二人目の入居者
(陽視点)
「夕食時に貴方のことも紹介しますので、時間になったら食堂に来てくださいね」
「…………は、はい!」
扉を開けた途端、間髪いれずそう発した若名さんに ぽかんとした表情を浮かべた後、その情報が脳に届いた陽は慌てて返事をした。
会話は始める前に1テンポ空けてほしいと言いたかったが、笑顔に負けて言えなかったのは、ここだけの話だ。
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「おや、今日は随分と集まりが悪いですね」
食堂に着いた初深は、中の人数を確認して感想を漏らした。
「菊咲は、出張。週末にでも帰ってくるのではないか。狭雲と萩は飲み会だ」
その内の少し年上の男性が、そう答えた。その答えに初深は、今日から新しい住人が来ると伝えたのにと困った風に呟く。
「ああ、初深さーん。河上兄弟も合宿でいないんじゃない?」
この口調は、昼間に玄関で言葉を交わした雛だと陽は気付いた。視線を向けるとニコリと笑みを浮かべられたので、軽く会釈だけ返す。
「まあ、仕方ありません。今日は集まっているメンバーだけでいいでしょう。みなさんもご存知かと思いますが、今日からエデンに住む事になった神月陽君です」
「こ、神月陽です。宜しく」
手を頭の後ろにやりながら、愛想笑いを浮かべて挨拶を述べた。
「では、軽く住人の紹介をしておきます。一番右のテーブルに座っている眼鏡の方が笹岡碧です。彼は、道場を持っており剣道の師範をしているので、興味があれば行ってみてはどうでしょう? そして、その横の橙色の髪をしたのが渡部朱夏です。ああいう成りをしていますが、彼はレストランを経営しており、そこの料理長も勤めております」
そこまで告げて初深は言葉を止めた。その間に陽はぺこりと二人に向かってお辞儀をする。
碧は師範をやっているだけあって姿勢もよく礼儀正しいようだ。椅子に座っているとは言え、きっちりと角度を持って礼をしてくれた。
反対に、朱夏は笑みを浮かべてひらひらと手を振るのみだった。
「さきほど挨拶を交わしたそうですが、あちらのテーブルにいるのが、柚木雛です。彼は専門学生で日舞の勉強をしております。そして、その隣にいるのが空木松風です。彼は、朱夏の店で修行も兼ねて働いているんですよ」
先ほどと同じように、陽は二人にお辞儀をした。雛は、嬉しそうに笑みを浮かべたまま軽く会釈する。けれども、松風は憮然とした様子で、こちらに視線を合わせもしない。
「まだ他に5人いるのですが、それは後日に致しましょう」
そう締めくくったところで、陽は初深に案内された席へ向かった。
そこに座って陽はほうっと息を吐いた。ざっと見たが、個性のある男ばかりだと思った。顔も見た限り悪くない。他の5人を見てみるまではなんとも言えないが、あの社長の趣味で選ばれているという噂も否定できないと言った所だ。
(あー、その中に俺も選ばれたって事は喜ぶべき事なのか?)
そう思うと、かなり複雑だ。しかし、何かネタを掴まない限り延々とここに住まわされる事になりそうだ。
焦っても結果は生み出せないと言う事は分かっている。
だが、月影の下宿所とは言え住んでいるのは一般人だ。その内、ボロも出るだろう。怪しまれない程度に、じっくりと腰をすえて観察をしていこうと、陽は結論付けた。
「後、もう一人、新しい入居者がいます」
発されたその言葉に、陽は「え」と小さく声をあげて顔を上げた。
松風と雛も初耳だったのか驚いたように顔を上げたのが、視界の端に映る。
競争率の高いエデンに同時に二人も入居するなんてありえるのだろうか。
と言っても、実際にあるのだから否定は出来ない。
しかし、初耳だったらしい松風と雛と違って他の2人は平然としていると言う事は、そのことを知っていたらしい。なぜ黙っていたのか、陽はそこが気になった。
――ええ、あなたも驚く事でしょう
そして、あの時の台詞は、この事だったのだと今になって気付く。
離れにいたのは、客ではなく入居者だったのだ。これで、あの時の笑みの意味を理解できた。
(だからって、秘密にしてた理由にはならないっすよね)
こんな隠され方をしたら余計に気になって仕方がない。
「もう入ってきても良いですよ」
初深の声に、閉ざされていた扉が音を立てて開いた。
まず足が出される。一歩ニ歩、そこで相手の全身が視界に映される。
引き締まった足首、腰。丸びを帯びた肩。そして、さらりと流れる黒い髪。ぷっくらと膨らんだ唇。黒真珠のような瞳。
ガタンッ!!
