第30話 裏目に出てるよコボルトさん
前回までのあらすじ!
散歩中に犬が逃げた。
真っ暗だ。目が闇に慣れても、お先と気分は真っ暗だよ。
側にパルフェがいないだけで。
「パルフェ……」
迷いは一瞬。わたしがパルフェを追ったところで、大勢の騎士を相手に何もできない。それどころかパルフェの足を引っ張るだけ。それ以前に追いつけない。
本気を出したパルフェがどれだけすごい犬であるか、わたしはもうその一端を見ている。わたしが森に残っていたら、パルフェはきっと得意の『火炎斬り』も使えない。
だったらいまのわたしにできることは、一秒でも早くボニータに逃げ込むこと。
「よし」
迷いそうな夜の森で、わたしは空を見上げる。パルフェが去ったショックで方角を見失っていたけれど、ボニータのある火山の形はおぼえている。だから、迷いはしない。
走り出す。パルフェが前を走っていないだけで、木の根や草が足に絡みついた。
さっきまではパルフェがわたしに気を遣って先行してくれていたのだと、このときになってようやく気がついた。
「ふふ、紳士だね」
持ってきた魔導ランプをつければ走りやすいけれど、そんなことをしたら追っ手に場所がばれてしまう。
わたしは闇の森を無我夢中で走った。
呼吸が止まりそうになっても、足は止めない。ここでわたしが捕まってしまったら、パルフェの献身が無駄になってしまうから。
パルフェならきっと大丈夫。あんなにも強いんだから。きっとほとぼりが冷めた頃には、ボニータまで迎えに来てくれる。
でも。
どれくらい走っただろうか。もうわたしの耳にさえも、追っ手の足音が聞こえ始めていた。森の草木が揺れるの。ずっと背後で。
追いつかれる……!
でも、ボニータのある火山はもう目と鼻の先。
繁茂する木々が、若木に変わり始めた。
ボニータが近い証だ。数十年前まで活火山としてマグマを垂れ流していた場所だから、古い木々はもうない。ボニータができて初めて、魔術師たちがマグマの通り道を地中に作ったのだから。だからボニータ周辺には若木しか存在していないの。
走る地面も、冷えて固まった溶岩質のものに変化し始めている。徐々に上り坂になってもいるし、この山の頂上、火口縁からはボニータが一望できる。
逃げ切れる。けれど、だめ。やっぱりだめだ。
わたしは足を止めた。
両手を両膝について前屈みになり、必死で呼吸を整える。顔中から滴る大量の汗が、地面にポタポタと落ちていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
追われたままボニータに逃げ込んだりしたら、隠れ里の存在がジャンティーユ王国に発覚してしまう。そうなったら魔族と人間族の両方を抱えるボニータは、一溜まりもない。攻められ、占領され、人間はわからないけれど、魔族は間違いなく殺されてしまう。
そんなの、絶対だめ!
「……ごめん、パルフェ……騎士たちをボニータには連れてけないよぉ……」
泣きたい気分で、わたしは斜面を左手斜め方向に下り始めた。けれど、深い森から出てしまったことで、どうやら姿が見えていたらしい。
走りながら振り返ると、若木の隙間から橙色の灯りが揺れているのが見えた。それも、間違いなくこちらに向かってきている。
だめだ、もう……。
後方の茂みが揺れる。
「見えたぞ! あそこだ!」
「あれが魔王ヴァニールか……! 小娘ではないか!」
「油断するな、殺せ!」
声が聞こえる。人いきれが感じられる。追いつかれる。
どれくらい? 何人いる?
頭を振って、わたしは思考を振り払った。もうそんな段階じゃない。
再び足を止めて振り返る。
体勢をやや前のめりに屈め、左手を鞘に添え、右手でシャルマンの剣の柄に置いて。
やるしかない。もう。
足音が近づく……! 茂みが揺れる……!
心臓が脈打つ。
くる……!
