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16.呼吸をすると、花の香りがした。


俺の――目的。


少し考えてみたけど、何も出てこない。

頭の中は、ずっとモヤがかかってるみたいだった。


「……あー、思い出せないんだよな、それすらも」


口にしてみて、自分でも驚くくらい空っぽな言葉だった。


「だから……なんか不安でさ。とにかく何かやってないと、怖くて。

今は、ただ、それだけなんだ」


ただ動いてないと、崩れそうで。

焦る気持ちだけが、ずっと前に出てくる。


山田はしばらく黙って、それから小さく息をついた。


「……そっか、そうなんですね」


その声は、責めるでもなく、同情でもなく――ただ、聞いている。

そして、山田は何かを小さく呟いている。

「きっと……大丈夫……たぶん、大丈夫だ……」


俺に目を合わせて、山田静かに言った。


「……それなら、お願いが……、お願いが……あります!」


言いよどみながらも、まっすぐに続ける。


「今だけでいいんです。”楽しむつもりで”札を打ってもらえませんか?

……ボクのために」


“楽しむ”って言葉が、胸に突き刺さった。


今の俺には、正直いちばん遠い言葉だった。


「……楽しむって、どうやるのか分からないんだ。

花札をずっと戦場だと思わされて来てさー?」


「そうですか……」

そう答えると、山田は少しだけ苦笑して――でも、すぐに肩をすくめた。

何も期待しないように、自分を守る仕草だった。


「ですが、それなら――」


そのあと、まるで別人みたいな調子で――


「ボクに負けてくださいね~! わぁ、今ちょっと運が爆発してる気がします!

勝っちゃっても責めないでくださいね~!」


……さっきまでの真面目な話どこいった!?


一気にイラッとした。いや、なんか悔しくなった。

あの顔、絶対“勝ちに行ってる”顔だ。


「……はぁ。やるしかないか」



山田がちらっとこちらを見ると、耳元のイヤリングが揺れた。

赤い短冊が2枚。微妙に違う赤。

綺麗なのに、どこか寂しそうな色だった。


「改めて、ボクを紹介します!」


小さく咳払いして、わざとらしく胸を張る。


「――山田ライラック、改め――」


「いや、ライラック呼びでいい」


割り込んだら、肩がピクッと動いた。


「っ……もう!」


頬をふくらませてから、ふてくされたように言い直す。


「はいはい、もういいです!ボクは“ライラック山田”で結構ですっ!

負けさせる準備できてますので、どうぞよろしく!」


手札を並べ始める。強気な声と、ちょっと震える手。

そのアンバランスさが、ちょっと笑えた。


「……さあ、手札オープンですよ!」


その空元気が、なんだか救いだった。


さっきまで張り詰めてた空気が、少しだけやわらぐ。


「じゃあ、"せーの”で見せるか」


「はいっ、せーの!」


ぱらっと、札が場に開かれる。


場札は:

萩のかす、桜のかす 、桜のかす、藤に不如帰、柳に小野道風


俺の手札は:

梅に鶯、牡丹のかす、菖蒲のかす、芒のかす、菊のかす、紅葉のかす、桐のかす


俺の合わせ札:

光札:芒に月

たね:

短冊:牡丹に青短冊

かす:牡丹のかす、芒のかす


山田は札をじーっと見て――固まった。


「……えっ……え……?」


俺の手札の牡丹を見る。そして、合わせ札になった牡丹ペアを見る。

そして、俺は――後攻だ。


山田の小さく震える声。


「……もしかして、猪鹿蝶の“蝶”、死んでません……?」


「うん。俺が潰した」


サラッと返すと、山田は絶句した。


「……そんなのって、あります……?」


「うん、ある。俺が潰したから」


思わずちょっと得意げに言ってしまった。

山田の顔が、目に見えてしょんぼりしていく。


「えぇえ……ボク、今日の勝ち筋、それだけだったのに……」


肩が落ちてる。思いっきり。


「じゃあ次は、君の札、見せてもらおうか。ライラック山田くん」


そう言ったとき、なぜか、胸の奥がほんの少しだけ、温かかった。

たぶん、それが“楽しさ”ってやつなんだろうと思った。


山田が、自分の札を表にする。


まず目に入ったのは――萩のかす。そして、萩の猪。


「……やっぱりな」


予想通り。狙いは猪鹿蝶。


他の札もざっと目を走らせる。


藤の短冊、桐のかす。ここはさほど警戒しなくていい。

藤は基本スルー、桐も鳳凰出された時点で、もう空札みたいなもんだ。


……でも。


ふと、自分の手札に視線を戻す。


「……俺、芒に月、持ってる」


「ですね」


山田は、そっけなく言った。目線は手元。


「で、そっち――菊、あるよな?」


「はい。2枚」


「……なあ」


「あげませんよ」


早いな、即答すぎて笑う。


改めて山田の札を見る。

萩のかす、萩に猪、藤の短冊、桐のかす、【菊】のかす、【菊】に青短冊――。


菊2枚って、けっこうおいしいな。


「……なあ、遊びだよな?」


「遊びですけど?」


「だったら、俺の牡丹と……菊の青短冊、交換しようぜ」


「……えぇ?」


山田がピタッと手を止めて、じと目でにらんでくる。

完全に「こいつ怪しい」って顔。


「……全然割に合いません。菊の“かす”なら考えますけど」


「いいの?」


「ふむ……そうですねぇ」


唇に指を当てて、演技くさく考え込むフリ。

でも目だけは、真面目に札を見てる。


「それで、貴方の“やりたい札”が見えるかもしれませんしね」


「……おー?」


「貴方って、"顔に出やすいタイプ”ですよね?」


「それ、ライラック山田にだけは言われたくなかったわ……」


山田は鼻で笑って「ふふん」と得意げ。

でも、照れてるのもバレバレだった。

……このやりとりも、たぶん“札”のひとつなんだろうな。


出す、読む、交わす。それって札だけじゃなく、言葉もなんだ。


少しだけ、楽しいと思ってしまった。

ちょっとだけ、それが嬉しい。


すると山田が背筋を伸ばして、芝居がかった口調で言い出す。


「さぁ――我々の札と、戦略を整理しましょう」


完全に“解説役モード”。


「防ぐ、揃える、それも花札の美学です」


少し目線を落として、ぽつり。


「こいこいは……運も絡みますし。だからこそ、"本気になりすぎない”って大事なんですよ」


一拍置いて、まっすぐこちらを見てきた。


「……ボクにも、君にも。これは自戒です」


……たぶん、山田も“本気にならざるを得なかった経験”があるんだろうな。

俺は、黙って頷いた。それだけで十分だった。


「では、ボクの手札をおさらいします」


山田は札を指差しながら、読み上げる。


「藤の短冊、牡丹のかす、萩に猪、萩のかす、菊に青短冊、桐のかす」


そして、すっと表情を引き締めて、


「狙うのは――猪鹿蝶。現状のエースは、萩の猪と牡丹のかすです」


目元がきらりと笑う。


「"たね”札との相性も抜群なので。盃に飲まれる前に、5枚揃えてみせます!」


肩をすくめながら、どこか誇らしげに続ける。


「華麗に勝つなら、スピードも大事なんですよ」


最後に、手札の菊をトン、と軽く叩いた。

あれだけで“次の一手”が分かるような動きだった。


俺も、照れくさそうに自分の札を並べる。


「えーと……梅に鶯、菖蒲のかす、菊のかす、菊のかす、紅葉のかす、桐のかす」


「つまり、君の狙いは――菊に盃。そして、かす札」


山田はうんうん頷きながら、指を立てる。


「“芒に月”はもう持ってるから、“菊に盃”を取れば《月見で一杯》で5文。

そして、“かす札”が10枚以上あれば……」


指を1本、2本と数えながら、


「かす10枚で1文、11枚で2文。だから、月見(5文)+かす(2文)で――7文!」


指をパッと開いて、にこっ。


「7文以上なら、"倍付け”になりますから――得点は2倍の14文です!」


「……意外とデカいな」


「はい、立派な“勝ち筋”です。これはもう、大砲前の地ならし!」


解説はキッチリしてるのに、言ってることはけっこう乱暴。


「……ま、ボクの猪鹿蝶が炸裂する前に、逃げてもいいんですけどね?」


ドヤ顔。


「なにその“逃げてもいい”感……すごいムカつくな」


「あははっ」


その顔がやたら楽しそうで――

気づけば俺も、ちょっとだけ笑ってた。

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