十四話 幸せな生活と変わらぬもの
「あははははは!」
「レーネ!、笑いすぎよ!」
深緑の森を二人の少女が歩き、先程から大笑いしてるレーネの頭をイデアは叩いた。
「いや、だっていきなりイデアが号泣するからさ、初めて見たぜ、イデアが泣くとこ!」
「レーネ!」
レーネとじゃれ合いながら歩いていると開けた場所に出て、木組みの家が現れた。
見慣れたアルレルトの家である。
「聞いてくれよ、アル!、イデアがさ…」
「レーネ!」
いきなり家の扉を開けて入ったレーネが号泣したことを話そうとしていたので慌てて追って入った。
「それで声を掛けたら急に泣き出したんだよ!」
「それはそれは…」
「もう話してるし…」
頭の上にトビリスのアーネを乗せるアルレルトは異国の羽織りを纏い、腰に刀を差して台所に立っていた。
レーネの話を聞いていたアルレルトは現れたイデアに気付いて笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、イデア」
「えっ、う、うん、た、ただいま、アル」
聞き慣れたはずのアルレルトのおかえりという声が妙に気恥ずかしくしてイデアはしどろもどろになってしまった。
「おい、イデア。なんで今更顔を赤くしてるんだよ?」
「あ、赤くなんかしてないわよ!?」
不思議そうに顔を覗き込んでくるレーネを押し退けて、イデアはアルレルトの隣に立った。
「アル、手伝うことはある?」
「はい、この鍋を見ててください。泡がブクブクしだしたら教えてください」
「任せて」
イデアは真剣な表情で腕まくりして鍋を覗き込んだ。
「レーネ、今度は先生とネロを呼んできてくれませんか?、裏の畑にいると思いますので」
「りょーかい」
軽快な返事を残してレーネは台所から去っていった。
しばらく料理をしていたアルレルトと鍋を交互に見ていたイデアにアルレルトが話し掛けた。
「レーネが突然泣いたと言っていましたが…」
「それはツッコまないでよ、恥ずかしいんだから」
「ふふ、申し訳ありません」
どこか楽しそうなアルレルトにイデアは無言で嘆息した。
しばらく沈黙が続き、料理をする音だけが響いたがイデアは隣にアルレルトがいるだけで安らぎを感じていた。
そして騒がしい気配が家へ近づいてきた。
「いやいや、ネロ君、この薬が完成すれば作物が倍になるんだよ!?」
「そんな怪しい薬使えるか!、前に畑の一帯が死滅したの忘れたのか!?、アルレルトに怒られたのは私なんだぞ!」
「先生もネロも喧嘩するなよ、別にすぐに先生の魔術で治るんだからいいじゃん」
「その下準備の為に死滅した野菜を片付けたのは私だぞ!」
「あれ?、そうだっけ?」
「レーネ、ぶっ殺す!」
一気に家が騒がしくなり、わちゃわちゃした雰囲気が満ち始めた。
このままではネロが暴れ回って、家が壊れるので料理を完成させたアルレルトとイデアは居間に戻った。
アルレルトがネロの暴走を止めて、叱りレーネとサルースの悪ふざけを注意した。
イデアは料理を配膳しながらその光景に目を細めていた。
(温かいわ、皆がいる、レーネがいる、こんな生活がずっと続けばいいのに)
そこまで考えてふと違和感を感じて、胸に手を当てた。
(あれ?、この胸にポッカリと穴が空いたような感覚は何?、なにか大切なものを忘れているような…)
「イデア、皆座ってるよ」
「うぇ!?」
いつの間にか獣化したアーネに声をかけられたイデアが顔を上げると皆は既に席に着いていた。
慌てて自分の席に座ったイデアを見たアルレルトが音頭を取って食事が始まった。
相変わらず騒がしく楽しい食事であっという間に食事は終わってしまった。
しかし一度抱いた違和感はなかなか消えない。
「なにか忘れてる気がする?」
イデアはそのことをアーネに相談した。
いつもなにか困ったことがあればレーネに相談するのがイデアの常だった。
「うん、なにか大切なことを忘れてる気がするのよ」
「イデアが言うから本当なんだろうけどオレは精神干渉系は得意じゃないしなー」
茶化してくることも多いレーネだが真剣な悩みはちゃんと聞いてくれるのが彼女の良い所の一つである。
