第二章 9 桃幻
周防は、いつもとちがう方向に歩いてみた。
しばらく歩いても、なにもない。ただ道が続いているだけで、風景もかわりばえしない。
「ちがうな」
早々に見切りをつけて、いつもどおりにもどった。だが、それだけでは進展がないから、なにか特別なことをしなければならない。
それが進む方角なのか、特異な行動なのかは見当もつかない。
桃の木のところまでやって来た。
桃の実を採る。ここまではやったことがある。最初の一回だけだ。とくにその後の展開に必要なさそうだったから、以降は無視をしていた。
そのときにも、実を食べることはしていない。
「食べてみるか……」
それしかない。
いや、かりに意味のないことでも、ためしてみる価値はある。もし食べることでなにか酷い事態になったとしても、どうせループすればもとにもどるのだ。
周防は、千切った桃を食べた。
「……」
とりあえず、美味しい桃だ。
しばらく待ってみたが、なにもおこる様子はない。このままでは、ただ美味しい桃を食べただけになる。千鶴がこれを見ていたら、痛烈に嫌味を言うだろう。
周防は、さきへ進むことにした。だが、あの兵士たちに囲まれてしまうと前線基地に行くことになるから、それは避けたい。
兵士たちが集まる地点が見渡せる場所で、彼らが出てくるのを待った。いつもどおりにやって来たが、周防がいないので、そのうちの一人が周囲をうかがっている。ただし、あの彼はすでに仲間なので、事情を理解してくれるだろう。ほかの兵士たちは、周防がいるものと信じて、いつもどおりに連行しようとしている。仲間になっている兵士は、だれもいないはずのその茶番劇につきあう格好だ。そして兵士たちは、前線基地へ向かっていった。
イブキドヌシはだれも連行されていないことに気づくだろうが、記憶の蓄積はできないから、何者が本来捕まるはずだったかまでは理解できないはずだ。
周防は、どちらの方向に進もうか迷った。
あてがあるわけではないから、どこにでも行くことはできる。
「なんだ?」
そこでやっと、自身におこった異変に気づいた。
光の明度がちがう。
明るいところと、暗いところ、普通に見えるところ……。
方角によって、明るさがちがうのだ。
大半が普通の明度だが、ある方向が、明るくて暗い。つまり、二つの方向の明るさに異変があるのだ。
「桃の効果か?」
そういうことにしておこう。なんの効果であろうと、異変がおこったのは事実なのだ。
暗く見える方向と、明るく見える方向。
どちらかに、通常とはちがうものが待っている……。あくまでも予想だが。
じつはこのときすでに、周防はある推論をたてていた。
月と太陽。
つまり、暗いほうがツクヨミへ通じていて、明るいほうがアマテラスにつながっている。
どちらを選んだとしても、地獄が待っている。
「……ここも、か」
周防は、自嘲めいた笑みを浮かべた。
冥界であり、死者の国にいるのだ。どこであろうと、地獄ではないか。
まずは、暗いほうの道を選んだ。
どちらとも因縁はあるが、もしツヨクミとの決着がついていないのだとしたら、早々につけなければならない。
進んでも、なにもない。荒涼とした平原が続いているだけだ。
「ん?」
ポツンとなにかが落ちている。
前方、10メートル先。
周防は、警戒しながら近寄った。
「これは……」
弓。
見覚えのあるものだ。
ツクヨミが使っていた武器。
〈くくく、ようやく来たか〉
声が響いた。
「ツクヨミだな?」
〈待っていたぞ〉
「待っていた?」
〈そうだ。おまえが来ることはわかっていた。これまでに、なんど時間を繰り返しただろうな〉
「ということは、それ自体、おまえがたくらんだことなのか?」
〈そういうことだ。正確には、考えたのは思兼だがな〉
オモイカネ──知恵の神だったはずだ。
「で、これからどうなるんだ?」
〈くくく、ずいぶんと余裕だな。これからおまえは、われらの復活の駒となるのだ〉
「あいにくだが、おれもバカじゃない。その弓を拾い上げるなんて愚かな真似はしないさ」
〈くくく、どうかな?〉
「?」
再びの異変。
どういうことだ?
