6.
しんっと静かな廊下。
私はある扉の前で1人佇んでいた。
城では華やかな舞踏会が続いているはずだが、東棟の最奥にあるこの場所では何も聞こえない。
さて……どうしたものか。
何度目かのため息が、広い廊下に消えていった。
ここは王城。
再び連れ戻された私が立っているのは、城の東に建てられたいくつかの塔の内の一つ。
その最奥にある──ユアンの部屋の前だった。
あれよあれよという間にここまで連れてこられ、連れてきた帳本人はさっさと行ってしまわれた。
去り際の台詞を思い出し、私は眉を寄せる。
『じゃ、あとは頑張って。あ、そうだ。俺が婚約を強要した事はくれぐれも内密に』
『え!?』
『そんなのバレたらヤバいだろ。驚いて断ったけど、やっぱりユアンが好きだから婚約したい、とでも言えばいいんじゃない?』
『いいんじゃないって……』
『とにかく、そういう事で。宜しくー』
『ええ!?ちょ、え、アルバート殿下!?』
なんて人だ。
私に全部丸投げじゃないか。
やっぱり婚約したいだなんて、私に言えるんだろうか……。
「はぁ……」
なんでこんな事になるんだろう。
私は再びため息をつく。
ユアンと結婚したくない、と言うわけじゃない。
だって前世からのお気に入りキャラなんだから。
だけど、そう。
彼はあくまでお気に入りキャラだったのだ。
ゲームの中のユアンにトキメキ、キュンキュンしたし、ハッピーエンドを目指し何度もプレイした。
一喜一憂したり、ストーリーで涙したりもした。
でもそれは、恋ではない。
そして、この世界に生まれて、ユアンは幼馴染になった。
可愛くて大好きだったし、とても大切な幼馴染だ。
だけど、ユアンが乙女ゲームの攻略対象だと知り、自分がモブキャラだと分かった時点で、自然と私の中でユアンは恋愛対象になることはなくなった。
大きくなったユアンに再会して、感動したりドキドキしたりしたのも、所謂アイドルに会った時の反応と変わらないのではないだろうか。
もちろん貴族として望まない結婚をする事だってある世界だけど、ユアンとは家の為に結婚する訳じゃない。
むしろ求められるのは恋愛感情なのでは?
しかも彼は3年後、主人公と出会うはずだ。
素敵な彼女と恋に落ちるかもしれない。
そんな時に、アルバート殿下曰く『何処にでもいそうな女』の私が伴侶で隣にいるなんて、正直私自身居た堪れない。
ユアンと結婚し彼を愛せば、その時に訪れる絶望は計り知れない。
だからこそ、アルバート殿下にも3年は結婚しないと確認したのだ。
「むしろ婚約しなければいいと思うんだけど……王族の命令じゃ逆らえないし」
でもなぁ…と何度目かのため息が口から出る前に、突然目の前の扉が開いた。
「あ」
もちろん扉の前に突っ立っていた私は、扉を開けた人物と心の準備が整わないまま対面することになってしまった。
部屋の主、ユアンも驚いたように目を見開く。
「……リズ?」
「え、えーっと……ご機嫌よう」
私はマヌケな顔で挨拶をする。
まだ全然会う準備が出来てなかったのに……!!
どうしよう……と内心焦る私より、予期せぬ訪問者を迎えたユアンの方が冷静だった。
「どうしてここに?」
「あの……その、ユアンと話したい事があって……」
「どうやってここまで来たの?」
「……え!?」
しまった!
アルバート殿下に連れられて来た、と言う訳にいかない!
ここは王城だもの。
普通こんな場所まで一般貴族が入れるわけがない。
王子に連れられて誰にも咎められる事もなかったから、全然気が付かなかった。
あのポンコツ王子め……!
心の中でアルバート殿下に毒づきながら、どう言ったものかと頭をフル回転させる私を見て、ユアンの瞳がスっと細まる。
「アルバートに連れて来られた?」
「え!?そ、そ、それはどうかしら?」
「……あの馬鹿」
上手い返しが思いつかず、おほほと笑う私。
そんな私を見て、どうやら疑惑が確信に変わったようで、ユアンは盛大に眉を顰める。
「リズ。アルバートに何を言われたの?」
「別に……何も」
言えない……さすがに『婚約しろ』と言われたとは、言えない。
笑顔で汗をかきながら首を振る。
ユアンはドアを支えた手に額を乗せ、そんな私を見ていた。
その目がそんな筈はないと言っている。
で、ですよねぇ。
アルバート殿下と付き合いの長いユアンだもの、殿下がしそうな事が分かるのだろう。
私は小さく息を継いで、ユアンを見た。
「……帰ろうと思ったら、アルバート殿下が追いかけていらしたの。ユアンが落ち込んでて見ていられないとおっしゃって」
本当は世界が滅ぼされるかもしれないと思ったからだけど、追いかけてきたのは本当だし。
「あなたが私を、その……どれだけ、た、大切に想ってくれていたかを聞かされて」
「……ちょっと待った」
さすがに自分が想われているなんて台詞、恥ずかしいやら、おこがましいやらで噛んでしまった。
けれどそんな私を見ることなく、片手で目を覆ったユアンは私にストップをかける。
「……俺がリズを大切に想っている話って……どんな話?」
手で覆われていて表情は見えないけど、恐る恐る尋ねているらしい様子が窺える。
私は自分の口から話すのが躊躇われて、口ごもる。
「……」
「……」
「……アルバート、コロス」
呟いた次の瞬間、ユアンが掴んでいたドアがバキッと折れた。
私はギョッと目を剥く。
お、怒ってる。
ユアンから怒りのオーラが湧き上がって見えるのは気のせいかしら。
なんだか触れてはいけない気がして、私は口を閉ざしたまま一歩後ろに下がった。
ユアンは目を覆っていた手を少し下げ、隙間からこちらを見た。
「……引いた?俺がリズを好きすぎて」
「!」
きゅんっと胸が締め付けられ、私は胸を押さえた。
そ、その見た目で上目使いは反則だわ……!!
