十三.恋敵宣言
十三.恋敵宣言
松風視点 ...
「良く聞けや。俺は、有花のことが好きや」
言われた言葉に俺は、かなり驚いた。
どうしてだと、問い詰めたい気持ちがあった。先ほどの自分の告白を朱夏は聞いていたはずだ。それなのに、どうして今そんな事を言うのか。
やりきれない気持ちが溢れ、松風はそれを押さえ込むようにギュッと手のひらを握った。
◇
「朱夏さん!」
松風は、目の前を歩く男を呼び止めた。
朱夏は、その呼びかけに足を止めて振り返る。
「なんや?」
「何って……さっきの事、本当なのか? 有花の事が、好きだって…」
聞きたかったのは、その事だ。お互い、この2年間、その話題を出した事もなければ恋の話などしたこともない。
だからこそ松風は驚いた。けれども、どこかでそれを理解している自分が居るのも確かだった。考えてみれば、有花は朱夏の知り合いだった。過去に何度も朱夏の恋人というものを見てきたが、厨房にまで連れてきたのは後にも先にも彼女だけだった。
その時点で、特別だったと考えれば辻褄が合う。
「ホンマや、って言うたら、どうすんねん?」
言われた言葉に、ハッと顔を上げた。
朱夏は、怒る訳でもなく、ただジッとこちらを見つめていた。
「俺には勝たれへん、だから、身を引きますとでも言うんか?」
「言う訳ねぇだろ! 俺は、あんたがライバルだろうと負けねぇよ!」
そう告げると、朱夏は苦い笑みを浮かべた。
「……その言葉、忘れたらあかんで。この先、何があっても、あいつの事、嫌いになったるな」
その言葉に、松風は訝しげに眉根を寄せた。
この人は、どうして、こんな事を言うのだろう。まるで、何かを知っている。いや、知ってて言ってるんだ。
なぜだか壁を感じた。朱夏さんには分かる事なのに俺には分からない事が多すぎる。
「分っかんねぇ…俺らの事知ってて、それでも、こうして接して……それなのに、嫌ってくれとか言うし……分かんねぇ事だらけだ」
「有花は、月やと俺は思うてる」
「月?」
「手を伸ばしても届かん、追いかけても、遠のいていく。それやのに、暗闇の中、俺達の足元を照らしてくれる。あいつの優しさは、そういう分かりにくいもんや。……そやから、俺は、このままあいつを雲の中に隠してしまいたくないんや」
そう告げた朱夏の表情は、何処か寂しそうだった。
その表情があの時と被った。
2年前、有花がいなくなった時の訳を話したあの時と、今の朱夏の表情は、同じだ。
まるで、月に帰った輝夜姫を想う帝のような寂しさが、その顔に浮かんでいる。
「なあ、あいつは、月影の何なんだよ」
「それを知って、お前は後悔せんか?」
「どの道、後悔するなら、今のうちに聞いといた方がいいだろうが」
決して、心地よい答えが得られるなどとは、松風も思っていない。あの時の出来事を思い出しても最悪の予想しか出来ないのだ。
それでも知っておくべきなのだと、松風は思った。
少しでも有花のことを知っておきたい。朱夏よりも、いや、誰よりも有花との距離を埋めたいのだ。
「……花筺や」
朱夏は、ポツリと呟いた。その言葉に松風は眉を顰めた。
花筺という呼び名は、エデンに来て間もない頃に誰かから聞いた言葉だった。
俺たちのような人間の対となりえる女性の呼称である。実際に見たこともないので信憑性の欠片もない胡散臭い話だと信じていなかった。
けれども、2年前に有花と出会ってからは、否定できない話だと思うようになった。
冷静沈着であるはずのあの男が、あれほど怒る理由は、彼女が月影怜の花筺であるからだと考えた方が自然である。
「あの男……花筺の存在を隠していやがったのか」
「怜にとって有花は、なくてはならん存在なんや。本来なら片時も傍から離したない思うてる。他の男にも取られたない。有花が他の男に行くのすら許さへん。独占欲の塊みたいな男や」
「……最悪じゃねぇかよ」
朱夏の言葉を聞きながら松風は、2年前のあの時を思い出していた。
あの時の怜の瞳を、だ。
酷く残忍だった。燃えるというよりも冷たい氷河期のような瞳。松風を見つめるその瞳の奥は、凄まじいほどの殺気に満ちていた。それなのに、有花を見つめた時のそれは全く違って熱かった。
あれが、同じ男の瞳なのかと思うほどだった。
けれども、あの瞳を見れば怜が有花を愛しているのだと理解するのには十分だった。
この2年の間、有花がどうしていたのか、嫌でも気付かされる。きっと、それこそ聞くべき内容ではないと思う。それでも、有花は、どうしていたのかと、気になるのだ。
