一章 鍵と、止まった時間(前半)
祖父が亡くなった日のことを僕はあまりよく覚えていない。正確に言えば、覚えているのだけれど、覚えていることが少なすぎる。三月の雨が降っていた事、父が黒いネクタイの結び方を何度もやり直していた事、母が泣いていなかった、ということ。それくらいだった気がする。
祖父——木島忠雄。享年七十八。京都市中京区の路地裏で五十六年間、小さな喫茶店を営んでいた人。
父方の祖父にあたるその人と僕は年に二、三回しか会わなかった。お盆、正月、ときどき思い出したように行く春か秋。京都の駅から地下鉄に乗り烏丸御池で降り、寺町通を北に少し歩きそれから細い路地に入る。看板の出ていない見落としそうな店。扉の上のベルがカランカラン鳴り、奥のカウンターからいつも同じ声が返ってくる。「おう」それだけ。
祖父は無口な人だった。背が高くひょろりと痩せていて白いシャツに黒いベスト。指が異様に長くそれでサイフォンを磨いている姿が子供の頃からずっと記憶にある。話しかけてもあまり返ってこない代わりに、僕が黙ってカウンターに座っていると何も言わずに何かを出してくれた。プリン、ホットケーキ、クリームソーダ。今思えばそれが祖父なりの「ようこそ」だったのかもしれない。
亡くなる三月前、僕は祖父に会っていないし、会うつもりもなかった。大学の前期試験が終わってから、ということを言い訳にして、ずっと先延ばしにしていた。次の春には会いに行こうと思っていた。
けれど、次の春は来なかった。
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四十九日の法要は京都の祖父の家——というか、サンルームの二階で行われた。
店は一階で二階は祖父が若い頃に住んでいた住居スペース。晩年は別宅に住んでいた為、二階はほとんど物置のようになっていた。それでも六畳の和室があり、そこに親族が集まりお坊さんがお経をあげ線香の匂いが古い畳の上を漂っていた。
六月の終わり、京都の梅雨はもう明けかけていて、和室の障子越しに白っぽい光が差し込み、蝉の声はまだ少し控えめだった。僕は座布団の上で長すぎるお経の間、ずっと一つのことを考えていた。
——祖父のことを僕は何も知らない。
生まれた年、育った町、若い頃のこと、好きだった音楽、苦手だった食べ物。何も知らないまま、その人はいなくなった。年に二、三回、カウンター越しに「おう」と言ってくれた人。それ以上のことを僕は聞こうとしなかったし、聞かれることもなかった。
お経が終わり、お斎が始まって、親戚たちが祖父の昔話を始めても、僕の知らない祖父の話ばかりだった。「ただちゃん、若い頃はピアノやってはったんやで」と、初めて会う遠縁のおじさんが言う。と、父は「そんなこと、僕、聞いてへんですよ」と返していた。誰もそれ以上の話はしなかった。お斎の途中で母が僕を呼び、
「悠人、ちょっと」
二階の納戸の前で母は小さな茶色い封筒を僕に差し出してくる。
「これ、おじいちゃんから」
「え?」
「遺品整理してたら出てきたの。封筒に、悠人へ、って」
母は少し困ったように笑っている。
「中身、見てないんだけど」
封筒を受け取ると、少し重く、中身を察するように、指先で形を確かめてみる、と
鍵だった。
古い真鍮の鍵が一本と、それから、もう一つ別のもの。指でつまんで取り出すと、それは手のひらに収まるくらいの革表紙のノート。カフェオレ色の革で角がすり減って、丸くなっている。長い間、誰かの手の中にあったことが、触っただけでわかる。
表紙には何も書かれていなかった。けれど、開いてみると——万年筆で几帳面な楷書。
『一九六九年 六月三日 開店』
祖父の字だった。レシピノートだ、と、すぐにわかった。コーヒーの淹れ方、サイフォンの温度、豆の挽き方。プリンの卵と牛乳の比率。クリームソーダのシロップの分量。ホットケーキの粉の混ぜ方。五十六年分のメニューが几帳面な字で一冊にまとまっている。
