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七十四話 治外法権と不可能の治療


「酷いよ、腰巾着君。さっき私ごとアルレルトを殺そうとしたでしょ?」


瀕死の重症を負っているにも関わらずニュクスは気安い口調で中空に佇む知り合いと思われる魔術師に話し掛けた。


「貴様は自分がどれほど疎まれているのか知らないのか?」

「本当に酷いなー、何度も君たちのために働いてあげたじゃん」

「貴様のような狂人、葬れる時に葬るべきだ。それにその傷では長くは持たんだろう」


魔術師リアドの言う通り、ニュクスの傷は明らかに致命傷でその証拠にニュクスの顔色は白を通り越して士気色だった。


それはニュクスの隣に立つアルレルトも同様でこちらは爪による一撃で引き裂かれている為、ニュクスよりも出血量は多い。


リアドの言葉は事実を指しており、ニュクスとアルレルトが死ぬのは時間の問題だった。


「しかし人獣を守る剣士を瀕死に追いやったのは評価しよう、そのままどちらかが死ぬを待っても良かったが…」


アーネによって屋根にめり込んでいた巨大な獣、灰色の巨狼は顔を上げて空間の裂け目からその巨体を顕にした。


「光栄に思え、私自ら手を下してやろう」


リアドは愉悦に満ちた邪悪な笑みを浮かべて、長杖をアーネを向けた。


「っ!!」

「ガオオオォォ!!」


本能的に危険を察知したアーネは後ろに跳び、その間に灰色の巨狼が突っ込んできた。


「くっ!、アル様、逃げて!」


アーネは目一杯の力で灰狼を受け止めると、後ろのアルレルトに声を掛けた。


「(アーネを置いて逃げるわけないじゃないですか、というよりほとんど動けないのですが)」


アーネの声はアルレルトの耳にもちろん届いていたが、アルレルトは気絶しそうな意識を何とか留めるのに精一杯だった。


「アルレルト、お願いがあるんだけど腰巾着君の注意を引ける?、一度だけでいいから」

「?」


アルレルトは多量の出血で霞む意識の中、ニュクスの声を聞き取り首肯した。


「無駄だ、人獣!、大人しく捕まるがいい!」

「五月蝿い!、このままじゃアル様が…がっ!!」


灰狼に頭突きを食らったアーネはアルレルトたちの前まで転がった。


「今!!」


ニュクスの声に従ってアルレルトは黒鬼を捨てて、懐に手を突っ込み手帳を在らぬ方向へ投擲した。


「何っ!、っ!?」


アルレルトが投げたものが手帳であることに気付いたリアドが其方に注意を向けた瞬間、ニュクスの背中から生えた影の羽がアルレルトとアーネ、そして黒鬼を掴むと、後ろへ跳び上がった。


「お前!?、何を!?」

「黙ってろ!、私たちもまだ運が尽きてなかったってことだよ!」


アーネは抵抗したが、意味のわからないことを言うニュクスの影は解けず三人は背後の建物の芝生に墜落した。


正確にはニュクスの影の羽がクッションとなったので三人共に落下の衝撃は受けなかった。


「魔女め、無駄な抵抗を…まさか……この場所は!?」

「へへ、残念だったね。腰巾着君」


「治療院の敷地内で戦闘は禁止だよ、まさか忘れたわけじゃないよね?」


ニュクスが焦りを浮かべるリアドを嘲笑うと、低い声音が聞こえて白衣を身にまとった美女、否、美青年が現れた。


「先生、死にそう!、助けて!」

「ニュクス君、君は治療院を便利な避難所だと思ってないかい?、隣の彼は見た事ないけど二人共重傷だね」


ニュクスとアルレルトの傷を見た美青年は一瞬視線を鋭くすると、二本の杖を抜き二人に向けた。


「ニュクス君の傷口は綺麗だけど黒髪君は酷いな、ズタボロだ」

「貴方はアル様を助けられるの!?」

「もちろん、どんな傷や病でも私に治せない患者はいないよ。サルース先生に任せてくれたまえ」


絶対の自負と慈愛が篭ったサルースの笑みにアーネは圧倒されて言葉を失ってしまった。


「まずは止血だ、"血止帯(ブラッドシール)"」


サルースの杖から光が溢れるとアルレルトとニュクスの傷口をその光が覆い、とどめなく流れていた二人の血が止まった。


「"快癒(ヒール)"、黒髪君は本当に酷いな。そこの君、二人を運ぶのを手伝ってくれないかい?」

「分かった、アル様は私が運ぶ!」


アーネは近くに落ちていた黒鬼を拾って、アルレルトの鞘に納めてから既に気絶したアルレルトを抱きかかえた。


「くっ!、悪運の強い奴らめ!」


リアドは去っていくアルレルトたちを見て歯噛みするしかなかった。


レーベン唯一の治療院はどのような勢力でも手を出せない治外法権なのは周知の事実であり、アルテレス派で大きな力を持つグレスベルトの後ろ盾を持つリアドですらも手を出せないのだ。