昔の可愛かったユアンと違い、イケメンがすると攻撃力が半端ない。
脳内でユアンスチル……!と鼻息を荒くしている自分を諌め、咳払いで体制を立て直す。
「ひ、引いたりなんかしてないわ。小さな頃からずっと私を想っていてくれたと聞いて、驚いたけど嬉しかったし」
「……聞いたのは、それだけ?」
「?ええ、そうよ」
朝まで私の話を聞かされたとか、細かく言えば言ってたけど。
ユアンは顔の手を外しこちらをじっと見つめる。
「他には聞いてないの?魔術実習での事とか、アルバートを脅迫した事とか……氷像事件の事も?」
「……むしろ何があったか聞いてもよろしくて?」
「そっか……じゃ、良かった」
無視か。
全部やばそうな予感しかしないけれど。
氷像事件とか……いやいや、事件て。
私の問いを無視したままで、ユアンはすっかり元に戻った。
そして──。
「どうしてリズはここへ?俺が嫌で帰ったんじゃないの?」
振り出しに戻る。
「嫌で帰ったわけじゃなくて……」
どうしよう……。
アルバート殿下からの命令なのだから、婚約しようと言えばいいんだろうけど。
それしかないと分かってるんだけど。
でも、それってユアンにすごく失礼なんじゃないのかしら。
好きと言ってくれてる人に、王子様からの命令で結婚しますと言うなんて。
それに私もどこか迷ったまま、決心がつかない。
本当にこれでいいの?
大体ユアンも私を好きだと言うけれど、いったいどこが好きな訳?
自慢じゃないけど私はモブとしてしっかり節度を持って生きてきた。
決して目立とうとせず、自分のモブライフをそれなりに楽しんで生きてきたのだ。
必要があれば勉強する事も、働く事も頑張ったし、別に前世の記憶があるからといって何か特別な事を成し遂げたりもしていない。
座右の銘を聞かれたなら《人生質実》と答えてもいいと思っている。
そんな私のどこを好きだというのだ。
まして相手は主要キャラとして煌びやかな世界にいる人物なわけで。
これからも素晴らしい活躍で華やかな人生を歩むはずだ。
もし前世のゲームの記憶がなかったとしても、私は喜んで結婚出来たのだろうか?
ああああ、もう……なんかヤケになってきた。
私はユアンを真正面から見据え、言った。
「ユアンは私のどこがそんなに好きなの?」
「……え?」
予想外の返事が帰ってきたのか、ユアンの返しがワンテンポ遅れた。
私は鼻を膨らませユアンを指さす。
「何年も会ってなかったのに、突然大きくなって立派な魔術師になったユアンに会って、それでいきなり好きだ、結婚しようなんて……そりゃあ私が驚くのも、逃げ出したのだって仕方がないじゃない」
ふんふん鼻息も荒く続ける。
あーなんだかアドレナリン出てきたかも。
「普通は再会したら、お互いの近況報告をしたり、会えなかった間の話や昔話なんかに花咲かせて親交を深めるものじゃないの?それをいきなりプロポーズするなんて、ユアンは情緒というものをもっと学ぶべきだわ」
「え……」
「だいたい私の中のユアンはこーんなに小さくて泣き虫で、私の後ろをちょこちょこ追いかけて来る可愛い弟みたいな存在だったのよ?それなのに今のユアンは何?背も身体も私より大きくなって、すごく素敵な男性になったわ。さぞや沢山の女性からモテるんでしょうね」
「いや、そんなことは……」
「それに比べて私はずーっと変わらないわ。別に美人でもなければ可愛くもない。何か特殊な事が出来る訳でもないし、人に誇れる事がある訳でもない。どう考えてもユアンと釣り合うとは思えない。あなたが私を好きだと言う理由が分からないの」
「!」
ユアンが目を見張る。
自分を卑下した言い方をしたからかと思ったが、頬を伝うモノに気が付き私自身も驚く。
何で私は泣いてるんだろう。
別に悲しいと思う事はないのだけれど、不思議と涙が一筋流れた。
感情が高ぶっていて自分でも何故なのかは分からない。
それでも止まらず話続けた。
「ユアンはこれから、きっと素敵な女性と出会うわ。誰が見ても羨むような恋人同士になる。それなのに何故私なの?」
「リズ……」
「もしかして背中の傷のせい?これを自分のせいだと思ってるの?それで責任をとろうとして……」
「リズ」
決して大声を上げた訳じゃないのに、強い声が私を諌めるように響いた。
私は自分の口を押さえる。
……私、何言ってるんだろう!
