第8話「結束」
バタン!
引き戸を開けた目黒の瞳は左右の焦点が合っておらず、足はとてつもないスピードで貧乏ゆすりをしている。何故か上半身は裸の状態で包丁を持っていない手は小刻みに震えている。
「全部全部全部全部……社会が……お前らが悪いんだ!!!」
目黒が叫ぶと同時に健人は扉を強く閉めた。
「立岡さん!!早く……そこにあるスコップを持って来て!」
つぐみは突然の展開に戸惑いながらも近くにあった大型のスコップを拾い差し出した。
健人は引き戸の隙間にスコップを差し込み、つっかえ棒のようにして扉が開かないように挟んだ。
「逃げますよ!!早く!!」
健人はつぐみの手を掴み、走り出した。
つぐみは戸惑いながらも健人に引っ張られその場を後にした。
目黒の家から100m程走った先に大きな立体駐車場があり、健人とつぐみはその中に逃げ込んだ。
2人はしゃがみ込み、なかなか呼吸が整わずいる。
「追って来ない……みたいですね……」
健人が小声で話すと、つぐみは健人の顔を見た。
「警察を呼びましょう。」
健人がポケットに入っている携帯に手を伸ばすと、つぐみは首を振って健人の腕を掴んだ。
「話せば……話せば分かってくれるかもしれないです。」
つぐみの瞳は真っ直ぐで透き通っていた。彼女は今まで何度も心から人と向き合って関係を築いてきた。その経験と覚悟が現れている目だった。
「あの状態は話が聞ける状態じゃない……」
健人は目をつぶって首を振った。
「でも……」
つぐみは健人の腕を掴み、離さない。健人はつぐみの手を強く引いて小さな体を抱きしめた。
「行かせないです。あなたはあなたが自分を思う以上に大事にされるべき人です。ダメです。ここに居てください。」
つぐみは戸惑いの表情をしていたが、次第に身体の力が和らいで行くのを感じた。
「あ……遅かったですね、成瀬さん。なんか、あったんですか?」
事務所に帰ると林が健人を見て言った。
「立岡さんと同行してたんだけど、ケースの人が暴れちゃって。結局警察の職権で精神病院に入院になっちゃった。」
健斗はワイシャツの腕を捲りながら言った。
「大変でしたね……あっそう言えば成瀬さん担当のケースの人も、1人入院したって連絡ありましたよ。えーっと西島さんって人。霧山総合病院に救急搬送されたみたいです。」
林はペットボトルの水を飲みながら言う。
「え……ああ……そう……」
こういった自分の担当する人が入院することは珍しいことではない。ただ、健人の中では以前の警察での1件が引っかかり不穏な気持ちになっていた。
健人は自席に着き、電話の受話器を上げ、病院の相談員に電話を掛けた。
「はい……はい……そうですか……」
健人は左手で受話器を持ちながらメモを取っている。
「やっぱり、しばらくは面会出来なさそうですか……?はい……はい……分かりました。」
健人は電話を切った。西島は自宅の前で倒れているのを近隣住民に発見され、救急搬送されたらしい。診断は脳梗塞で現在意識は戻ったが、全身の麻痺があるためICUに入っている。
「脳梗塞だって。やっぱりコロナの影響で面会はできないらしい……」
健人は林に向かって言った。
会いたい人に会えない。伝えたいことも伝えられない。そんな時代になっている。何十年と連れ添った家族が最後の瞬間に立ち会えず息を引き取る、そんなケースを多々目撃している。お互いの愛情が結束しててもそれを形にできないことがある。健人が短いため息をついた時電話のコールが鳴り響いた。
「成瀬さん、今までありがとうございました。」
低く重い声に健人は下を向いた。