おまけ 名前で呼ぶ日 後編
付き合い始めてしばらくしても、
花音は相変わらずオギーを「オギー」と呼んでいた。
最初はただの癖だった。
図書館でも、実習でも、学食でも。
「オギー」
それが一番しっくりくる。
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ある日の帰り道。
いつものように並んで歩いていると、
オギーがふと横から言った。
「ねえ」
「ん?」
花音はスマホを見たまま返事をする。
少し間があって。
「花音ってさ」
「うん」
「俺のこと、名前で呼ばないよね」
花音はそこでようやく顔を上げた。
「呼んでるじゃん、オギー」
「それ」
オギーは少しだけ笑う。
「それじゃなくて」
「……あらたってやつ」
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花音は一瞬止まる。
「え、今さら?」
「今さらって言うなよ」
オギーは少し困った顔をする。
「普通、付き合ったら名前で呼ぶじゃん」
「知らないけど」
即答だった。
⸻
オギーは小さくため息をつく。
「なんかさ」
「花音だけずっと“オギー”なの、ちょっと不思議なんだよね」
花音は少し考えてから、
「だってオギーはオギーでしょ」
と言う。
「それ名前じゃないじゃん」
「でもオギーだし」
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少し沈黙。
オギーは諦めたみたいに笑う。
「まあいいけどさ」
「いいんだ」
「いい。今さら変えられても変な感じするし」
そう言いながらも、
ちょっとだけ残念そうだった。
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花音は横目で見て、
「じゃあ、あらたって呼んだほうがいい?」
と聞く。
オギーは一瞬だけ固まる。
「いや、それはそれで無理」
「なんで」
「なんか距離ある」
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花音は笑ってしまう。
「めんどくさいね」
「そっちがね」
オギーも笑う。
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しばらく歩いてから、
オギーがぽつりと言う。
「でもさ」
「うん」
「花音が“オギー”って呼ぶの、ちょっと安心する」
花音は少しだけ首をかしげる。
「なんで?」
「変わんない感じするから」
⸻
花音はそれを聞いて、
なんとなく納得してしまう。
変わってるのは関係なのに、
呼び方だけはそのまま残ってる。
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結局そのまま、
二人は呼び方を変えないまま歩き続ける。
オギーは「花音」と呼び、
花音は「オギー」と呼ぶ。
それだけなのに、
少しだけちゃんと“付き合ってる感じ”がした。




