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二十九話 イデアの日記と諍い


迷宮(ダンジョン)に初めて潜った翌日の早朝、アルレルトとアーネは日課の鍛練を行なっていた。


「シュ!」


霞む速度で振るわれるアーネの拳を片手で受けて、流しながら逆の手で掌底を打ち込んだ。


「うぐっ」

「攻撃が素直過ぎます、魔獣相手にはそれで構いませんが人間相手ではそうなりますよ」

「…アル様が強すぎるだけ」


人獣の耐久力で回復したアーネは口を尖らして、悪態をついた。


「確かにアーネより強いのは確かです、でも俺と一緒に鍛練したいなら俺の技を受け流せるようにならないとダメです」

「アル様の技、どうやって学ぶ?」

「教えてあげます、と言っても神風流の体術を会得するのは大変ですよ?」

「アル様!、僕は根性がある!」

「言いましたね、試してみましょうか」


アーネはその時初めてアルレルトの悪い顔を見た気がした。


◆◆◆◆


アーネを百回ほどぶん投げて地面に打ち付けたら、気絶したのでヴィヴィアンに預けたアルレルトはイデアの部屋の前に立っていた。


「俺です」

「あっ、今行くわ」


扉をノックして声を掛けるとほとんど間を置かず、イデアが出迎えた。


「おはようございます、朝食に誘いに来たのですが……何かしていたのですか?」

「えっ?、あー、あれね」


アルレルトが目にしたのはイデアが向かい合っていたであろうテーブルの上に広げられた一冊の本だった。


イデアが奥に戻ったのでアルレルトも部屋の中に入った。


「日記みたいなものかな。賢者フルルに弟子入りしてから起きたことを物語風に書いてあるの」

「日記ですか、俺には馴染みが薄いものです」

「普通はそうよ、私だって親友に進められなかったら書いてないわ」

「少しだけ見てもいいですか?」


イデアが椅子に座ったのでその向かいの椅子に座ったアルレルトは興味本位で聞いてみた。


「ダメよ、結構恥ずかしいことも書いてあるし完成したら一番に読ませてあげる」

「完成ですか?」

「うん、世界三大秘境全てを攻略したら完成よ。それまでは見せてあげない」


本を閉じたイデアはローブの懐に丁寧にしまい込んだ。


「目標は遠いですが完成は楽しみです、イデアにはどれほどの文才があるでしょうね?」

「そうやってからかうなら見せてあげないわよ?」

「別にからかってはいません、本当に気になっているだけです」

「本当かしら?、まぁ、どの道最初に読んでもらうことになると思うけど…アルはその前にアルテイル文字を書けるようにならないとね?」


イデアの指摘にアルレルトは渋面を作るのだった。


◆◆◆◆


「文字の勉強を否定する気は毛頭ありませんがイデアが朗読してくれれば良いのでは?」

「恥ずかしいから嫌よ、教えてあげるから勉強しましょう。難しくないわ、まずは二十八個のアルテイル文字を覚えるところからね」


復活したアーネが宿屋の酒場に向かうと、アルレルトとイデアが何やら押し問答をしていた。


最終的にはイデアが勝ったようでアルレルトは苦い表情はしつつも納得しているようにも見えた。


相変わらず仲が良い二人に微笑ましい気持ちになったアーネはトビリスの姿でテーブルの上に乗った。


「(アル様はイデアと仲が良い)」

「私とアルが打ち解けるには時間が掛かったのよ?」

「(しれっと伝達魔術に割り込まないで欲しい)」

「あら、ごめんなさい。でも秘密の会話じゃなければ聞いてもいいでしょ?」


アルレルトに話し掛けたのに、答えたイデアにアーネは抗議の目を向けたが、自分より格上の魔術師かつ悪気はなさそうなのでため息をつくに留めた。


「イデア、俺とアーネの会話を奪わないでください」

「私はただ二人の会話に参加したいだけで…」


アルレルトに叱るように言われたイデアは少し肩を落としてしまった。


「アーネ、その伝達魔術とやらを俺とイデアの二人に発動することは出来ないのですか?」

「(無理、ローデス派の魔術師は複数の魔術を発動するのは苦手だし伝達魔術は高度な魔術で…)」

「(だったら魔力回路を通さずに魔力波で発動すればいいのよ)」

「「!?」」


突然頭の中に響いたイデアの声にアルレルトとアーネはイデアの顔を見た。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない、魔術は思考の柔軟性が大事よ、それに私は《双杖》、魔術の改良はおちゃのこさいさいよ」