自分が言った言葉に自分でも驚き後悔したが、一度発してしまった言葉を無かった事には出来ない。
ユアンはそんな私に近づいてくる。
側まで来ると、私の目元を指で拭った。
「ユアン……ごめんなさい、私」
「俺はリズの事を考えてるつもりで、全然考えられていなかったんだな。子供の頃から成長してない」
ユアンに対しても失礼だったと謝罪を口にした私は、自身を嘲る様に言ったユアンの言葉に遮られた。
顔を見れば少し陰のある笑みでこちらを見るユアンと目があった。
「あ……」
──ユアンを傷つけてしまった。
私は今更ながら自分の幼稚な癇癪を猛烈に後悔した。
苦いものが口いっぱいに広がるような感覚に、私は奥歯をギュッと噛み締める。
ユアンは一度私から視線を外し、自分の握った手を見た。
「せっかくリズを守る事が出来るようになったのに、俺は自分の事しか考えられていなかった。……困らせてごめん」
「ちが……」
「でも」
拳から私に視線を移し、ユアンは言った。
「俺は本気でリズが好きだよ」
真剣な眼差しに射抜かれ、私はユアンから目が離せずにいた。
照れるとか、恥ずかしいとか、そんな感情は湧かなかった。
ユアンの紫の瞳に、そんな私が映っている。
「だけど今俺がリズをどれだけ好きか、どこが好きか伝えても、きっと届かないと思う。リズが言った通り、リズにとって昨日までの俺は、子供の頃の俺だった訳だし」
「ごめんなさい……ユアンの気持ちを踏みにじるつもりじゃなかったの」
「いや、いいんだ。10年振りに再会してすぐ結婚しようと言った俺が悪い」
ユアンはそっと微笑んだ。
あれ?
もしかして私とのことを考え直す気になったのかしら?
そうだとしたら、ユアンを傷つけてしまった事は反省すべきだけど、結果オーライなんじゃ……。
ユアンの為にも、私の平穏の為にも、婚約なんてしない、それが一番いい事だわ。
そう思った私も、ユアン同様微笑む。
が。
「これからゆっくり、どれだけリズを好きか伝えていくよ。今の俺の事を、もっと知ってもらう事も必要かな。リズの事も沢山教えて欲しい。焦らなくても今度からいつでも会えるんだから」
「え」
「ねぇ……リズ」
想像しなかった言葉に私の微笑みは固まった。
そんな私に構わず、ユアンは優しく微笑んだまま私に呼びかける。
「俺はリズ以外要らないんだ。リズを諦めて他の女性を好きになるなんて、有り得ない」
「そんなこと……」
「あるんだよ。リズを何よりも大切にする事は出来るけど、リズを諦める事は出来ない。絶対に」
顔は微笑んだままなのに、声は熱がこもった響きだった。
「それに傷のことを気にしてるようだけど……リズが思ってるより、俺は性格が悪いんだ」
「どういう事?」
「俺が傷に責任を感じているんじゃないか、と言っていたけど、逆だよ」
逆ってどういう意味かしら?
私は小首をかしげる。
ユアンは困ったような笑みになり、少しだけ言いづらそうに言った。
「俺の印みたいで嬉しいと思ったんだ……俺を守って傷付いたのに」
「まぁ……」
ユアンがそんな風に思っていたと知って、私は目を丸くした。
というか、俺の印って……独占欲が垣間見えて少しむず痒い。
「俺はリズでいっぱいだけど、リズも俺でいっぱいにしたい。その為に頑張るよ」
「が、頑張る……?」
「惚れさせる。俺以外に目が向かないくらい。……覚悟しておいて?」
「!」
不敵な顔に、胸が高鳴る。
どうしよう……あっという間に篭絡されそうで恐ろしい。
ドキドキする私にユアンは手を差し出した。
「入口まで送る。今度は立ち話じゃなく、ゆっくり話そう」
「あ、ありがとう」
私はユアンの手に自分の手を重ねる。
本日2回目の手を繋いでの移動は、さっきよりも心臓が煩くて困った。
結局、アルバート殿下の命令通りには出来なかったけど、ユアンがいいと言ってるのだから、きっと大丈夫よね?
それにしても、ユアンが主人公に出会うまで後3年弱。
私はそれまでユアンに落ちないでいられるのか。
なんだか戦場にお鍋のフタとお玉で挑むような、とても心許ない気がするのは私だけだろうか。
自分のその姿を想像し思わず天を仰いだ私の、波乱だらけの舞踏会は、こうして終わりを迎えたのだった。
執筆便秘になり更新が遅くなりました……
誤字報告&感想ありがとうございます!
アルバートがめっちゃ嫌われてましたねぇ。
ちょっと罪悪感……笑




