MAP No.22 熔岩と凍土の部屋: Entrance of the "catacombe" ──全裸の番人
「そりゃ、すまない。俺は不器用なんだ」
思い出話の最後を締めくくる一言を受けて、フェイリルは悪びれずにそう言い切った。
苦笑したミェルニルはそれでも嬉しそうだった。
「こりゃ、殺しても死なないタイプだ」
そこへよたつくお嬢様が到着したのだが、二人にもたれかかるなり地面に座り込んでしまった。
そのとき遠くから噴火の轟音が届き、三人は大地が猫の背のようにうねるのを感じた。
フェイリルはお嬢様の体を引き上げて、厳しい声で危険があることを告げた。
「カザックのオッサンの話と違って、実際のところ、ここはあまり安心できる場所ではないらしい。もう少し頑張ってなかでゆっくりしよう」
鋭い鷹の目を向けた先には灰色の石を積んだ城壁が続いているが、そこに新たな戸口が見えた。
顔を見合わせると頷き合い、二人でミスティオルを引きずって移動した。
それは明らかに城の内部へと続いており、木製の扉は腐り落ちて半分も残っていなかった。
フェイリルは先輩に足の生えたお荷物を任せると、無造作に蹴散らして扉のない入り口に変える。
大剣を抜いて様子を窺いながら足を踏み入れた。
そこは調理場の裏口といった感じの通路で左右ともに大部屋に続いており、覗くと鍋やフライパンの吊るされているのが見えた。
城内はひんやりして鉄鎖宮の通路を連想させ、案の定、人魂のランプが石造りの壁に沿って点在していた。
フェイリルは調理場の中まで入り込んで確認したが、怪しいものはなく二人を呼びに戻った。
三人は調理場で床に転がっていた丸椅子を拾って座ると、皆一様に深いため息をつく。それぞれ体に付いた灰を払い落とした。
木製の椅子には深々と斬り込まれた跡があり、また荒れ果て傷ついた壁や割れた皿が散らばる床など、かつてこの城で激しい戦いがあったことは想像に難くなかった。
「さて、どうする?」
ガックリとうなだれたままの依頼主を横目で見やり、ミェルニルは肩をすくめる。
「どうしろって?」
「薬草は外に生えていそうか?」
「あんな熔岩ばっかりの土地に草の生えてる場所なんてあるわけないでしょ!」
噛みつくような口調で言い返され、フェイリルは首をすくめた。
「いや、実はこの城のなかにヒカリヒメクサが生えているらしい」
そして、先ほど出会った優男のことを話した。
ミェルニルは顎に手を当て、訝しげな表情をする。
「城のなかに生えてるなんて、知らなきゃ答えられないわよね。でも、探索ギルドにそんな奴いたかな……。その男は信用できるのか?」
「いいや、まったく」
と首を振る。
「だが、この『林のある平地の部屋』の様子は聞いた話とかなり違っているし、他に手掛かりがない。それにさっきの奴が嘘をつくメリットも思いつかない。だから、この城を手始めに探して、あればよし。なければ、さらなる手掛かりを見つけるしかない」
「それもそうね。ミスティオルもそれでいい?」
うなだれたままのお嬢様騎士はさらに頭を下げて頷いた。
ミェルニルは、よし、と口に出すと、輝きの水が入った自分の水筒を差し出して三人で回し飲みした。
それから二人を見て指示を出す。
「なら、手分けして探すことにしよう。三方に分かれて三十分、一階の探索をしてから、またここに戻ること。この部屋はいちおう守護地だから大丈夫だと思うけど、万が一、襲撃を受けたら大声で助けを呼ぶ。いい?」
フェイリルは返事をしたが、ミスティオルからは返ってこない。
しばらく待つと彼女の右手が弱々しく上がった。
ミェルニルに目配せすると彼女が頷いて同意したので、ミスティオルに言った。
「おまえはここで休んでおけ。俺とミェルニル先輩で薬草は探してくる。俺たちが戻るまでここにいるんだ」
再度籠手をはめた手がプルプル震えながら上がった。
フェイリルとミェルニルは余計な荷物はおいて身軽になって厨房を出た。
最初の部屋は食堂で、細長い食卓や乱雑に転がる椅子があるだけで草が生えているところはなく、そのまま通り過ぎる。