突っ込みを入れようと思っていた陽は、すぐ傍で聞こえた椅子が倒れる音に反射的に視線をそちらに引っ張られた。
テーブルに両手を着き、立ち上がった姿の松風の姿があった。
その表情にありありと驚きの色が現れていた。言葉にするなら、なんでお前がここにいるんだといった感じだろう。
「っ……ゆ、うか…?」
その問いかけに相手は彼に視線をやった。しかし、それも一瞥だけで、すぐに逸らした。その態度に松風は辛そうに顔を顰めた。己の胸元を掴んで、ついと視線逸らす。その状況を陽は呆然とした面持ちで見ていた。
まず状況整理をしよう。陽は、そう思い頭を働かせる。
もう一人の入居者がいる。それは目の前にいる人で、どこからどう見ても女性である。これで男性だとしたらかなりのショックだ……個人的感情は置いといて。そして、松風とその女性は知り合いのようである。いや、先ほどの様子からして碧と朱夏と言う人とも知り合いと決めていいだろう。
(女人禁制とも言えるこのエデンに住めるという事は、月影の関係者なのか?)
それならば、彼らと彼女が面識があったとしてもおかしくはない。となると、少なからず月影の社長を知っている人間であろう。彼女の身辺を洗えば自ずと何かが見えてくるかもしれない。
まさか入居一日目で、こんな大きな手がかりに出会うとは思っていなかった。まるで雲を掴むかのような話だったのに、こんなに簡単でいいのだろうかと逆に不安になってしまう。
「松風、座りなさい」
初深の言葉に、松風は のろのろとした動きでそれに従った。
覇気の見られない彼の様子に雛が不安そうな面持ちで彼を見やっていた。
「さて、話を戻して。紹介しましょう。今日からここに住む事になった神嶌有花さんです。彼女には、エデンのお手伝いをしていただくことになりました」
「……よろしくお願いします」
発された声も期待を裏切らなく凛と澄んでいて心地の良いものだった。
「では、有花は陽君のテーブルへどうぞ。新人同士の方が話しやすいでしょう?」
初深の発言に、陽は「え、俺?」と驚きの表情を浮かべながら呟いた。けれども、有花は不服はないらしく小さく頷くと、陽の傍に歩み寄り向かいの席に座り込んだ。その際に目が合いニコリと笑みを浮かべられたので、陽もつられて笑みを浮かべ返した。
「それでは、そろそろ夕食に致しましょう」
そんな一連の遣り取りの後、初深は食事の開始の挨拶を告げた。
「……私の顔、そんなに面白いですか?」
しばらく経った後、目の前にいた彼女が徐に俺に声を掛けてきた。
その声に「え」と驚きの声を発した。自分は、彼女に声を掛けられるほど見つめていたのだろうかと思うと恥ずかしさが表に出てくる。
「す、すみませんっ」
そんな様子の俺に彼女は可笑しそうにクスリと笑みを漏らした。
「いえ、悪気がないのは分かっているから。同じ住人になるんだから、気にせずに声を掛けてくれて良いよ」
「あ、本当なんすよね? あなたが、ここに住むのって」
「ええ。何か不都合でも?」
「いや、そう言う訳じゃないっす。ただ、ここは男性しか入れないって聞いてたんで……」
「私が女じゃないかどうか疑ってた、とか?」
「違うっすよ! だって、あなたは何処からどう見ても女性っす! だから、えーと、なんて言えば……」
なんと答えれば傷付けずに済むのか分からず曖昧な言葉しか出てこない。それが逆に焦りとなり、うまく言葉に出来なかった。
すると、彼女は突然クスクスと笑いだした。
その様子に、俺は思わず呆けてしまう。なぜ彼女が笑い出したのか分からなかったのだ。
「っ、ああ、ごめんなさい。笑ってしまって」
俺の呆然とした様子に気付いた彼女は、笑い声を引っ込めて謝罪の言葉を紡いだ。
「いえ、別に怒ってないっすから」
「そう? なら良かったわ……ねえ、貴方のこと、陽と呼んでも良い? その代わりに私のことも好きに呼んで良いわ」
「え? あ、別に構わないっすよ。えーと……有花?」
実は、彼女の呼び方について悩んでいたのだ。有花さんと呼ぶのが、差しさわりないのだろうと思っていたが、向こうがこちらを名前で呼び捨てにしているので、さすがに名字呼びするのは、どうかと思った。しかし、有花と呼び捨てにするほど仲が良い訳でもない。何せ今が初対面だ。だが、相手が呼び捨てにしているのに、こちらが他人行儀では尚更失礼な気がした。
だから、そう呼びかけたのだ。
すると、彼女は悲しげな笑みを浮かべた。
「……変わらないのね」
「え?」
バンッ!!
呟かれた言葉の意味を尋ねようとしたところで、何かが激しく当たる音が食堂内に響いた。
音のした方へ視線を向けると睨みつけるような視線でこちらを見ている雛が居た。先ほどの音は、机を叩いた時に発された音なのだろう。
「有花さん。いい加減にしてよ!」
先ほどとは違う殺気の篭もった視線に、俺は竦みあがりそうになった。