5.
「どうしましょう……どうしましょう」
ガタガタと揺れる馬車の中、帰路に着いた私は頭を抱えていた。
膝には持ってきてしまったユアンのローブ。
それを見ながら呪文のように「どうしましょう」を繰り返す。
逃げ帰ってきてしまったけれど、ユアンから言われた事がずっと頭の中でリプレイしている。
『俺が好きなのは昔から──リズだけだ』
まさか。
まさかユアンが私を好きだなんて。
「どうしましょう……」
嫌で悩んでるのではないのだ。
転生前から大好きなキャラなのだから、好きだと言われて嫌な訳がない。
目の前にいる本物から好きだと言われて嬉しくないはずがない。
体が雷に打たれたかのように痺れた。
けれど、だからこそ駄目なのだ。
ここが前世の《私》がプレイした乙女ゲームの世界だから。
ユアンがゲームの攻略キャラだから。
ユアンは主人公の伯爵令嬢と運命の恋に落ちるかもしれないのだから。
主人公は人の目を引く美少女なのだ。
それなのに誰にでも優しく、朗らかで努力家。
それに対して私はどうか。
本来は役目を終えているはずのモブキャラ。
傷モノ扱いで人の目を引く事はあっても、容姿で人を引き付ける事はない。
……。
どう考えても私を好きになるより、主人公を好きになった方が幸せになるに違いない。
それなのに。
『俺と結婚してくれる?』
プロポーズとか。
私は頭を抱えていた手で、今度は顔を覆う。
「どうしましょう……喜んじゃいけないのに」
2度目の人生で初めてされたプロポーズ。
あってはいけない事なのに……思い出しては顔がにやけてしまう。
あの時、冷静になれなかったら断らずに頷いてしまったかもしれない。
ユアンにプロポーズまでされたなんて、前世の《私》なら卒倒してもおかしくない。
はぁ……とため息をついてローブを手に取る。
「せっかく初めてプロポーズされたのに。しかもあのユアンに」
はぁぁ……もう一度ため息を出してローブを見る。
「あーあ……どうせならクラウディア様に転生したかった」
美人の悪役令嬢。
そうしたら何か変わっただろうか?
そんな事を考えていた時、馬の嘶きが響き馬車が急に止まった。
「ふぎゃ!」
ボケッとしていた私は勢いに負けて前の座席に顔から突っ込む。
は、鼻が……!
打った鼻をさすり何事かと周りを見る。
すると馬車のドアが開き、従僕のファーガスが顔を出した。
いつもは端正だが眠たそうな顔が、珍しく少し焦っているように見える。
「リズベス様」
「ど、どうしたの?何があったの?」
「それが……」
危険があるなら護衛も兼ねているファーガスが扉を開けるはずがない。
私はファーガスを押し退け、外へ出た。
「あ、あなたは……」
「やぁ、リズベス嬢」
外に出た私は、馬に乗り現れた思いがけない人物に目を見開く。
相手はそんな私に馬上からにっこりと笑いかける。
私は慌てて礼を執った。
「失礼致しました!アルバート殿下」
何故かそこに本日の主役である、アルバート殿下が馬からこちらを見ていたのだ。
アルバート殿下はさっと馬から降りると、こちらに近づいてくる。
「こちらこそ、突然馬車を止めさせた非礼をお詫びする」
私はアルバート殿下の背後に目をやった。
しかし護衛や御付きがいる様子がない。
まさか殿下お1人でいらしたの!?
