第二章 3 絵画
前線基地にイブキドヌシがやって来たとき、周防は独房に入れられていた。牢番があわただしくなったのと、ただならぬ気配を感じたことで、それを察知できた。
《威気》というやつだろう。
それからすぐに牢屋を出されて、広場のようなところにつれていかれた。
最初に眼に飛び込んできたのは、ヘンテコな乗り物だった。
いや、そう断言してもいいものか……。
タイヤは大きな一輪なのに、不思議なほどバランスよく停車している。とにかく付属品──無駄な装飾が多くて、現実世界のもので表現するならば、神輿が近いだろうか。
「気吹戸主様、よくぞおいでくださいました」
ヒルコが、これみよがしにゴマをすっていた。
思わず周防の口には、侮蔑の笑みがはりつた。絵に描いたような腰巾着ぶりだったからだ。
そのヒルコがうやうやしく迎えたのは、燕尾服ようなものを着た紳士然とした男だった。
人間のように見える……だが、それが偽りのものであることがわかる。
「ん? そこの男は?」
イブキドヌシの注目をうけた。
「はっ! あやしい人間がうろついていましたので、捕らえておきました!」
「反乱軍か?」
「おそらく、そうであろうと……」
「おい」
イブキドヌシから、横柄に声をかけられた。
「きさまの正体は、なんだ?」
「ただの人間だ」
「人間? そういえば、きさまのことを知っているような気がするな」
ジロジロと顔を観察された。
もちろん、周防のほうはこの人物──神物のことを知らない。
「この男は、どういたしましょう?」
「おれ好みの面構えだ。気に入った。おれと来い」
「は?」
驚いたのは、周防よりもヒルコのほうだった。
「で、ですが……気吹戸主様、それはいくらなんでも……」
「大丈夫だ。おれの海風のまえでは、滅多なこともできんだろう」
イブキドヌシは、自信ありげに豪語した。
周防の豊富な知識のなかに、この神のことがあった。
黄泉の穢れを暴風で吹き飛ばす海神だったと記憶している。
高天原の神々は、地下世界である黄泉の国では存在できないはずだが、数少ない例外が、この神なのだろう。そして、地の神であるスサノオこと周防自身にも、それはあてはまる。
「どうした?」
ジロジロと見てしまったから、イブキドヌシに指摘された。
「ついて来い。おもしろいものをみせてやる」
言われるままに従った。
ヒルコたちの態度から、どうしようもない暴君だと予想していたが、そういう感じでもない。
つれていかれたのは、あの異様な乗り物だった。眼の前であたらめて眺めると、とても大きなものだ。戦車よりも車高があり、幅も広いのではないか。
一輪の巨大なタイヤで、不自然なほどバランスをとっている。
「なかに入れ」
どうやって乗るのか見当もつかなかったが、イブキドヌシが手で合図をすると、周防の身体ごと浮き上がっていた。
神秘の力で、操縦席らしき高さまで浮揚した。イブキドヌシに続いて、なかへ入った。
どういうことだろう?
