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彼女だけの物語



高校生に帰りの会など絶対に必要がない。

担任を睨み付けながら貧乏ゆすりをしている高橋美帆に、隣の席の立花千里たちばなせんりが囁くように声をかける。


「今日は特にイライラしているね。カルシウム足りてないんじゃない?」

「うるさいわね。私は早く行かないといけない所があるの。アンタと喋ってたら呼び出し食らっちゃうじゃん」


美帆は怒った声で言いながら、千里を睨み付けた。

千里は笑いながら「こえー」と呟いた。

それと同時に、「それでは帰りの会を終わります。委員長、号令」という担任の声が重なった。

バラバラと席を立っていく生徒たちを横目に、誰よりも先に席を立った美帆の隣で千里が号令をかける。彼はこう見えて委員長なのだ。


「きりーつ、れーい、さよーならー」


やる気のなさそうな声を出す千里に続いて、生徒たちも「さようなら」と声を出す。美帆の声はひと際大きかった。感情が声に出る子なのだ。

美帆は自分のリュックを引ったくり犯のように掴み取ると、一目散に教室を出て行った。廊下は走らないをモットーにしている美帆は、亀のようにのろのろ歩く生徒の間を忍者の如くすり抜けていき、一気に校庭へと足を踏み入れた。つま先をシューズの中に綺麗に滑り込ませ一息つくと、「目的地」まで駆け足で向かった。腕時計の時間を確認する。16時50分。いつもより時間がない。17時にあのお店は閉まってしまう。足を速め、路地を駆けて行く。ここを左、ここを右、そして……

お店の看板も何もない普通の家に見える扉の前で、麻帆は足を止めた。ふぅーと息を吐いてから、チョコレート色の扉を恐る恐る開ける。


「いらっしゃい、今日は一段と遅かったね」


ここの店主である”カラス“が涼しい顔で1人掛けのソファーに腰かけていた。


「だって中谷先生の帰りの会って長いんだもん。これでも急いで来たんだからぁ」


美帆は頬っぺたを膨らませしていたが、すぐに「でも5分で着いたよ!」と時計を指差し嬉々とした表情を浮かべた。「いや、17時に閉まるんだけど……」というカラスのツッコミを無視して、美帆はリュックから1冊の本を取り出す。


「今回も面白かったよ。連続短編だったんだね。最後の章で全部の物語が繋がるところは鳥肌ものだったな~」


このお店はカラスが取り揃えた色んなものを売っている、所謂何でも屋さん。美帆はここの常連客なのだ。

美帆がこの店を見つけたのは、今から三か月ほど前の事だった。

桜が散り暖かくなってきた季節、部活にも入らず、学校行事にも興味がなく、友達の作り方なんて知らない美帆は、クラスに全く馴染めていなかった。

友人がいないことに焦りを感じていた美帆は、胸にぽっかりと深い穴が彫られていくような気がしていた。その穴を埋めるが為に帰り道を変更して様々な路地に入り、小さな探検をすることにしたのだ。

無論、美帆が住んでいる狭い街で探検なんてたかが知れているのだが、人生とは何と面白いものか。美帆は不思議な雰囲気を放っていて、人が中々来ない自分好みの店を見つけることが出来た。

ちなみに店主の"カラス"という名前は本名ではなく、全身黒ずくめだった彼に付いているあだ名である。カラスは美帆を気に入り、誰にも店を教えないという約束のもと、とある本を50円で貸していた。


「ねぇ、そろそろ教えてもらっても良くない?この本、いったい誰が書いてるの?」


美帆がカラスから渡されている本の表紙には題名しか書かれておらず、作者やいつ発行されたかは何処を探しても見つからない。


「もしかしてカラスさんが書いてるとか?そうだとしたら素晴らしい文才だと思うんだけど。こんなお店なんて辞めちゃって作家になるべきだよ」


美帆は良い考えだと思い、カラスに詰め寄った。しかし、カラスはソファーに座り、一つのあくびをすると、大きなため息をついて言った。


「本気で言っているの。ここが無くなると君は本当に一人ぼっちになってしまけど。そして残念だが私は作者ではない。知っていても教えないけどね」


そして薄ら笑いを浮かべたのだ。

それはまるで悪魔のような笑みだった。

美帆の背中がぞくりとした。確かにこの店が無くなると拠り所が無くなる。美帆に行くところなんてどこにも無いのに。


「ごめんなさい……本気じゃない。でも素敵な才能なのに私だけが知っているっていうのが勿体なくて……」


俯き、美帆は目に涙を浮かべる。


「その、あれだ。この本は無名の作家のだから……なんか飲む?」


カラスは動揺したようにソファーから勢いよく立ち上がると、奥のキッチンへよろめきながら進んで行った。

美帆はカラスのそんな姿を見たことがなく、流れそうだった涙が引っ込む。そして小さく笑う美帆を、カラスはキッチンから悲しそうに見るのであった。


カラスはココアを入れて戻って来た。

美帆にそれを渡すとソファーに座るように促し、キッチンの奥にある部屋へ消えて行った。

美帆はカラスが座っていたソファーの斜め横にある二人掛けの大きなソファーに腰をかけると、ココアを一口飲んだ。口にほんのりと苦い味が広がる。でも辛くない。肉球の形をしたマシュマロが口の中で溶け出して、苦みと調和する。目の前の棚に置いてある本の題名を眺めながら、どんな内容なのかを考える。『ココアは明日飲む』という題の本を見つけ、噴き出すのをこらえ、コップを材木からできている机に置き、立ち上がった。その本を取り出そうとした瞬間、カラスが奥の部屋から出てきた。


「気になる本でも見つかった?一週間で読めるんだったら貸しても良いけど」

「読めるかな……ちなみに何円?」

「貸すだけなら、この本と同じ50円でいいよ」


カラスは持っていた本を美帆に見せた。

本棚に入っている本とは別に、店主のカラスが持ってくる本は特別なものなのだ。


「今日は随分と分厚いのね。大作の匂いがするわ」


嬉しそうに本を受け取り、開いて読もうとする美帆の腕をカラスが掴むと優しい声で尋ねた。


「この本たちを貸すときに言った約束忘れた?」

「覚えてるわよ。このお店の中では名無しさんが書いた本は読ではいけない。ここで借りた本は金曜日の17時までに届ける。そして、18時にはここを必ず出る事。他に何かあったっけ?」


カラスは安心したように微笑んで美帆の頭を撫でる。


「そこまで覚えていると十分だよ。他に何かあるとすると、店の事を他言してはいけないってことだね」


美帆はカラスから本をもう一度受け取って背表紙をなぞり、カラスのいたずらっ子みたいな笑顔を真似る。


「誰にも教えるものですか。私だけの秘密にするんだから」


なんて言いながら、本を優しく抱きしめた。カラスが店に置かれている古時計で時間の確認をする。


「17時20分か……冬が近づいているから暗くなるのが早くなってきたな。そろそろ家に帰りな」


美帆は「帰りたくない」とつぶやいた。

いつもの事である。美帆の両親は共働きの為、家に帰ってくるのがいつも夜中なのだ。1人に慣れているはずの美帆だが、人と楽しい時間を過ごすと1人でいる時間が耐えられなくなる。


「大丈夫だよ。来週、必ず来たらいいから」


美帆は小さく頷くと本をリュックに仕舞い、50円を机の上に置いた。


「また来るわ。さようなら」


カラスが手を振ると、ぺこりとお辞儀をして店を後にした。


「もう出てきていいぞ」


美帆が帰った事を確認したカラスは肩の荷を下ろし、呟いた。

そして、ゆっくりとキッチンから立花千里が顔を出す。






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