王族が護衛を付けないで出歩くなど聞いた事がない。
私はいったい何事かとアルバート殿下を見た。
アルバート殿下は相も変わらず笑顔のまま続ける。
「帰路につく女性を引きとめるなど、無粋だと思ったのですが……どうしてもあなたに伺いたい事がありまして」
「私に殿下がお聞きになりたい事……?」
まさか。
愛の告白とかじゃあるまいな。
……。
………………。
いやいや、さすがに無いわ。
想像してみた私は、自分につっこんだ。
今日初めてお会いしたのだ。
好かれる要素が無い。
ひと目惚れしたとかでなければ無理な話だが、殿下の方が100倍美しい顔立ちなのだ。
ただのモブが、攻略対象にひと目惚れされる可能性は皆無だ。
そんな身の程知らずな事を想像するなんて……。
ユアンにプロポーズされて頭にお花が咲いてるのかしら。
しかしアルバート殿下の口から出たのは、私の想像を遥かに超えた質問だった。
「あなたはこの世界に、魔王を誕生させようとしているのか?」
「……はいぃ?」
何を言っているのだ、この王子様は。
何で私が魔王の誕生を望む、邪教徒みたいな質問をされるのか。
だいたいここは乙女ゲームであってRPGではない。
魔王は登場人物に居なかったはずだ。
私はアルバート殿下の質問の意味がわからず、とりあえず真実だけを答えた。
「私……魔王を信仰などしておりませんが……」
私の後ろでファーガスが頷いているのが、気配で分かる。
邪教徒ではないですよと伝えたのだが、なおも笑顔で殿下は同じ事を問う。
「では何故、魔王を誕生させるような事を?」
「大変失礼ながら……仰ってる意味が分かりかねます」
「ユアンのことだよ」
恐縮しながら言った私に、アルバート殿下は爽やかな笑顔を消し、冷ややかな笑顔を浮かべる。
「あんた、ユアンの事を振ったんだろ?」
私は突然変わった殿下の口調と、何故ユアンとの事を知っているのかと驚いた。
ああ、そう言えばこの王子、なんだけど設定が腹黒だったっけ。
こっちが本性ってわけね。
ゲームのキャラを思い出し1人納得している私に、アルバート殿下はもう1つの疑問を教えてくれる。
「息抜きにテラスに出たら、フラフラと庭から戻るユアンに会った。奴は殺意のこもった目で俺を睨みながら言ったよ。『リズに逃げられたのはお前のせいだ』ってね」
何でアルバート殿下のせいになったのかしら?
私はユアンの為、はたまたこの世界の秩序の為に身を引いたのだけど。
私は首を傾げた。
「『リズと一緒になれないなら、こんな世界滅べばいい』なんて暗い目で言われたもんでね。慌ててあんたを追いかけて来たわけ。あんたさ、自分が何したか分かってんの?」
「えっと……何をしたんでしょう?」
王子自ら追いかけるほどの事を、私はしただろうか?
今度は反対に首を傾げる。
そんな私にアルバート殿下は笑顔を引っ込め、冷たく言った。
「国を1つ2つ簡単に滅ぼせる男に、絶望を与えたんだよ」
「国を滅ぼせるって……そんな」
いくらなんでも大袈裟だろうと思ったが、アルバート殿下は、はぁと溜息をつく。
「あんた聞いてないのか?ユアンはあの歳でこの国一番の魔術師なんだ。魔術が進んでるこの国で、だ。しかも奴の魔術は普通の魔術とは次元が違う。国を滅ぼせるってのは決して大袈裟じゃない」
「まぁ」
「まぁって、あんたね。あんたのせいで世界が滅んだらどうするんだ」
「そう言われましても……いくらユアンがすごい魔術師だからといって、まさか私の事で世界を滅ぼすだなんて」
「有り得るんだよ。大いに有り得るんだ」
アルバート殿下は眉を顰めて私に指を突き付ける。
後ろでジャリッとファーガスが1歩動いた音がしたが、それ以上は動かずこちらを伺っているようだった。
「あいつはな、あんたの為だけに強くなったんだ。あんたの為だけに勉強して、あんたの為だけに力を磨いた。そして今の地位を手に入れた」