しばらく、それを手に持ったまま動けなかった。が、
「悠人」
母が悠人の顔をのぞきこんでいた。
「お母さんね、ちょっと、思ってることがあるんだけど」
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その日の夜、東京に帰る新幹線の中で母は静かに切り出した。
「サンルーム、ね」
車窓の外はもう暗く染まり点々と光が見えるだけ。
「あの店、お父さんも私ももう続けることはできないでしょう。お父さんはサラリーマンだし私も京都には住めない。でも、すぐに売ったり閉めたりするのは、なんだか違う気がするのよ」
「うん」
「だから思ったの。夏休みの間だけ、悠人が開けてみないかなって」
僕は母の横顔を見るけど、母は窓の外を見たまま続けた。
「ちゃんとお店として、っていうのは無理だと思う。でも、毎日鍵を開けて、掃除して、コーヒーを淹れて。それくらいなら、できるんじゃないかなって。一ヶ月か、二ヶ月か。それで、夏が終わったら、ちゃんと閉めましょう。けじめとして」
僕は答えなかった、答えられなかった。
「無理にとは言わないわよ。でも、悠人ならできる気がして」
どうして僕なんだろう、と思う。喫茶店を経営した経験などない。コーヒーだって家で母が淹れるのをたまに飲むくらいだ。サイフォンなんて触ったこともない。けれど、断る理由もすぐには思いつかなかった。
大学三年の夏。就活が始まる前の、最後の夏。本来なら、インターンに行ったり、TOEICの勉強をしたり、自己分析のためのノートを買ったりすべき時期だった。同じゼミの何人かはもうサマーインターンの選考を受け始めている。僕はその流れにまだ乗れていなかった。
乗らない、と決めたわけではない。乗れない、と諦めたわけでもない。ただ、何かが、ずっと噛み合わなかった。
「文学部だから」と父に言うと、「文学部やからって、何もせんでええわけちゃうやろ」と京都弁が混じった東京弁で返ってくる。父の言うことは正しい。正しいのだけれど、正しすぎて、僕はうまく受け止められなかった。
膝の上に置いた革表紙のノートを僕は撫でた。
祖父の字。几帳面で少し硬い。会ったこともない祖父の若い頃が、その字の中にだけ、確かにあった。
「——うん。やってみる、かもしれない」
母は振り向かなかった。窓に映る母の顔は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
「ありがとう」
それだけ言って、母は窓の外を見つめていた。
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七月に入ると東京はすぐに本格的な夏になった。
悠人の部屋は世田谷の実家の二階、六畳の角部屋で西向きの窓があるせいで午後はひどく暑くなる。エアコンをつけても夕方になると外の熱気が窓ガラスを通してじんわりと押し寄せてくる。机に向かって本を読んでいるとページの紙が湿ってきて指でめくるたびに小さな音がする。七月の前半は、前期試験だった。
近代日本文学のレポートを書きながら、僕はずっと別のことを考えていた。祖父のレシピノート。サイフォン。コーヒーの淹れ方。サンルームの扉のベルの音。そういうものが、頭の隅でぼんやりと光っていた。
レポートのテーマは永井荷風の『濹東綺譚』だった。担当教授は「悠人くんは、こういう何かが終わっていく場所の話が好きですね」と、前のゼミで言っていた。そうかもしれない、と自分でも納得してしまっていた。
悠人は二十一歳で、別に何も終わっていないはずだった。けれど、何かが終わりかけている、という感覚は、ずっとあった。
大学の三年が始まる。同期はみんな、何かに向かって走り始めている。会社、業界、自己分析、業界研究、OB訪問、エントリーシート、SPI。教室で誰かが「日経」と言うたびに、僕の中で何かが、すっと一歩、後退する。
僕はおそらく、走るためのスタートラインに、まだ立てていない。