「朱夏さんは、知ってるのか? この2年、あいつがどう過ごしていたか」
だから、松風は素直に聞いた。
すると、朱夏は、その質問に眉を顰める。
「お前、それ意地悪で聞いてるんか?」
「意地悪? なんだよ、それ」
「……お前が怜と遭遇した場所、どこやったか忘れたんか? あそこは俺の店やで? 俺も関ってたってことは、勘付いてるはずや。俺もこの2年、さっぱり連絡とれんかったんやからな」
そう言われて、やっと気付いた。
連絡を取れていたならば、何かしらの報告くらいあったかもしれない。朱夏が、故意に伝えなかったとも考えられるが、黙っておくほど朱夏が非人情な男ではないと、彼と仕事を共にしてきた松風は知っている。
「まあ、それでも、大体想像はつくけどな」
バツの悪そうな表情を浮かべた松風に、朱夏は微苦笑を浮かべて言葉を続けた。
「花筺の役目は、相手の傍に居る事や。となれば、有花は、一歩も外に出してもらえんかったやろな。ある意味、軟禁に近い状態やったと、俺は思うてる」
「それって、犯罪じゃねぇかよ! そんな、人の権利を剥奪するような事していいのかよ?」
「それが、月影のやり方や。俺らがエエ例やん。こんな山奥で、人目がほとんどないような館に住んでるし」
「っ! それは……仕方ねぇだろ」
そうだ。俺らの場合は、事情が違う。こうして、エデンに居なければならない理由がある。無理矢理じゃない。此処にしかいられないから、いるのだ。
「まあ、そうやな」
「つーか、そんなこと話してるんじゃねぇよ。なら、どうして、あいつは此処にいるんだ? これも、あの男の策略か何かなのか?」
「いいや。むしろ、これは、怜にとっては想定外の事やった。どちらかって言うと、これは、有花の策略や」
思わぬ人物の名が出てきて、松風は、朱夏を凝視した。
「有花? なんで、あいつが?」
「有花は、俺らに嫌われたいんや」
「嫌われたい? そういや、さっきもそんなこと言ってたよな。俺たちに嫌われて、一体、あいつに何の得があるんだよ?」
「得なんて、ある訳ないやろ。そんな事したかて、余計に辛くなるだけや。それやのに……」
「まだ、いたのか」
朱夏の言葉に被る形で、別の声が背後から聞こえた。
松風が振り返るとそこには、碧が立っていた。有花への用事を早々に終えたのだろう。
碧は松風を一瞥すると、視線を朱夏へと向けた。
「ほんま、あんたは、いっつもタイミング悪いな」
「俺のせいではない。廊下の真ん中にいれば、嫌でも目に付く」
「そら、すんません」
少しも申し訳ない気持ちの篭もっていないそれに、碧は眉を顰めた。
しかし、気にしていないのか、碧は無言のままだった。そして、彼らを追い抜く為に足を進める。
「……あまり余計な事はするな。追い詰めるだけだ」
「!?」
去り際に碧はポツリと、朱夏に呟いた。その言葉に、朱夏は振り返って視線を碧へ向けた。けれども、既に彼の背は離れた所にあり、呼び止めることも、その表情を窺う事も出来なかった。
「あいつは、ホンマに訳分からんやっちゃな……」
「朱夏さん?」
朱夏の様子に、松風は訝しげな表情を浮かべて彼の名を呼んだ。
すると、朱夏は、はぁと溜息を吐いた後、肩をすくめて視線をこちらに向けた。
「邪魔入って、気ぃ削がれたわ。とにかく、俺が言いたいんは、『有花を見捨てるな』ってことや。後は、ちゃんと雛にあの誤解を解いときや?」
「……分かってる」
本当は、まだ聞きたい事が山ほどあった。けれども、今は訊ねても欲しい答えが得られないだろうと悟り、素直に頷いた。
それに、雛にきちんと説明をしておかなければならない。
きっと、あいつは有花のことを誤解している。酷い女だと思っているのだろう。
例え、そうだとしても、好意を寄せているのは俺の方だ。有花を責める謂れはない。
そもそも、酷い女だと言うなら、あんな風に自分を悪者に見せてまで庇うはずがないのだ。
「何、考えてんだよ」
何か考えがあって怜を丸め込んでまで、ここに住むことを決めたのだろう。
けれども、醜い男は大嫌いだと言って尚、ここに住むほどの理由があるだろうか。
ますます彼女の考える事は分からない。
けれども、この先、決して自分は、有花を放っておく事が出来はしないだろう。
入居者が増えたその日。
新たな決意を秘めた人間が、増えた事だけは確かであった。