「今の地位……上位魔術師ですか?」
「いいや」
尋ねた私に殿下は首を振った。
「国家最高位魔術師。ユアンの為に出来た称号だ」
「ユアンの為の称号……!」
ユアンからは上位魔術師になったとしか聞かなかった私は驚いた。
確かに上位魔術師の意味は、上の位を与えられた魔術師だから嘘を言ったわけではないけれど。
ユアンは最も、高い、位を、与えられた魔術師だったとは。
新たな称号を与えられるなんて……。
すごいどころか、とんでもない魔術師に成長していたのか。
「でも、わ、私の為にとは……そ、その」
「……俺はね、出会った子供の頃からずーーっと聞かされていたんだ」
私の為に、と言葉にするのが恥ずかしくてどもった私から視線を外し、殿下は遠い目で空を見上げた。
「『自分はすごい魔術師になる。そして、幼馴染の女の子を一生守るんだ』から始まり、彼女がどれだけ愛らしいか。しかも愛らしいだけでなく勇敢で優しく慈しみ深い、まるで神話に出てくる女神のようだと」
「…………」
……それは一体誰の事なんだ。
私の事だとは思いたくもない。
「朝起きて彼女の夢を見たと内容を事細かに聞かされたことも、一度や二度じゃない。夜寝る前に彼女がいかに素晴らしいかを延々と語られ、気が付けば空が明るくなり始めたことも数え切れない程だ」
「…………」
何だか……スミマセン。
羞恥に顔を赤らめた私は、何だか申し訳なくて胸の中で詫びる。
アルバート殿下はフフっと乾いた笑いを漏らした。
「学生時代、誰かが言ってたなぁ……ユアンは何を考えてるか分からないと」
「は、はぁ……」
なんと相づちをうてばいいか分からず困る。
そんな私の前で、殿下はぐわっと両手で拳を握る。
「何を考えてるか分からない?ははは、馬鹿な。奴はリズベス·マンデルソンの事しか考えていないのさ!」
「あ、あの、アルバート殿下?」
1人芝居みたいになっているけど、大丈夫かしら?
私は一歩後ろへ下がった。
アルバート殿下は虚ろな目をこちらに向ける。
「あれ程の男が、異常な程あんたを好きだというのに……。あんたは何が気に食わない?」
「いえ、気に食わないわけでは……」
「じゃあ何だ?顔だって俺の次ぐらいにはいい男だろ」
あー自分がイケメンだと自覚してる人の台詞だ。
ユアンよりいい男かどうかは別として、自意識過剰でなく本当にいい男なんだからタチが悪い。
それはともかく。
「ええ。とても素敵な男性に成長したと思います。泣き虫だったのが嘘のように精悍な顔つきになりました」
「だったら何だ」
「……私ではユアンにつり合わないからです。ユアンには……もっと素敵な女性が現れるはずです」
さすがに『この世界は乙女ゲームの世界なんです』と言う訳にいかないので、至極真っ当な返答をする。
それにアルバート殿下の話を聞いて、ユアンがどれほどすごい魔術師なのかも思い知ったし。
とてもじゃないが、モブの私にはスペックが高すぎる。
「そんなこと……そんなこと……」
ところがアルバート殿下はプルプルと拳を震わせて俯いた。
そしてがばっと顔を上げると、私を指さす。
「そんなこと、分かり切ってることなんだよ!あんたに初めて会った時、俺がどう思ったか教えてやろうか?聞いてた話とまったく違う!驚くほど何処にでもいそうな女だと驚愕したんだよ。この女のどこにあれ程執着するのか理解出来んとね」
「あは……で、ですよねぇ」
本人が一番理解できないのですから、お気持ちお察し致します。
「しかし!そんな事は関係ない。奴は、あんたがいいと言ってるんだ。10年以上、あんたの為だけに生きてきたあいつは、あんたが自分につり合わないなんて微塵も思っていない」
「で、でも、私では駄目なんです。もっといい人と出会うのですから!」
3年後には主人公が現れるのだ。