茂みの葉を跳ね飛ばして、数名の軽装騎士たちが勢いよく姿を現した。彼らはわたしがすでに構えているのを見るや否や、唐突に恐慌状態に陥って足を止めた。
「う、うわああああっ!」
「ひ……っ!?」
「避け……!」
その背中にぶつかり、後方の騎士たちがすっ転ぶ。
「うわ、押すな!」
「おまえこそ急に止まるなって……ええええぇぇぇ!?」
「あぁん♥ 痛いン♥」
次々と背中にぶつかり、蹴躓き、頭から転がって、すごい勢いで自滅していく。
ぷぅークスクス。お笑い騎士団だよ。
追いついてきた騎士の数はおよそ十数名。見た感じ二十名はいない。
わたし的には絶望的な数なんだけど。
でも、彼らがわたしから感じた絶望は、それ以上だったのかもしれない。追いついたはいいけれど、突然やる気を出してきた魔王に驚き、怯えた目を剥いて恐慌状態になり、腰砕けとなってしまったのだから。
いや、もちろん、やる気出したわけじゃないんだけどね。
ハッタリだよ。パルフェの真似事なのだ。
わたしは目を剥いて彼らを睨む。
そうして喉を開き、できる限り低く響く怖い声で朗々と告げた。
「面倒よのぅ、人の子らよ」
思ったより低くならなかった……。
「我がおとなしゅうに逃げておるうちに、あきらめておけばよかったものを」
てか、くっそ! わたしの声たっか! だめだわ、全然だわ! 魔王的な迫力出せなかったわ! でももう引き返せないし、ええい、このままイったれぇ!
「……やはり薙ぎ払うておくとするか」
半眼になって微かに口元を緩める。できるだけ怖い顔で。
だ~れも反応してくれなかった。呆然とした表情で、わたしを眺めているだけで。
唯一反応をくれたのは、わたしの心臓だよ。もうバックバクだよ。祖父母くらい血圧上がるよ。
冷たい汗が、つぅっと背中を伝った。涙腺から、汗だか涙だかわかんないカリン汁が溢れそうになる。
やっぱ逃げよっかな……。
そんなことを考えた瞬間、騎士たちが一斉に息を呑むのがわかった。だって彼らの喉が大きくグビって動いたんだもん。
「だ、だめだ……こ、これが魔王ヴァニール……」
「なんて圧だ……」
「こ、殺される……」
「……やはり無謀だったのだ! 俺たち小隊は先行しすぎたんだ!」
「あぁん♥ 無理ぃ~♥」
お? イケルイケル。約一名クネクネしてる変な髭面おじさんが混じってるけど、たぶん大丈夫な気がしてきたよ。よ~し、このままハッタリで押し切っちゃえ。
ここでダメ押しに剣を抜くのだ。
それもシャルマンが愛用していたヒヒイロカネの剣だ。刃は赤く輝いているし、きっと効果抜群だよ。うん。
「覚悟はできておるか、人の子らよ」
柄にのせていた右手で、わたしはゆっくりと剣を引き抜いていく。禍々しく輝く赤き刃が月光に反射して、騎士らに生の終焉を告げる。
騎士たちが一斉に青ざめた。震え、そして後ずさる。
が。
「ん? んんんんん?」
あれ? 抜けない。てか。
ロングソードって長い。あたりまえか。ロングだもん。
わたしが右手を目一杯まで前や横に伸ばしても、刃の残り半分くらいが鞘から出てこないの。どうしても出てきてくれないの。
「えい。えい。て~い」
ガチャガチャ、ガチャガチャ。
ヒヒイロカネが駄々をこねるように、鞘の中で鳴っている。どれだけ頑張っても腕の長さが足りない。ここにきて、鞘ベルトを腰にまいてしまったことが徒になった。胸にまいて背中に背負っていたら、きっと抜けたんだと思う。
「やあ~! とぉ~! ふむむむ!」
わたしってば、同世代でもかなり小柄なほうだったからなあ。制服着てなかったら小学生と間違われて、駅員さんから切符の払い戻しを持ちかけられたこともあったし。
田舎は自動改札じゃないからね。うん。
ガチャガチャ、ガチャガチャ。
うーん、これはだめだ。
わたしはあきらめて柄を放して、後頭部を掻きながら騎士たちに言った。
「えへへ。ショートソードだったらちゃんと抜けたかもしんないね?」
腰砕けで青ざめていた騎士たちが、じっとりとした視線でゆっくりと立ち上がる。剣を抜いて、覚悟を決めた様子で。
わあ、みなさん、なんだか怖い顔してるよ……。
ぐだぐだの大ピンチ。
もはや収拾がつかないぞ。