「イデアがそこまで気にするなんて余程大事なことなんだろうな」
「うん、そんな気がする」
自分の行動原理の根幹を支えていたなにかだったような気がしていた。
「行動原理か、なんのために生きてるのか。それを考えればいいんじゃないか?」
「なんのために生きてるのか?」
「そう、人間は生きたい理由があるから生きてるんだ。イデアの場合はそうだな……アルと生きるためとか!」
「真面目な話をしてるのに茶化さないでよ!」
レーネの妄想は断固して否定しつつレーネに言われたことを真剣に考えてみることにした。
「ありがとう、レーネ。いつも私の相談に乗ってくれて」
「親友を助けるのは当たり前だろ?」
片目を瞑って笑ったレーネにつられてイデアも笑みを返した。
レーネと話せたことで幸せな気持ちのまま、ある人を探して歩いてると美しい白桜が佇む小さな平原が現れた。
「ヴィヴィアン、こんにちは」
「グルゥ」
草っ原の上での翼を閉じて寛いでいたヴィヴィアンに挨拶すると、低い唸り声で答えてくれた。
その頭の上にはトビリス姿のアーネがいた。
『アル様に用事?』
「ええ、そうよ」
イデアの答えを聞いたアーネは興味を失ったのか、あさっての方向を向いてしまった。
目当ての人であるアルレルトは目を瞑って腕を組み白桜の幹に身体を預けて佇んでいた。
家で雑事をこなしていなければ基本的に彼は大切な師匠の墓である白桜の下にいるのだ。
「ーーー」
イデアの気配にはとうに気付いているだろうが彼が目を開ける気配はない。
白桜が奏でる自然の音に聞き入っているのか、それとも木の下にいる師匠と話しているのだろうか、イデアにはよく分からない。
ともかく彼の邪魔をしないようにイデアは近付いて、彼から少し離れてアルレルトと同じように目を瞑って幹に身を預けた。
「「ーーー」」
小鳥の囀り、木々がしなる音、草を撫でる風の音、自然の音が鮮明に聞こえた気がした。
「アル、私大切なものを忘れたの、思い出したい。でも皆と一緒なら別に忘れててもいいってそう思う私もいるの。どうすればいいと思う?」
一瞬呼吸したような音が聞こえ、彼が口を開いた。
「俺はこの世には変わらぬものがあると思います。例えば俺がどれだけ強かろうと師匠は救えなかったでしょう」
彼の声音に悲しみが混じるがそれは決して悲嘆にくれたものではなかった。
「これと同じかどうかは分かりませんがイデアは変わらぬものを変えようとしているのでしょう。しかし受け入れるべきです、それは変わらぬものだと」
「受け入れることができたら思い出せるかな?」
「はい、これは俺の勝手な思い込みかもしれませんがイデアの大切なものは変わらぬものを受け入れた先にあると思いますから」
(変わらぬものを受け入れた先にある)
目を開けて、拳を握り黒杖と白杖を抜いたイデアの目元から自然と涙が溢れてきた。
「この場所では泣いてばっかりね、でももう受け入れたから」
涙を拭ったイデアは杖を構え、全てを終わらせる魔術を唱える。
「"古の理よ・虚を否定し・真を受け入れ・現へ回帰せよ!"」
膨大な魔力によって世界に亀裂が走り、揺らいでいく。
「イデア!」
「イデア君!」
「リーダー!」
いつの間にか集まった皆がこちらを引き止めるように名前を呼んでくれた。
「ありがとう、皆。まやかしでも楽しかったわ。レーネ!、最期に話せて嬉しかったわ!、貴女の夢は私たちが叶えるから!」
世界が消えて全てが真っ白になる中、イデアは確かにレーネが笑ったのを目にした。
「"幻夢打破"!!」
幸せな夢は崩壊し、清濁併せ呑んだ少女は現実に戻ってきた。
「馬鹿な!?」
夢の世界が壊れた衝撃で跳ね飛ばされたカイゼルは驚愕を露わにして反射的に杖を振るうが、風の刃は同じ風の刃で相殺された。
「人の心をよくも弄んでくれたわね、お前らだけは絶対に許さないわ、ここでくたばってもらうわよ、"第一魔鎖限定解除"」
二本の杖が十字に切られると鎖が千切れる音が響き、覚醒した《双杖》がレーベンの空に顕現するのだった。
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