身体が勝手に弓へ近づいていく。それどころか、あることを渇望している自身の存在に気づいてしまった。
弓を取りたい。
強く願っている自分がいる。
「どういうことだ……」
それこそ、喉の渇きを我慢できないように、心と身体が反応している。
「これは……」
術にかかっている──本能的に思った。
一瞬、あの桃か、と考えた。が、そうではないだろう。この術は、もっとまえにかかっている……そんな予感がある。
〈思兼の策は、用意周到よ。おまえは、そのときから、こうなるように動いていたのだ〉
思い当たることがった。
「オカミ……」
出雲の旅館で憑かれた水の神……。
幻術をかけられたのだ。
「まさか……」
〈そうだ。おまえはずっと、淤加美に篭絡されていたのだ〉
周防は、ついに弓を手に取ってしまった。
〈さあ、それを天に向かって射るのだ〉
弦をしぼって、空を狙った。
矢は手にしていないはずなのに、矢をつがえる感触が腕に伝わっている。ツクヨミの射る矢が、眼に見えないことを周防は身をもって知っている。
あのときの矢と同じものだ。
〈それが、月弓だ〉
周防は、見えない矢を放った。
見えないはずなのに、神々しい軌跡をともなって、渾身の一矢が天空を駆け抜けていく。
〈これでいい。これで、おれは復活する〉
満足げなツクヨミの声が、空間に響いた。
しばらくはなにもできず、弓をかまえた姿勢のまま立ち尽くしていた。弓自体は、周防の腕からなくなっていた。それこそが、ツクヨミが復活したという証拠なのだろうか?
「くそ……」
ようやく腕をおろして、周防は悔しさをもらした。
しかし、悲観しているばかりではない。すでに頭を切り替えている。いまの出来事も、ループでもとにもどるのかどうか……。
一つわかっていることは、ツクヨミが予定外の行動をとれるということだ。そうでなければ、いまの会話は成立しない。ここに来て、はじめてツヨクミに会ったのだ(実際には弓に会っただけだが)。もし予定外の行動をとれないとしたら、これまでツクヨミは、だれもいない場所で独り言をしゃべっていたことになる。
あとは記憶の蓄積があるのかどうか……。
おそらく、イブキドヌシと同じようなことではないかと周防は睨んでいる。つまり、ループの軌道から外れることはできても、記憶の蓄積ができない。
希望的観測かもしれないが、そう考えて、これからの行動を決めるべきだ。
「さて、あとはどうするか……」
見極めるために、このままループさせたいところだが、うまく時間が過ぎてくれるかどうかが問題だ。周防の視界には、まだ桃の効力が残っている。このまま、もう一方にも行ってみるべきか……。
そちらには、まちがいなくアマテラスが待っているだろう。
「いや、それを考える必要はない」
すぐに悟った。もしツクヨミの復活を手助けしたのが、オカミという水神の術にかかっていることが原因だとしたら、自分の意思にかかわらず、アマテラスのもとに向かってしまうはずだ。
とにかくいまは、通常どおりの行動にもどすことにしよう。
周防は、前線基地をめざして歩き出した。
が──。
足が動かない。
いや、勝手に動き出している……。
明るい方向に足が向いている。
「やはりな……」
想像どおりだった。
このまま進んでしまうと、アマテラスのもとに行き、いまと同じように復活の手助けをしてしまう。
アマテラスの復活さえ防げば、まだどうにかなるかもしれない。それまでに、ループをさせるしかない。
千鶴に連絡がとれれば、イブキドヌシの戦車に乗り込んでもらって、強制ループされる方法がとれるのだが……さすがに彼女も、こんな状況になっているとは思わないだろう。
「……」
これは周防の予想でしかないが、アマテラスも復活させてしまったら、どんなにループさせても危機的状況は変わらなくなるのではないか。
表現は難しいが、このループ現象そのものが、アマテラス復活のためにもうけられたシステムなのだ。
このまま進んだら、日本は──人類は、再び手痛いダメージをうける。それを阻止するためにも、この足を止めなければならない。
周防は、迷わなかった。
草薙剣──天叢雲。
鈴宮から返してもらったわけではないが、この剣は主の意に従う。
地面から剣を引き抜くと、自分の足の甲を貫いた。
苦痛は承知のうえだ。
「ぐっ!」
声を噛み殺した。
これで足は動かない。
オカミの術に対抗するには、神剣の力で対抗するしかない。
あとは、時間が過ぎるのを待つだけだ。
たいぶ経過した。
もうそろそろループしてもいいころだ。
限界が近い。剣での抑制をぶち破りそうなほどに、足が動き出そうとしている。
地面に深々と刺さっているはずの神剣が、浮き上がってきた。このままでは、数分もしないうちに枷がはずれる。
そうなったら、もうアマテラスのもとまで前進するしかない。もう片方の足を貫くという方法もあるが、そこまでの体力は残されていない。体内の血液がほとんど放出されている。ここが冥界だからこそ生きていられるのだ。
本当は死んでいない自分たちが、これ以上の痛手をうけてしまうと、ここからもどっても蘇生できるかわからなくなる。
ぐ、ぐぐぐ。
足がもちあがっていく。
地面に刺さっている神剣が抜けて──。
そのときだった。
世界を吹き飛ばすような風が吹いた。
風廟!
周防は、神剣もろとも吹き飛ばれていた。