部屋を出ると三方に廊下が伸びていた。
二人は頷き合い、ミェルニルは右にフェイリルは左に曲がって、この場で二手に別れることにした。
厨房は平らな石を敷き詰めた床だったため、迷宮の通路にいるときとさして変わらない風情だったが、食堂やその先は板が張られてより室内にいる感じが出てきた。
通路沿いに幾つかの部屋があったので室内をあらためたが、カーテンが破れるなど乱れ、部屋のそこかしこに灰や埃が積もっている。それどころか、まだらに黒ずんだ床がかつて大量の血を吸ったことを示していた。
だが、ヒカリヒメクサはどの部屋にもなかった。
それどころか命の感じられるものは何一つなく、この先にも得られるものがあるとも思えない。
物音のしない通路の先に行き着くと、そこには黒く重そうな鉄の扉が鎮座して行く手を阻んでいた。
扉を前にフェイリルは考えていたが、やがて鍵穴がないことに気付き、もしやと取っ手をつかんで力一杯引っ張った。
しかし、軋みすらせず、扉はびくともしなかった。
廃墟のくせに生意気な、と腰に手を当てため息をつく。
息を整えている間に、今度は開かない扉を開くための強力な呪文を記憶のなかから探し出した。
取っ手の周囲を指でなぞって想像のなかに即席の魔法陣をしつらえ、呪文を唱えた。
フェイリルの全力でも動じなかった重厚な扉がガチャガチャと音を立てる。
だがやはり、いっこうに開く気配はなく、呪文の効力は消え失せて静けさが戻った。
この扉は強い力で厳重に閉ざされている。物理的にも魔法的にもこの扉を開ける方法を自分は知らない。
そろそろ十五分がたち、ミェルニルやミスティオルのことも気になるので、仕方なく引き返すことにした。
助けを求める声を聞き逃したらコトだと、フェイリルは木の床に音を立てさせないように気をつけて戻っていく。
食堂前の廊下にたどり着いたときだった。
ミスティオルらしき姿が廊下をふらふらと歩いているのを見た。
その人影はフェイリルやミェルニルが行っていない真ん中の道へと入り込んだ。
毎度のことだが、感性で好きに動くから彼女の行動は予測ができない。
フェイリルは舌打ちして足を動かす。
食堂前の扉に到着したときには、人影は小走りになって道の奥を左に曲がるところだった。鮮やかな金色のボブカットは間違いなくミスティオルお嬢様だ。
フェイリルはますます足を早めて後を追った。
ミスティオルの足取りは廊下に面した扉の前を通るたびに遅くなり、どうやら何か目的があって部屋を探しているらしい。
そのとき、フェイリルは『滝上の部屋』で彼女がこそこそと隠れて行動をしていたことを思い出した。
そこで思い直して少し距離をあけたまま後をつけることにした。
ミスティオルは扉が朽ちた部屋や半開きの部屋には目もくれずに角を二つ曲がると、見覚えのある別の廊下につながっていた。
そしてその先は行き止まりとなっており、例の閉ざされた鉄の扉があった。
彼女は籠手を外して腰のポーチから紐で綴じた薄い紙束を取り出すと、扉のざらついた表面を怖々撫でる。感触を確かめるかのように掌全体で触れ、そのまま額をも扉に押しつけた。
そして、俯き加減の彼女の口から言葉が洩れ始めた。
「……緑林の恵みと清流の育みの女神よ、御身の血肉を携え、ミスティオル=ストーマ=デースティンはまかりこしました……御身の月花宮にて──」
フェイリルは曲がり角の陰からそっと顔を覗かせて様子を探る。
「──御身の御加護をして甦らしむ……我は御身の栄光を継ぎし者……我は御身の慈愛を受けし者……我は御身の血脈を宿し、御身の足下に侍る者……御身の言葉に従い、御身の力を揮うことを許したまえ……」
それからミスティオルは取り出した紙束の一ページを見つめて呪文を唱え始めた。
強い力の波を感じたフェイリルは青ざめ、倒れないよう壁にもたれるように体重を預ける。
唱え終わるやまた彼女の持つ紙が赤く燃え落ち、途端に鉄の扉がガチャガチャと鳴り、床が揺れて瓦礫がカチカチとぶつかり合った。
まるで城そのものが鳴動しているようだ。
