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15.花を手折って、安心する



……俺の番、だった。


深呼吸。

場札を見る。

【芒】のかす、桜のかす、桜のかす、藤に不如帰、柳に小野道風、萩のかす。


相手の合わせ札は

桐に鳳凰、桐のかす、紅葉に鹿、紅葉のに青短冊。

――萩を出した時に微笑んでいたから……猪鹿蝶、狙っているかもしれないな


俺の手札を見る。

梅に鶯、【芒】に月、牡丹のかす、菖蒲のかす、芒のかす、菊のかす、紅葉のかす、桐のかす。


合わせられるのは……芒のかすだけ。


芒に月を、そっと重ねた。


――たん、と音が鳴る。


思っていたよりも、柔らかい音だった。

それなのに、心臓が一度だけ跳ねた。音のせいじゃない。自分の手が、その音を鳴らしたことに、体のどこかが驚いていた。


札をめくる。


……牡丹の青短冊。


ほんのわずか、肩の力が抜けた。

やっと、一息つけた気がした。指先の緊張が、かすかにほどけていくのを感じる。


これで、場の牡丹は消えた。


――それが、何よりも大きい。


もし山田の狙いが猪鹿蝶だったとしたら、この一手で“蝶”の札を一枚、場から退場させたことになる。

しかも、手札にはもう一枚、牡丹のかすが残っている。

このまま握ってさえいれば、後攻の俺が、最後の蝶を押さえたことになる。


……潰せた。


ほんの少しだけ、安堵が胸の内を満たした。



ゆっくりと顔を上げて、山田のほうを見る。


何か言ってくるかと思った。札の流れに、何か仕掛けてくるのかと。

けど、彼はただじっとこっちを見ていた。

黙ったまま、真剣な目で。


……俺、そんなに変な顔してたか?


って思ったけど、たぶんそれはお互い様だった。


「どうした?」


肩の力を抜いて、わざと軽い声を出す。

ちょっとだけ笑ってみせる。ほんの少し、空気を和らげたかった。


「あっ、いいえっ、何でも! 何でもないです!」


山田は焦ったように言い返し、ちょっと拗ねたように口を尖らせた。


「……なんか、ピリピリした空気で花札やるのって、仇討ちみたいで……やだなって思っただけです」


強めな言い方。でも、声の奥が少しだけ震えていた。

言葉の途中で、何度か迷っていた。


本音を隠すような目の泳ぎ方。

それでも、最後は笑おうとしてくれたことが、逆にこたえた。


……俺は、いったん、手を止めた。


このまま続けるべきじゃない、と思った。

“守る”って何なんだろう。

さっきから札を出すたびに、そんなことばかり考えてる気がする。


花札は、遊びだ。

なのに、今の俺は――

息をするのも、どこかぎこちない。


これでは、いけない。

さっき、自分で「潰す」ことを選んだはずなのに。

なのに、目の前のこの少年ひとり、まともに笑わせられないで、何が“潰す”なんだ。


そう言って、ようやく気づいた。指先が、すごく強ばっていたことに。


「……ちょっとだけ、考える時間もらっていいか?」


自分でも驚くくらい、素直に言えた。

ちょっと情けない声だったかもしれないけど、今の俺には正直な気持ちだった。


「えっ?」


山田が目を丸くする。


「俺さ、なんか……"どうやって遊べばいいのか”分かんなくなってきてんだよ。

悪いなちょっとだけ、考えさせて」


無理やり笑ってみた。たぶん、うまく笑えてなかったけど。


そのとき。


山田が、じっと俺を見た。


目が合って、ちょっとだけ眉尻が下がった。

なんていうか――優しい目だった。


「ああ――なら、」


山田がぽつりと口を開いた。


笑ってたけど、それは明るい笑いじゃなくて、

ちょっと切ない、でもどこかあったかい感じの笑いだった。


「じゃあ、手札オープンでやりましょうか。ボクも見せるから」


その言い方が、やさしくて。


それは“勝負”じゃなくて、"一緒に遊ぼう”って言ってくれてるみたいだった。


「初心者なんですから。ちゃんと、初心者らしく――楽しんでほしいんです」


「……いや、俺は……」


言いかけたら、山田がピシッと遮ってきた。


「貴方のことは聞いてません!」


「……え?」


「ボクの話をするので、聞いてください!」


強気で言ってきたくせに、すぐ目をそらす。

でも、その口元はギュッと結ばれていた。


「ここに来てから、ずっと情けないことばかりで……自分でも嫌になるんです」


ぽつぽつと、こぼれる言葉。


「何でも“仕方ない”って顔で受け入れて、バカにされても笑って……でも、ほんとは疲れてて」


声はちょっと固い。でも、それが逆に本音っぽくて。


「もう、誰にも言えないって思ってたけど……」


視線を戻してきて、わざとらしく口を尖らせた。


「なのに、なんか……もっとひどい顔した人が急に現れて!

ボクの悲劇ポジション、持ってかれたんですけど!?」


……それ、俺のことか。


「……それは、悪かったな」


そう返すと、山田は小さく笑った。


「……いえ。なんか、吹っ切れちゃいました」


その笑いは、ちょっとだけ強がってたけど、本音だったと思う。


「どうせ……戦わないといけないんですよね。ここにいる限りは」


急に落ち着いた声だった。

子どもっぽさと、どこか背伸びした言葉が混じってた。


そのあと、少し間を置いてから、山田が顔を上げた。


「ひとつ、聞いてもいいですか?」


そのときだけ、声のトーンがちょっと変わった。


「なんだ?」


「君の、"目的”って、何ですか?」


――その言葉だけが、すごくまっすぐに響いた。


胸の奥が、静かに揺れた。

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