『トビリスちゃんが手に入らなかったのは残念だったね、リアドが出し惜しみしてるからだよ』

「黙れ、お前が人獣を無傷で捕らえろなど言う難しいことを頼んできたせいだろう!」


灰狼から聞こえてきたオーリックの声にリアドは怒鳴り返した。


『ええー、でもリアドは了承したじゃない』

「グレスベルトさんの前で断れるわけないだろう!」

『ごめんって、トビリスちゃんはともかく手帳は手に入ったんだしグレスベルトには僕の方から取り成してあげるよ』

「その言葉違えるなよ?」

『りょーかい』


念を押したリアドの言葉にオーリックは軽く返して、リアドはキレそうになるが何とか抑えて、灰狼と共にその場から去るのだった。


◆◆◆◆


一方、サルースに連れられて治療院の中に入ると数人の職員が走ってきた。


「急患だ、すぐに治療の体制を整えてくれ」

「「はい!」」


サルースの指示を受けた職員たちはテキパキと動き始め、サルースの目配せを受けてアーネはその背に着いていき、多くのベッドが並ぶ部屋に連れていかれた。


「黒髪君をベッドに寝かせてくれ、あとその剣は治療の邪魔だから取ってくれると助かるよ」

「分かった」


治療の邪魔と言われれば拒否することができるはずもなくアーネはアルレルトの剣帯に差されていた黒鬼を抜き取った。


「よし、まずは溜まった血を抜かないといけないね、"鮮血操作(ブラッドコントロール)"、"天癒(ノアヒール)"」


止血したとはいえそれは血が体外に流れなくなっただけであり、アルレルトとニュクスの体の中には傷口から溢れた血が様々な臓器に溜まっているのだ。


溢れた血は治癒魔術の邪魔になるため、癒す前にそれを取り除く必要があった。


サルースは止血の魔術を取り止め、血を操る魔術により、アルレルトとニュクスの血を抜き取り、中空に球体にして浮かべた。


傷口からさらに出血しないように治癒魔術で少しずつ癒していくのも同時並行で行なった。


「ーーー」


アルレルトの傍で見守るアーネはサルースの絶技に唖然とする他なかった。


そもそも治癒魔術は一般的に傷を癒す魔術と思われがちだが、その本質は人体の自然治癒力を大幅に向上させるというものである。


その為、怪我だけでなく病も治すことが出来るのが治癒魔術の特徴ではあるが、治癒魔術の弱点として体力が衰えている者を癒すことは出来ないというものがある。


体力が衰える者とは年老いた老人などを指すが、大怪我を負った者もこれに該当する。


つまり常識的に考えれば致命傷を負ったアルレルトとニュクスを治癒魔術で癒すことは不可能なはずである。


しかしその不可能を可能にしているのがサルース・リューランという治癒師(ヒーラー)だった。


今、目の前でアルレルトが死の淵から回帰しつつあるという事実にアーネは滂沱の涙を流した。


「ありがとう、ありがとう、アル様を助けてくれて」

「感謝するのは早いよ、獣耳君。彼らの完治にはもう少しかかる。生憎と傷が深過ぎて一息には癒さないんだ」

「アル様が助かるなら何日でも待つ」


断言したアーネを見たサルースは頬を緩めた。


「安心してくれ、そんなに待たせないよ。"久癒(イルヒール)"」


サルースが魔術を唱えると薄い光がアルレルトとニュクスを包み、輝き続けた。


中空に浮かべていた二人の血は職員が持ってきた桶に移し、さらに別の魔術を唱えた。


「"力癒(スタミナヒール)"、これでひとまず治療は終わりだよ」


赤い光が二人を包むとサルースは杖を納めて、治療の終了を告げた。


「アル様はいつになったら起きる?」

「かなりの深手だったから正直分からないというのが本音だ、待つしかないよ」

「そっか」


端的に返したアーネ自身もそこまで答えに期待はしていなかった。


何よりもアルレルトが生きているという事実が大事でアーネはベッドに横たわるアルレルトの傍で彼が起きるのを待つことにした。


「獣耳君、私は戻るけど何かあったら大声でサルース先生と呼んでくれ」

「分かった」

「見守るのもいいが君も休んだ方がいいよ、ベッドは空いてるから好きに使ってくれ」


部屋から忠告を残してサルースが去り、癒しの光が輝き続ける中アーネは夜が明けるまでアルレルトを見守り続けるのだった。

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