想像した通りの異変ではあったが、想定以上の規模に疲れた体は大きくぐらついた。
フェイリルは体を壁に押しつけて、何とか倒れずに持ちこたえる。
と、そこへ、この異変の原因であるはずのミスティオルが、悲鳴を上げて来た道を走って戻ってきた。どうやら自分の仕業にびっくりしたようだ。
フェイリルは慌てて引き返し、最初にあった扉のない部屋に飛び込んだ。
少し遅れて諸手を上げたミスティオルがギャーと叫びながら背後を通り過ぎていった。
声が聞こえなくなったころには揺れが収まり、フェイリルの悪寒もとれていた。
入った部屋には狭いベッドがいくつも並んでおり、元は使用人の寝室であったと考えられた。破れたシーツや割れた花瓶の破片など見るべきものはなかったため、廊下に出た。
おそらく、ミスティオルは今ごろ厨房でガタガタ震えて仲間二人の帰りを待っていることだろう。
あの扉がどうなったかを調べておきたいところだが、すぐに戻らないといつミェルニルが鬼の形相で駆けつけるかわからず悩ましい。
しかし、この好機を逃すと、一人でしっかり調査する機会を失うことになる。
ならば、お嬢様がやったことをさっさと確認してすぐに戻るべきだと判断した。
さあ、もうひと踏ん張り、と気力を呼び起こしてフェイリルは三たび行き止まりまで足を運んだ。
すると、驚いたことにあの鉄の扉がぱっくりと口を開けていた。
あのミスティオルがこれを成し遂げたのかと思うと、我が目を疑いたくなった。だが、重々しい鉄の扉は半分ほどが間違いなく開いている。
フェイリルは口笛を吹いてそばまで寄ると、息をこらしてなかの様子を窺った。
妙な呼吸音が聞こえてきた。
室内を覗くが、そこは天井の高い大きな広間で、その中央に屋内なのになぜか瓦屋根の小さな建物が見えた。
だが、詳細はわからず、フェイリルは思い切って扉を抜けて部屋へ入っていった。
剣を抜き、用心深く前へ進む。
床材は木から石へ変わり、軋む音は気にしなくてもよくなった。
薄暗い感じがするのは光る人魂の数が少ないせいだろうか。
白く塗られた壁が高い天井でアーチ状につながり、その高さに光球はなく、上にいくほど闇が濃くなっていた。
広間全体をしっかり見渡すと、やはり中心に小屋程度の大きさの建造物があり、瓦の屋根が亀の甲羅のように床まで斜めに続く。
そして、その向こうから寝息のような息遣いが聞こえた。
フェイリルの鋲を打った長靴は、床に散らばる木片やガラスの欠片を慎重によけて一歩一歩を着実に進んでいく。
建物の正面へ移動して、それが小さな礼拝堂であり、その中心に地下への入り口があることがわかった。おそらく墓地があるのだろう。
鉄格子の扉が固く口を閉ざし、この城の深部への侵入を拒んでいる。そして、その扉の前には鎖に繋がれた人影があった。
その人影は裸体で黒く長い剛毛を全身に生やし、膝を抱えて虚ろな目を床へ投げかけている。
ただその口が異様に迫り出して犬のように尖り、滴るよだれと眠っているかのような吐息を垂れ流した。
その黄色の瞳がぼんやりとしたなかから意識を甦らせて来客を認識した。
犬のような口が嗄れた声を発する。
「おまえは何者だ……俺の安息を邪魔するな」
訓練教本における人狼の項目を苦労して記憶の底からさらい上げたフェイリルは、臭い空気にむせ返りそうになるのを我慢して言葉を返した。
「それはむしろこちらが聞きたいことだ。俺はお嬢様探険隊でお世話係を務めているフェイリル。おまえこそ何者で、ここで何をしている?」
裸身を濃い体毛で覆われた男は答えようとして咳き込み、太い鎖がジャラジャラと鳴る。
鎖は男の首にはまっている鋼鉄の輪に熔接されており、その先は扉が決して開かないよう何重にも鉄格子に巻きつけて錠を差してあった。
毛むくじゃらの男はゼーゼーいう息が治まってから言った。
「俺は……グレイハウンドの血をひく、監獄の番をする者だ。……ギャリーと呼べ」
人間とはまた一線を画した怪しい男だった。
襲いかかってくる様子はないが、剣をしまうことはせずに言葉を交わした。