「おちゃのこさいさいって初めて聞きました」

「今はかっこつけてるんだからツッコまないでよ!」


抗議するイデアに対してくすくすと笑うアルレルトをよそにアーネはイデアに言われた方法で伝達魔術を発動してみた。


「(アル様、イデア、聞こえてる?)」

「はい、よく聞こえます」

「私にも聞こえたわ、成功ね」


思わぬ魔術の進歩を挟み、イデアの魔術語りを止めようとしたアルレルトを今度はアーネが止めようとして混沌した状況に陥りながらも朝の時間は過ぎていくのだった。


◆◆◆◆


朝はのんびりとした時間を過ごしたが、イデアは目下の問題を解決しなければいけなかった。


探索役(シーフ)なんだけど候補はいたのよ、パーティーメンバーを募集する依頼を使って数人見つけたの」

「誰もいないと言うことは断られたのですね」

「いいえ、もっと酷かったわ。詳細は省くけどね」


イデアの瞳に怒りと悲しみの二つの色が映ったことに気付いたアルレルトはイデアの頭を優しく撫でた。


「ち、ちょっと!」

「何があったかは聞きませんが、ギルドには行きにくいのならば俺とアーネで行ってきますよ。依頼(クエスト)はまだ有効ですか?」

「依頼はまだ有効よ、それと私も行くわ、私はパーティーのリーダーなんだから」


そんな会話を経て、バーバラの冒険者ギルドに来たわけだが、建物に入った瞬間イデアを小馬鹿にするような声が多数聞こえてきた。


「おい、あの女」

「まだ帰ってなかったのか」

「隣の剣士は初めて見るな」


アルレルトへの好奇の視線ももちろんあったが、大半はイデアに注がれる冷淡な視線の数々だった。


「…?」


そんな中アルレルトは全く別の種類の視線を感じて、その方向に目を向けると小柄な覆面の冒険者と目が合った気がした。


直ぐに人混みに紛れて消えてしまったが、()()の視線で見られたのは初めてだった。


「どうかしたのアル?」

「はい、今…」


イデアに先程のことを伝えようとして目の前に大男が立っていることに気付いた。


「帰れ、小娘。冒険者ギルドは遊び場じゃねぇんだよ」

「はぁ?、随分な物言いじゃない。貴方に私を追い出す権利はないわ」

「身の程を弁えろと言ってんだ、このギルドにお前の味方は一人もいねぇってことにさっさと気付け、バカが」


額に青筋をたてたイデアが杖を抜く前にアルレルトが前に出た。


「取り消してください、先程の侮辱」

「あん?、何を取り消せだと?」

「イデアに吐いた侮辱の言葉を取り消せと言ったのです、取り消さないのならそれ相応の覚悟をしろ」


イデアはアルレルトが初めて怒っていることに気付けたが、目の前の大男は残念ながら気付けなかった。


「はははは、おい、お前ら聞いたか?、覚悟をしろとさ!、覚悟をするのはてめぇの方だ!」


大男は警告なしで拳をアルレルトの顔面に向かって放った。


アルレルトは一瞬で拳の軌道を見切り、難なく躱した。


「なっ!?」

「警告はしました」


アルレルトが大男の顔面に拳を放とうした瞬間、拳が届く前に大男が吹き飛んだ。


「うおぉ!!?」


暴風に攫われたように吹き飛んだ大男は近くのテーブルに激突した。


アルレルトはイデアが杖をホルダーに仕舞ったのを見逃さなかった。


「ーーー」


イデアは人差し指を唇の前に持ってきて沈黙を要求してきたのでアルレルトは静かなため息を履いて、拳を下ろした。


「てめぇ!、何しやがる!?」

「俺は何も彼が勝手に吹き飛んだだけです」

「舐めた口聞きやがってぇ!」


大男の仲間の一人と思われる男がとぼけるアルレルトにキレて、剣を抜こうとした瞬間声が掛かった。


「おうおう、今日も朝から変わらず騒がしいな、ここは。喧嘩してる奴ら、面白そうだから俺も混ぜろ」


アルレルトが振り向くと、数人の伴を連れた金髪の青年が仁王立ちしているのだった。


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