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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第五十七話 飾られた部屋

第五十七話 飾られた部屋

 最初に戻ってきたのは、匂いだった。

 甘い。

 苦い。

 重い。

 鼻の奥に残った薬の匂いが、意識の底をゆっくり揺らしている。

 次に戻ってきたのは、身体の感覚だった。

 手首が痛い。

 背中が重い。

 頭の奥が鈍く痺れている。

 俺は目を開けようとした。

 まぶたが重い。

 何度か瞬きをして、ようやく視界が形を取り始める。

 知らない天井だった。

 白い石造りではない。

 木の梁。

 磨かれた天井板。

 壁には薄い金色の装飾が走っている。

 部屋は、妙に整っていた。

 薄い布のカーテン。

 香炉のような小さな置物。

 壁際の棚には、飾り皿と花瓶。

 窓はあるが、外側に鉄格子がはまっている。

 扉は一つ。

 厚い木製で、内側に鍵穴は見えない。

 安い倉庫ではない。

 貴族の別邸。

 もしくは、誰かが金をかけて借りた部屋。

 そこまで見て、記憶が一気に戻った。

 商会帰り。

 塞がれた表通り。

 静かすぎる細道。

 前後の男。

 白い布。

 薬の匂い。

 俺は反射的に身体を起こそうとした。


「っ……」


 動かない。

 両手首が椅子の後ろで縛られていた。

 足も、椅子の脚に軽く固定されている。

 きつく縛り上げられているわけではない。

 痛めつけるための拘束ではない。

 ただ、逃げられない程度に丁寧に動きを封じられている。

 その丁寧さが、逆に気持ち悪かった。

 剣はない。

 腰の重みもない。

 荷物もない。

 制服は乱れているが、破られてはいない。

 髪も、触られた形跡はあるが切られていない。

 顔に傷はつけるな。

 髪も乱すな。

 最後に聞こえた声が、頭の奥で蘇った。


「……最悪」


 声が掠れた。

 薬がまだ残っている。

 舌が重い。

 身体の芯に力が入りにくい。

 魔法は使えない。

 魔力圧も使えない。

 剣もない。

 身体もまともに動かない。

 状況としては、最悪に近い。

 けれど、死んではいない。

 なら、考えろ。

 俺は呼吸を整えた。

 窓。

 鉄格子。

 扉。

 距離。

 足音。

 外の気配。

 扉の外に一人。

 廊下の少し奥に、もう一人。

 話し声はないが、床板の軋み方で分かる。

 見張りがいる。

 俺一人で抜けるのは難しい。

 だが、できることが何もないわけではない。

 手首の拘束を探る。

 縄だ。

 布ではない。

 結び目は指先では触れない位置にある。

 けれど、椅子の背に小さな装飾の角がある。

 こすれば少しずつ緩むかもしれない。

 時間がいる。

 時間を稼げ。

 その時、扉の外で足音が止まった。

 軽いノック。

 返事をする前に、扉が開いた。

 入ってきたのは、ルシェル・ヴァン・オルフェリアだった。

 鮮やかな緑の髪は、いつも通り綺麗に整えられている。

 七三に固めた髪型。

 左目の下の小さなホクロ。

 口元には、いつものようにわずかに上がった微笑。

 学院の制服ではなかった。

 上質な白いシャツに、深緑の上着。

 装飾は控えめだが、生地の良さは一目で分かる。

 彼は扉を閉めると、俺から三歩離れた位置で止まった。

 三歩。

 こんな状況で、まだそれを守るのか。


「目が覚めたんだね、アイリス」


 柔らかい声だった。

 腹の奥が冷える。


「……ルシェル」


「怖がらせたなら、謝るよ」


「怖がらせたなら?」


 俺は喉の痛みを無視して言った。


「薬で眠らせて、縛って、知らない部屋に連れてきておいて?」


「そうだね」


 ルシェルは困ったように微笑んだ。


「そこは、僕の配慮が足りなかった」


 配慮。

 その言葉が、あまりにも状況と噛み合っていない。


「これ、拉致だよ」


「君がそう呼ぶなら、そうなのだろうね」


「呼ぶならじゃない。拉致だよ」


「なるほど」


 ルシェルは本気で頷いた。

 怒っていない。

 開き直ってもいない。

 ただ、自分の行為と俺の言葉を、どこか別の場所から眺めているようだった。

 気味が悪い。


「何が目的?」


「話をしたかった」


「学院でできるでしょ」


「できないよ」


 ルシェルの声が、ほんの少しだけ沈んだ。


「学院では、君の周りに目が多すぎる」


「……目?」


「竜殺し」


 その言葉が出た瞬間、部屋の空気が少し変わった気がした。


「乱暴な呼び名だ。粗野で、雑で、君に似合わない」


「私が望んだ名前じゃない」


「分かっている。だからこそ、嫌だった」


 ルシェルは俺を見る。

 いつもの視線だ。

 けれど、近くで見ると余計に分かる。

 俺を見ているのに、俺の意思を見ていない。


「君は、あまりにも多くの目に晒され始めた」


「それで拉致?」


「君を傷つけるつもりはなかった」


「傷つけるつもりがない人は、薬で眠らせたりしない」


「そうかもしれない」


「そうだよ」


 俺は手首を少しだけ動かした。

 縄が椅子の角に当たる。

 まだ切れない。

 だが、少しずつ擦れる。

 会話を続けろ。


「ルシェル、あんたは私をどうしたいの?」


「確かめたかった」


「何を?」


「君が、どう変わっているのか」


 ルシェルの口元が、少しだけ深くなる。


「ワイバーンを墜とした君。竜殺しと呼ばれる君。昨日までの君とは違う君。だが、君自身は変わっていないと言う。その矛盾が、どうしようもなく美しい」


