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あまりやる気の無いパン屋は最近閉店時間を若干早め、その後キラルは料理教室を開催していた。
パン屋の近所に飲食関係の屋台が建ち、家で料理をするより屋台でテイクアウトした方が時間も節約できて経済的だという考えが徐々に広まりだした。
すると今まで家で料理をしていた専業主婦達が集まり、じゃぁ自分達もテイクアウト店を出そうという話になり、独自性を持たせるためにキラルに相談に来た結果の料理教室だった。
そしてその生徒達が次々と成功しているのを見た別町内の主婦達もマネを始め、街には次々と飲食屋台や自宅を利用したテイクアウト店が増え広がり外食産業が活気づき始めていた。
しかしきっかけは『あのパン屋』で自分も食事をしたいと考えた一人の主婦が、自分の自由になる時間とお金を得るために考え頑張った結果だという事を知る人は居ない。
主婦は家で家事だけをするのが当たり前だった考えを覆し、外に出て働く自由を勝ち取ったとも言える。
それに主婦達にとって朝食を提供する者、昼食を提供する者、夕食を提供する者、軽食を提供する者と、自分に都合のいい時間と内容で活動できたのも良かった。
短時間決戦で利益が上がればいいという気楽さも主婦にとっては都合が良かったのかも知れない。
そして主婦ネットワークでキラルの料理教室の噂はあっという間に広がり、パン屋以上に大盛況となり今は予約待ち状態だった。
キラルが丁寧に生徒の相談に乗り、提供する料理を一緒に考え、安定した物が作れるまで面倒見るという親切仕様なのも人気の理由だ。
それに店の調理場はあまり広くなく、一度に沢山の人に教える事ができないので、要望があれば生徒の家へ出向き教えるのも喜ばれた理由かも知れない。
やはり自分の使い慣れた道具と場所で作る方が覚えも早いのだろう。
「先生、コレって先生の作ったのと全然違っちゃうんですけど何でかしら?」
キラルは以前仲間として一緒に旅していたエルフから『シェフ』と呼ばれていた事があったのを思い出し、『先生』と呼ばれた事にちょっとくすぐったさを感じた。
「キラルと呼んでください。肩書きで呼ばれるのは好きじゃないので」
「どうしてです? だって私達にとっては先生は先生ですよ?」
「ではアマニィさんは奥さんと呼ばれるの好きですか? 自分にはちゃんとした名前があるのにと思った事ありませんか? それにここに居る人達はみんな奥さんですよね」
「ええ、でも」
キラルからしたらその他大勢の『奥さん』という肩書きで呼ばれるのは、例えば自分を『精霊』と呼ばれ数多の妖精や精霊と一緒くたにされているのと同じだと思っていた。
契約した少女に『キラル』という名前を貰い、光の精霊として少女と繋がったからには自分個人をきちんと認識して欲しいという思いが強かったのだ。
しかしアマニィはキラルの言う事に納得がいかないのか考える素振りも見せず口をへの字にした。
「あなたはアマニィという一人の女性なのに、この先ずっと旦那さんの奥さんでお子さんのママであなた個人を認識される事なく生きて行くのですか」
キラルの問いにアマニィはキッとまなじりをつり上げ反論する。
「私は主人の妻という立場にも子供の母という立場にも誇りを持っています。だから別にレリックの奥さんと呼ばれるのもマミーのママと呼ばれるのも嫌ではありません」
キラルはアマニィの答えにそっかと簡単に納得し、自分の好きな人の奥さんやママである事に誇りを持っているなんて素敵だなと思う。そして他人の事に口を出しすぎたと深く反省した。
「そうでしたか。それは失礼しました。別にアマニィさんを否定したい訳ではないのですよ。ただ僕は名前でちゃんと呼んで欲しいと思っているだけで」
「こちらこそ失礼しました。ではこれからはキラル先生とお呼びしてもよろしいかしら?」
「そうですね。それでお願いします」
キラルは小さく溜息を吐くと仕方ないと妥協する。
そして一日も早く姿を消した少女と再会したいと改めて思う。
また楽しげに『キラル』と名前を呼んで話しかけて欲しいと心から願う。
少女に名前を呼ばれる度にフワフワした気分になったのを思い出す。
すると一緒に居て嬉しかったり楽しかったりちょっと悲しかったりした今までの色んな思い出が溢れそうになった。
普段忘れている訳では無いけれど、ふとした時にこうして思い出すとやはり会いたくて溜まらなくなる。また絶対に何度でも再会できると信じていても、ちょっと辛くなる事もあるのだ。
「キラル先生、どうかしましたか?」
いつも笑顔のキラルが表情を曇らせた事にアマニィは不安を抱く。自分が何か失礼をして傷つけてしまったのかと。
「ちょっと昔を思い出していました。すみません教えている最中だというのに」
キラルはいつもの笑顔を顔に貼り付け、少女との思い出を心にしまい直すと料理教室を再開させるのだった。