「そうか。監獄なんて見当たらんがな。で、ギャリー、おまえはこんなところで何をしているんだ?」
ギャリーは寒そうに裸の自分を抱き締めた。
「墓守だ……ああ、寒い」
当たり前だろうとは思ったが、口には出さない。
「墓とは、おまえの後ろの建物のことか?」
「これは入り口にすぎない」
「そうだな。鉄格子の奥に階段らしきものが見える」
途端にギャリーの口から唸りが迸る。
「それ以上興味を持つな……。俺は番犬だ。次にこの背後の闇のなかを詮索したら……おまえを喰らう」
「そいつはすまなかった。それについては、二度と口にしない」
フェイリルは一歩下がって間合いを広げる。
何がキーワードとなって飛びかかってくるのか、裸で寒そうにしている番犬を自称する男の考えなど想像ができない。
ギャリーは床を向いてブツブツと呟き始め、会話はそこで途切れた。
このままこの場を立ち去るのが賢い選択なのだろう。
フェイリルは最後に一つだけ質問した。
「俺はヒカリヒメクサを探している。知らないか?」
ギャリーの首が寂しそうに横に振られた。
「……知らない。俺はここから動けないんだ。寒いんだ。……腹が減ってるせいだ」
少しずつ脈絡のない内容が増えてきた。
「そうか。ありがとう」
礼を行って立ち去ろうとすると引き留められた。
「フェイリル……待ってくれ」
ギクリとしたが努めて動揺は見せないように顔を向ける。
「どうした?」
「そう言えば、誰かが……どこかに草が生えていると言っていた」
「ほう──」
引き上げ時になって、ようやく価値のある言葉が出てきた。
それを言った誰かがどんな人物なのか気になるところではあるが、聞いておいたほうがよい。
情報が少ない迷宮では貴重だ。
フェイリルはギャリーに少し寄った。
「それはヒカリヒメクサか?」
「わからない……何かの薬草らしい」
「教えてくれ。どこにある?」
無念そうに蓬髪の頭が振られる。
「わからない……。寒くて……腹が減って、思い出せない」
不意にギャリーの黄色い瞳が凄烈な光を帯びた。突きだした大きな口が血のにじむ首筋に向けてぱっくりと開いた。
予想していたフェイリルはバックステップで退きざま大剣で鋭い牙を防ぎ、強引に振り払って壁際まで退いた。
今までいた位置でガチガチと牙の列が咬み合わさる音が鳴り、大量のよだれが床をしとどに濡らす。
残念そうなギャリーの声が聞こえた。
「ああ……温かそうで……いい匂いがしたんだ」
ニコリともせずにフェイリルは答えた。
「悪いな。おまえの腹を満たすために食われるわけにはいかない。俺には、まだ、やることがある」
「そうかあ……残念だ。さっき言った草だが……あっちの大きな広間にあるそうだ」
と黒い剛毛に覆われた腕で右にある扉を示す。
そちらにもよく似た頑丈そうな鉄の扉があったが、やはり半開きに開いていた。
「すまないな、食われてやれなかったのに」
「いいさ……もし、食べてよくなったら……また来てくれればいい。……それとも……食べてもいい肉があったら……教えてくれ」
人と犬の合の子のような姿は憐れさを誘うものがあったが、これ以上関わったところで得るものはないだろう。
むしろ失うものがでてくるかもしれない。
人狼の最大のチャームポイントは常に飢えていることだ。
フェイリルは太い鎖の余長を見て絶対に届かない距離を保って出ていった。
鉄の扉を通りすぎるときに背後から悶えるような声が切なく聞こえてきた。
「できればぁ……甘くて柔らかい……小さな女の子がぁ……いいなあ……」
その後、こらえきれなくなった感じで遠吠えが続いた。
叩きつけるように鉄の扉を閉め、ギャリーの声を閉め出せたフェイリルは安堵のため息をついた。
吐き気を催すセリフを聞かされたが、二人の仲間が一緒でないことを感謝した。
特に愚行騎士は簡単に騙されて顎の間に頭を差し入れに行きかねない。
ただ、あの遠吠えを聞けば、さすがのお嬢様もあの部屋に好んで近づこうとは思わないだろう。
フェイリルは刃を鞘に納めると、新たな通路を足早に前進した。