その時に私は邪魔者になってしまう。
アルバート殿下は苛立たしそうに舌打ちをした。
「いいかい。いつか出会うかもしれない、いい女の為にユアンは10年を過ごしたわけじゃない。あんただけの為に10年を捧げたんだ。そんなに想われるなんて、女として幸せじゃないか」
そして1歩こちらに近づく。
「でも……私は……」
「くどい」
モブなんですと言えずに口ごもった私は、アルバート殿下に腕を掴まれる。
「リズベス様……!」
「下がれ。危害を加えるつもりはない」
私の側へ駆け寄ったファーガスを、殿下は威厳を感じさせる声で制止する。
そして私に言った。
「ユアンはこの国にとって、重要な存在だ。失う訳にはいかない。その手網を握る為に必要であるならば、国の第1王子として命じよう」
アルバート殿下が先程までと違い、王族として話をしているのだと分かった。
私はゴクリと唾を飲む。
「リズベス·マンデルソン。貴方にユアン·メイスフィールドとの婚約を命ずる」
「……承知致しました」
王族からの命令とあっては、断る事など出来ない。
だが、どうしても了承してもらわなければいけない事がある。
私は発言の許可を求める。
本来、王族相手には必要な事なのだ。
「アルバート殿下。いくつか確認しても宜しいでしょうか?」
「構わない」
一度深呼吸をしてから口を開く。
「私は……背中に大きな傷跡があります。それをご存じでいらっしゃいますか?」
「……失礼かもしれないが、噂程度で知っている。噂話というのはどこからでも漏れ聞こえてくるものでね」
「そうでしたか。ご存じなければお伝えしようと思いましたが、不要でございました」
後から傷物だったのかと責められると困るので、先に確認しておく。
しかし噂は王族にまで伝わるものなのか。
噂話、恐るべし。
アルバート殿下が知ってるという事は、ユアンも知っているんじゃないだろうか?
だとすれば、もしかして……。
いや、今は余計な事を考えてる場合じゃなかった。
「それから、ユアンとの婚約は国の為ですよね?もし、ユアンに他の想い人ができた場合、婚約解消することは許されますか?」
「もちろん。それは双方合意の元、行って頂いて結構だ」
「それと」
これが一番大事な確認事項だ。
私はじっとアルバート殿下を見据える。
「ユアンはまだ16歳です。これから沢山の人と出会い、見聞を広める事でしょう。ですから婚約期間は最低でも3年以上は頂きたく存じます。結婚については、2人で話し合って時期を決めても宜しいでしょうか?」
アルバート殿下は片眉を上げ笑う。
「それは奴が他の女を好きなる為の期間かい?あんた、余程ユアンと結婚したくないのか?それとも自分に自信が無いのか……ま、どちらにしても、ユアンさえ納得させられるなら構わないさ。あいつが国に貢献してくれるなら、正直あんたとの事はどうでもいいし。……だけどね」
素の話し方になったアルバート殿下は、私の手を離す。
そしてニヤリと意地の悪い顔で笑った。
「あんたはユアンを舐めない方がいいと思うよ」
「え?」
「あいつのリズベス嬢に対する執着は、もはや狂気だ」
「きょ、狂気!?」
狂気などという表現にぎょっとしてしまう。
そんな私に殿下は「そうだ」と頷く。
「せいぜい世界を滅ぼさせないよう、しっかり狂気を受け止めるんだな」
そしてにこっと爽やかな笑顔の仮面を被り、私を馬車へ促す。
「では、まずは城に戻り、ユアンと話の続きをして頂こうか」
「ええええ!?」
そ、そんな!
どの面下げて会えばいいの!?
こうして私は、一度逃げたユアンの元へ再び戻る事になったのだった。
お読み頂きありがとうございます!
今回で“起承転結”の“起”が終わる予定でしたが……
終わらなかった(;´Д`A
思い付くまま書き進めているので、自分でも先が分からないというポンコツです☆




