断章 一方その頃のケット・シーさん
猫の手も借りたいのに
ケット・シーは逃げる。全身全霊で逃げる。
身を低くし、人通りの足下を疾風のように駆け抜け、大声で叫びながら。
「ちぎゃうぅぅぅ! あたしは魔王様じゃニャイいぃぃぃ!」
身を内側に倒して家屋と家屋の間にある細い路地を曲がり、雨樋を伝って一気に屋根の上へと駆け上がる。
一息ついて、魚串を急いで食べた。落としたらもったいない。骨の隙間がうまい。パリパリしていて。
見上げる騎士が毒づく。
「くそ、魔王め、なんて身のこなしだ! これ見よがしに食事などをとりおって!」
「あたし、猫! ケット・シー! 猫違い!」
「この期に及んでとぼけるか! 黒髪黒目にその特徴的なせえらあ服! 魔族以外でそのようなあやしげな服を着ているものがいるかッ!! ――おい、城からの救援はまだか!」
主たるルアナに命じられたコボルト捜しをサボタージュし、露店で魚串を買っていたところを巡回騎士に目撃されてのことだ。
最初は巡回騎士の数は二名だったのに。
「にゃぁぁ……」
眼下、見下ろす騎士の数は、先ほどから雪だるま式に増えつつある。逃げながら角を曲がれば別の巡回騎士に発見され、追っ手が二手に分かれたと思いきや、別の仲間を引き連れてやってくる。
いまや王都は、槍は降ってくるわ、剣は投げつけてくるわ、罵声は飛ぶわ、怒鳴り返すわ、引っ掻くわの大騒ぎとなっていた。
「ハシゴはまだか! 急がせろ! ……よし!」
「ひょ!?」
振り返ると、また別の騎士が家屋の向こう側から屋根の上へと顔を出した。
ミレイはプリーツスカートを翻しながら食べきった骨つきの串を騎士の顔面にぶつけると、また叫びながら屋根から屋根へと飛び移って逃げ出す。
「ばぁ~かばぁ~か! あたしじゃないって言ってンにゃろぉぉぉ!」
「痛ッ! ぐ、愚弄しおってぇぇぇ! 追え、追えぇぇぇぇ! 小娘を逃がすな!」
眼下の騎士らが一斉にミレイを追って走り出す。
だが、人の身で野生の猫を捕らえることは困難だ。ましてや、ガシャン、ガシャン、重々しく鳴り響く鎧などを装着していては、捕まえることは愚か、追いつくことさえできない。
ミレイは自らの尻を叩きながら、屋根伝いに逃げ続ける。王都に住まう人々は窓から顔を出し、何事かとケット・シーを見上げた。
「待て!」
「いや~にゃこった! べぇろべぇろばぁ~のレロレロレロレロぷぅ!」
「ぐ、く、くぅぅぅムカつくぅぅ……」
応援が応援を呼び、いまやミレイを追いかける騎士の数は三十。いや、挟撃を試みようと先回りしている三つの集団を併せれば、百はゆうにこえている。
それでも。
ひらり、ひらり、スカートを翻して猫は逃げ続ける。
よもや一匹の猫が引き起こした王都中を巻き込むこの騒ぎが、王城近くの水路から忍び込まんとする真なる魔王カリンの行く手を阻むべき騎士たちの数を大幅に減らしていたことは、当の本人さえ知らない。
ケット・シーは愚鈍な人間たちを挑発するように、尾の生えた尻を振って自らの手で叩く。
ぺしぺし、ぺしぺし!
「おし~りぺぇんぺん! ニャッハハハハ!」
騎士たちの顔が真っ赤に染まり、額に血管がくっきりと浮かび上がった。
「ぶっっっっっっっっっっっっ殺!」
「滅っっっっっっっっっっっっ殺!!」
「絶っっっっっっっっっっっっ許ッ!!」
判定! 猫も有能!