立ちたくないわけではない。立てないわけでもない。ただ、立つ前にもう一度何かを確かめたい。と、いう気持ちがあった。何を確かめたいのかは自分でもよく分からなかった。
七月の十日に試験が終わり、僕はそれから三日間、ずっと祖父のノートを読んでいた。
コーヒー豆の銘柄、焙煎度、挽き方、抽出時間。サイフォンの上下のフラスコの温度差。カラメルを焦がす一歩手前の見極め方。バターを溶かすときに鍋の底を見るタイミング。
そして、ところどころに、祖父の独り言のような走り書きがあった。
『今日は曇り。ナポリタンの炒め時間、一分長くしてみる。コクが出る。』
『豆を変えた。マンデリン。深煎り。雨の日に合う。』
『ホットケーキ、フライパンが冷えすぎ。火加減やり直し。』
子供のような独り言。
祖父があんなにたくさんの言葉を持っていたなんて、僕は知らなかった。
ノートの一番最後のページに、押し花が一つ挟まっていた。
朝顔だ。色は褪せて、紫だったのか青だったのか、もう判別がつかない。透けるほど薄くなった花びらは、ノートを開いたときの風でかすかに揺れた。
おじいちゃん、こういうの好きだったんだな、と僕は思う。ほかには、何も考えなかった。
そのときは。
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七月の十三日、月曜日。
最後の試験を終え、家に戻り、リュックに荷物を詰めた。Tシャツ、長袖シャツ、チノパン、下着、本を三冊、ノートと万年筆、スマホの充電器、薄手のパーカー。母が「これも持っていきなさい」と、頭痛薬と胃薬と絆創膏の入った小さなポーチを渡してくる。
「お母さん」
「なに?」
「サンルーム、本当に開けていいのかな」
母は悠人の顔をしばらく見ていた。
「お父さんはね、反対してた」
「そうなんだ」
「『就活に響くやろ』って。でも、私が言ったの。一ヶ月くらい、なんとかなる、って」
母は少し笑い、
「お母さんね、本当はお父さんに頼みたかったのよ。サンルームのこと。お父さんの実家なんだから。でも、お父さんは京都に帰る気がないでしょう。だから悠人にお願いするの」
「うん」
「ごめんね」
「謝らなくていいよ」
母はエプロンの裾で両手をぬぐった。何もついていない手なのに何度もぬぐった。
「お母さんね、おじいちゃんのこと、よく知らないの」
母は窓の外を見ながら、
「変な話よね。実の娘なのに。でも、本当によく知らないの。おじいちゃん、何も言わない人だったから」
「うん」
「悠人が、何か知ってくれたら、嬉しいなって。お母さん、思ってるの」
リュックの中で革表紙のノートが少し重く感じた。
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七月十四日、火曜日。
東京駅、九時十分発、ひかり五百三号、新大阪行き。
悠人は窓側の席を取っていた。京都までは二時間と少し。新横浜を過ぎ、小田原を過ぎ、トンネルをいくつも抜けると、車窓の景色は徐々に山がちになっていき、緑がだんだん濃くなり、雲が低くなる。
リュックを膝に抱えて、悠人はずっと窓の外を見ていた。
祖父は、この風景を、何度往復したのだろう、と思っいながら。
正月とお盆と、時々。母方の親戚との顔合わせや、僕や弟の入学式や、そういう人生の節目に、祖父は京都から東京に出てきた。来てくれた、と言うべきかもしれない。けれど、祖父は来てくれた、という顔をしなかった。義務感でもなく、嬉しさでもなく、ただ、来ていた。
「ただいま」とも「お邪魔します」とも言わない人で、玄関で靴を脱ぎ、リビングに上がり、ソファに座る。それだけ。父は「親父、お茶?」と聞き、「ああ」と祖父は答える。それで会話は終わる。
僕は祖父のことを、寡黙な人だと思っていた。けれど、レシピノートを読んでから考えが少し変わった。祖父は、寡黙だったのではなくて、ただ、相手を選んでいたのかもしれない、と思うようになった。
