2.7 綺羅愛莉②
Sランクへ昇格したと聞いたときは、学長の前であるにも関わらず、嬉しくて踊りだしそうになった。
「愛莉さん」
しかし、学長の品のある静かな声で、愛莉は気を引き締める。
「まずは、Sランクへの昇格、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「これからは、我が校の生徒としてだけではなく、ユースの代表として、頑張ってくださいね」
「はい」
そうだ。自分はSランクになったのだ。これからは、より多くの生徒の模範になるような、そんな生活を心がけなければいけない。愛莉は自分にそう言い聞かせた。
Sランクになってからの日々は多忙だった。毎日、朝早くから学校に行って、超能力の特訓。Sランクになったことで前以上に熱が入る。日中は学業に集中し、放課後は茶道などのお稽古があって、その後、剣術の稽古も行う。家に帰ったら授業の予習復習を行い、翌日に備える。
休日は授業の代わりに対人戦を行った。しかも相手は一人や二人ではなく、少なくても四人、多いときでは十一人の相手をすることもあった。正直、対人戦の本数を減らしたかったが、「対人戦を通し、優秀な超能力者を育成することもSランクの務めよ」とコーチに言われると、断ることができなかった。
毎日が目まぐるしく過ぎて行ったが、このような日々も、時間が経つと慣れ始め、気持ちの余裕も出始めてきた。と同時に、その余裕に付け入るような誘惑が生じた。
その誘惑を一言で言い表すなら、『恋』である。愛莉は恋がしたかった。
愛莉は普段から王子様めいた扱いを受けることが多かったが、根は女の子である。愛莉の通う高校は女子校で、男の影がない生徒も多くいたが、他校の男子と付き合う生徒もいた。そんな女生徒が、学校の最寄り駅で、他校の男子と落ち合う姿を見て、羨ましく思った。対戦相手に恋人がいたりすると、その気持ちに拍車が掛かった。
私も、あんな風に恋人から応援されたいな。と愛莉は思った。
しかし、愛莉の周りには、恋愛を許さない雰囲気があった。まず、ファンクラブのメンバーが、愛莉の恋を許さなかった。彼女たちは愛莉が男と話すのを許さず、所要で男の教師と話すことすら嫌な顔をした。超能力や剣術の指導を行っているコーチたちは、恋愛をする暇を与えてくれない。そして家族もまた、愛莉の恋愛に否定的だった。とくに父親は、「愛莉の結婚相手は私が決めるから安心しなさい」と言って、愛莉の意思を尊重する気がなかった。母親も直接的なことは言わないが、「色々と誘惑が多い時期かもしれないけれど、今は学業と超能力に集中すべきよ」と言って、けん制する。
私の人生なんだから私の好きにさせてよ! と思ったが、愛莉は周りに反発する勇気がなくて、自分の気落ちを押し殺したまま生活を続けた。
そして八月になって、彼女と出会った。
「こんにちは。あなたのメンタルトレーニングを担当することになった柏木ユリアよ」
「よろしくお願いします」
氷戸女学院の超能力者育成委員会は、超能力者のメンタル育成を教育方針に組み込んだ。ユリアはそのメンタルトレーナーとして雇われた人物だった。
愛莉のユリアに対する第一印象は『お姉さん』だった。真面目だが、大人の遊びも知っているような、そんなグラマラスな雰囲気がユリアにはあった。
「私は元々、サイコブレイン社で働いていたんだけど、今回、色々な縁があって、ここで働くことになったの。前の会社では、メンタルトレーニングだけではなく、心理セラピーも行っていたわ。だから、何か困ったことがあったら、気兼ねなく、相談してね」
「はい」
「早速だけど、愛莉さんは今、何か悩んでいることがあるかしら?」
「とくにないです」
ユリアは目を細めた。射抜くような視線に、愛莉は恐縮する。
「嘘ね。何か悩み事があるんでしょう? そんな顔をしているわ」
ユリアは微笑んだ。敵意のない柔和な笑みだった。彼女になら、相談しても大丈夫かもしれない。そんな根拠のない安心感があったから、愛莉は自分の気持ちを、躊躇いながら話した。
「その、最近、恋愛をしたいな、と思いまして」
「恋愛?」
「はい。私も恋人が欲しいなと」
「恋人ってもしかして男?」
「あ、はい。そうですけど」
「止めなさい」
ユリアの注意するような鋭い目つきに、愛莉は戸惑う。
「どうしてですか?」
「男は獣よ。あなたが思っているような存在ではないわ」
過去に何かトラブルがあったのだろうか。そんな事情をにおわせる、鋭い表情だった。いずれにせよ、話し続けるのは得策ではないと思い、愛莉は引き下がることにした。
「……わかりました。気を付けます」
「愛莉ちゃん」
ユリアは愛莉を見すえて言った。吸い込まれるような瞳に、愛莉は息を呑む。
「あなたが恋愛したい気持ちもわかるけど、今はまだ、その時ではないわ」
愛莉は母親の言葉を思い出し、ムッとする。
「恋愛に現を抜かしている暇はない、と先生もおっしゃるのですか?」
「うんうん、そうじゃない。あなたがまだ、男を知らないからよ。男は、あなたが思っている以上に、汚らわしくて卑しい生き物なの。その本質が見抜けるまで、男と関わるべきではないわ」
「……気を付けます」
その日の帰り道。愛莉はイライラしていた。ユリアにまで恋愛を禁止されたことが気に食わなかった。
「べつに、いいではないか。私が恋愛をしても」
ユリアは「男を知らないから」と言っていた。だからこそ、恋愛をして、知るべきなのではないか? と愛莉は思った。何事も経験してみないとわからないと人は言う。実際、新たなことに挑戦することに肯定的な人は多い。しかし、恋愛は駄目と言うのはおかしなことだ。
「そんなんじゃ、いつまで経っても、男なんてわからないぞ」
愛莉は口を尖らせた。それに、他の人も禁止されているならまだ理解を示すが、自分以外の人間は、自由に恋愛することが許されていた。その不公平感が、愛莉の不満な気持ちをより加速させた。
「こんな窮屈な生活から自分を救い出してくれる、そんな人はいないんだろうか?」
愛莉がため息を吐いたときのことだった。
「あの、すみません」
声を掛けられて振り返る。自分と同世代くらいの少年が立っていた。
「綺羅愛莉さんですよね?」
「そう、ですけど」
「ですよね!」少年の目が輝いた。「僕、愛莉さんのファンなんですよ!」
愛莉は戸惑いながらも、悪い気がしなかった。
これが、あの男との出会いだった。