乗り物のなかは、広かった。
想像よりも広いとか、そういうレベルではなかった。あらゆる物理法則を無視した面積があった。
宮廷のレセプションルームを思わせるような広さがある。これも神による霊力の一つなのだろう。
「そこでくつろいでくれ」
部屋の中央には、豪華なソファセットが設置されていた。
「どうだね?」
答えようがないと思った。そう眼で訴えかける。
「ふふ」
イブキドヌシは向かいに腰をおろし、いつ用意したのか、ワイングラスをかかげていた。
「きみも飲むかい?」
言葉づかいや態度が変わっていた。さきほどまでは横柄なところがあったのに、見た目同様、紳士のそれになった。
「いや、部下の手前……なかなかこちらも難しい立場なのだよ」
不思議そうな顔になったからなのか、イブキドヌシは言った。
「まあ、くつろいでくれたまえ、須佐之男命よ」
「……知っていたのか?」
「地の王を、この黄泉で知らない神はいないだろう」
「あのヒルコというやつは知らないようだったが……」
「あれは、下級からね」
イブキドヌシはそこで、ふ、と一笑した。
「なぜオレを、ここに?」
危害をくわえそうな素振りはなかった。
「どうだね?」
再びイブキドヌシは、そのように曖昧な問いかけをおこなった。
「あれのことだよ」
イブキドヌシの視線の先には、一枚の絵があった。
この部屋(?)のなかで、その絵の存在が際立っていたことは事実だ。
女性の絵だった。
美しい湖のような風景をバックに、その女性が微笑んでいる。
「……」
「どうだね?」
「だれなんだ?」
「伊邪那美様に似ている」
イザナキとイザナミの神話は、有名だ。
その創造神であるイザナミということだろうか……。
イザナミは、ヒノカグヅチという火の神によって死んでしまい、黄泉の国に堕ちた。
だが「似ている」ということは別人なのだろう。そもそも、絵の女性は人間なのではないだろうか。あくまでも印象論でしかないが。
「で?」
「だれかなんて、どうでもいいことだろう? この絵が美しいことが重要なのだ」
そのとき、周防の瞳が異変をとらえた。
「ん?」
いま、絵が動いたような……。
正確に表現すれば、絵のなかの女性が……。
「これは……」
「ふふ、私の神力が弱まっているようだ」
「あんたがやったのか?」
この女性を絵のなかに閉じ込めた。ここが現実世界なら信じられないことだが、この男は神で、ここは黄泉の国だ。
「そういうことだ」
「どうしてそんなことを……」
「美しいものを信奉するのに、理由がいるかね?」
そう返されると、なにも言えなくなる。
「この女性は?」
「名前など知らない」
突き放すような答えだった。
「麗しきものを愛でる……なんと贅沢な時間なのだ」
うっとりと、イブキドヌシは語る。ますますこの神のことがわからなくなった。
「私の思惑は、ただ一つ」
「?」
「平穏の根の国で、この絵とともに──」
* * *
千鶴が身を寄せる隠れ家では、防御を固めながら、なおかつ打って出る準備をすすめていた。
「こっちから仕掛けてやろう!」
「そうだ! もう守るだけじゃない!」
勇ましい声に、話し合いは支配されていた。
広場の中央は、熱気であふれている。千鶴は、遠巻きにその様子を眺めていた。やはり死んでない身の上では、どこか他人事に思えてしまう。
「やつらの野営地は、おおよそわかってるんだ!」
「だが……イブキドヌシがいるとなると、そう簡単にはいかんだろう」
なかには慎重派もいるようだ。
どうするんだ、という視線がヒゲ面の男に集中した。外見の印象どおり、彼がリーダー格のようだ。
名前は、田島というらしい。
「鈴宮さんは、どう思う?」
その田島が頼るのは、鈴宮のようだった。田島がリーダーなら、鈴宮は相談役、もしくは参謀といったところだろう。
「戦うのなら、勝たなくてはならない」
「おれらじゃ勝てないっていうのか!?」
鈴宮は、それには答えなかった。
「あの子だっているんだ!」
唐突に、千鶴が注目をあびた。
「あんな幼い少女を利用するというのか!?」
「われわれに年齢は関係ないだろ!」
「いや、子供の場合は関係あるだろ!」
ここでの姿は、死亡したときの年齢が関係しているらしい。
ある一定の年齢を過ぎて死亡したら、だいたい二十代後半から三十代の容姿になるという。それ以下ならば、死亡したときのままになるそうだ。
千鶴のことを、まだ子供のうちに死亡したと考えているのだ。死んでいない、ということをのぞけば、たしかにまだ子供なのだが、どうにも居心地が悪かった。
「……わたしは、いいですけど」
この黄泉の国でなにをするべきなのかいまだに見えていないが、この人たちと共闘するのは悪いことではないだろう。
「危険だよ」
鈴宮にはそう忠告されたが、これまでの戦いにくらべれば、恐ろしさは感じていない。
「大丈夫です」
「本当にいいのか!?」
みなが心配げな声をかける。
こうも注目をあびると、恥ずかしくもあった。
「はい」
──こうして、男たちを中心とした反乱軍は、イブキドヌシ率いる地獄の軍団に挑むこととなった。