コーヒー豆や、サイフォンや、ナポリタンの炒め時間には、たくさんの言葉を費やしていた人だ。けれど、自分の家族や、孫には、ほとんど言葉を使わなかった。
それが寂しいことなのか、悲しいことなのか、僕にはまだ判別がつかなかった。
もしかしたら、僕が祖父について何も知らないのは、僕の方が、聞こうとしなかったからかもしれない、とも思った。
祖父はずっとそこにいて、僕は会いに行けば、いつでも会えた。
いつでも会えるということが、いつまでも会える、ということと、同じだと、僕は勝手に思い込んでいた。
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名古屋を過ぎたあたりで、僕はノートを開く。レシピの間に、紙の切れ端のような、走り書きのページがいくつかある。日付も曖昧でメニューの分量と関係のないメモ。
『今日、雨。客が来ない。ジャズをかけて、店を片付けた。』
『一日、誰も来なかった。これでよかった。』
『新しいレコードが届いた。エヴァンス。ワルツ・フォー・デビイ。』
そして、もう少しページをめくると、こんな一行が目に止まる。
『窓際の席。光のかげんが、あの夏のままで、止まっている。』
僕は、その一行を、何度か読み返した。意味はよく分からなかった。
あの夏、というのは、いつの夏だろう。光のかげんが止まっている、というのは、どういうことだろう。
祖父の言葉はたいていは具体的だった。豆の温度、抽出時間、火加減。それが、ふと、こんなに抽象的な一行になっていることが、なぜか胸の奥に引っかかってしまう。
ノートを閉じる前に、僕は最後のページをもう一度開く、と
『夏のクリームソーダ』
メニュー名だけが書かれていて、レシピはその下に丁寧に書かれていた。けれど、その上には、もう一行、別の字で、こう書かれていた。
『ちなつさんへ』
万年筆。けれど、ほかのレシピよりもわずかに線が震えていた。
ちなつさん。
聞いたことのない名前だった。
祖母の名前は、房子だ。
僕はノートを閉じて、リュックの中へ入れ、窓の外へ時間を向けると知らない町の屋根が流れていった。
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京都駅に着いたのは、十一時三十分過ぎ。
七月の京都は東京とはまた違う暑さだった。湿気がべったりと肌に貼り付いてくる、と言えばいいのか。新幹線を降りた瞬間、空気が変わったことがすぐに分かった。汗が首筋を伝い、リュックの肩紐の下がもうじっとりしている。
地下鉄烏丸線に乗り換え、烏丸御池で降り、地上に上がると空が広がる。京都の市街地はビルの背が低いからか、東京から来ると空がやけに広く感じる。雲は厚く、白っぽく、これから雨になるかもしれない、と思いながら、地図を見ずに歩き始める。寺町通までの道は子供の頃から何度も歩いており、子供の頃に体に染み込ませた道は地図よりも体の方が覚えている。
御池通を東に折れ、寺町通に入り、アーケード商店街の入り口を通り過ぎて、もう少し北に進むと、両側に古い京町家が並ぶ静かな通りになる。古書店、和菓子屋、文房具屋、額縁屋。観光地ではない地元の人が歩く通り。
和菓子屋「みわ庵」の前を横ぎる。お盆と正月にしか来ない孫の僕でもこの店のことは覚えている。祖父がよく、ここの豆大福を「おみや」と言って一つだけ買ってくれた。
そして、その三軒先の、細い路地。
見落とそうと思えば、いくらでも見落とせる路地だった。表通りからは奥に何があるのか分からない。地元の人でも、注意していないと通り過ぎてしまう。
僕はその路地に入り、石畳が三メートルほど続き、突き当たりに木の扉。
扉の上に、小さな、木の看板。
『Sun Room』
塗料は剥げかけており、サの字が少し読みにくくなっている。
悠人は扉の前に立ち、リュックを下ろし、内ポケットから、革表紙のノートと、真鍮の鍵を取り出した。
ノートの表紙をもう一度撫で、それから、鍵を、扉の鍵穴に差し込む。