「意味が分からない」


「君はいつもそう言うね」


「本当に分からないからね」


 俺はルシェルの目を見る。

 怒鳴っても、たぶん届かない。

 脅しても無駄だ。

 泣き落としも、意味がない。

 この男は、自分の見ているものを信じている。

 なら、そこを崩すしかない。


「ルシェル」


「何かな」


「私は、あんたの作品じゃない」


 初めて、ルシェルの表情が止まった。

 ほんの一瞬。

 けれど、確かに微笑が固まった。


「作品……」


「そういう目で見てるよ」


「僕は、君を尊重しているつもりだ」


「してない」


 俺は即答した。


「尊重してたら、私の意思を無視してここへ連れてこない」


「それは……」


「私を見たいなら、私の意思も見ろ」


 手首に力を入れる。

 縄が少しだけ軋んだ。


「私がどう呼ばれるか。どう見られるか。どう変わっていくか。それは、私が背負うことだよ。あんたが勝手に閉じ込めていい理由にはならない」


 ルシェルは黙った。

 外の見張りの足音が、少し動いた。

 声は聞こえない。

 俺は続ける。


「あんたは、私が変わるのを怖がってる」


 ルシェルの目が、わずかに揺れた。


「怖がっている、か。君は面白い言い方をするね」


「違う?」


「……違わないのかもしれない」


 小さな声だった。

 その一言で、確信する。

 ルシェルは、俺が誰かに見られることを嫌がっている。

 竜殺しと呼ばれることを嫌がっている。

 そしてたぶん、俺が俺自身の意思で変わっていくことも。


「私は変わるよ」


 俺は言った。


「人間は変わる。昨日できなかったことが、今日少しできるようになる。昨日分からなかったことが、今日少し分かる。傷ついて、失敗して、間違えて、それでも変わる」


 レオスとの訓練。

 ワイバーン戦。

 ネルの変化。

 竜殺しの噂。

 全部が頭をよぎる。


「あんたが見てる未完成な私は、そのまま飾っておけるものじゃない。明日には、また別の形になってる」


 ルシェルの指が、ぴくりと動いた。


「それでも止めたいなら、あんたが見てるのは私じゃない。今この瞬間の、私の残骸だよ」


 ルシェルの微笑が、完全に消えた。

 静かな顔だった。

 綺麗に整った、無表情。

 でも、その奥にあるものが揺れているのは分かった。


「残骸……」


「うん」


「君は、自分の美しさを分かっていない」


「分かってないよ」


 俺は言った。


「でも、分かってないものを、誰かに保管される筋合いもない」


 しばらく沈黙が落ちた。

 部屋の外で、わずかに物音がした。

 見張りの足音が乱れた。

 誰かが近づいている。

 助けか。

 それとも、別の見張りか。

 分からない。

 でも、ルシェルの意識が一瞬だけ扉へ向いた。

 今。

 俺は椅子の角へ手首を強く押しつけた。

 縄が擦れる。

 痛い。

 手首の皮膚が削れる。

 それでも、わずかに緩んだ。

 ルシェルがこちらへ視線を戻す。


「アイリス、無理をしない方がいい」


「無理しないと帰れないでしょ」


「僕は君を傷つけたくない」


「もう傷つけてる」


 その言葉に、ルシェルが息を止めた。

 分かっていなかったのか。

 それとも、分かろうとしていなかったのか。

 俺は低く続ける。


「身体の傷だけが傷じゃない」


 外が騒がしくなる。

 短い声。

 誰かが押し問答しているような音。

 それから、何かが倒れる音。

 ルシェルが扉へ顔を向けた。


「……早いな」


「誰が?」


「君を探す人たちだよ」


 その言い方に、少しだけ違和感があった。

 驚きはある。

 でも、怒りはない。

 まるで、どこかでこうなることも分かっていたみたいだった。


「ルシェル」


「何かな」


「これで終わると思わないで」


 俺は手首を動かしながら言った。


「私を見たいなら、檻の外から見て。私は、あんたの飾りじゃない」


 ルシェルはゆっくりと俺を見る。

 その顔に、いつもの微笑が戻る。

 ただ、さっきまでとは少し違った。

 綺麗なのに、ひびが入っているような笑み。


「檻、か」


 彼は小さく呟いた。


「なら僕は、君を閉じ込めたかったのではなく……君に閉じ込められていたのかもしれないね」


「本気で意味が分からない」


「そうだろうね」


 扉の外で、男の怒鳴り声がした。

 次の瞬間、鋭い声が響く。


「学院教官イザベラ・クロウだ。扉を開けろ」

 イザベラ。

 身体の奥で、張り詰めていたものが少しだけ緩みかけた。

 だが、まだ終わっていない。

 ルシェルは扉の方を見て、それから俺へ向き直った。


「アイリス」


「何」


「君は、僕の思ったよりずっと残酷だ」


「拉致した側が言う台詞じゃないよ」


「そうだね、だが、僕は今まで望んだものを手に入れられなかったことはない」


 ルシェルは、なぜか少しだけ嬉しそうに笑った。

 そして、三歩の距離を保ったまま、静かに手を下ろした。

 扉が、外から強く叩かれた。

 俺はまだ椅子に縛られたまま、ルシェルを睨んでいた。

 薬の痺れは残っている。

 身体は重い。

 手首は痛い。

 それでも、意識ははっきりしていた。

 俺は作品じゃない。

 飾られるものでもない。

 今この瞬間の俺の残骸でもない。

 変わっていく。

 それが生きているということなら、誰にも止めさせない。


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― 新着の感想 ―
誘拐の主犯はルシェルだったんですね。 アイリスに危害を加えることはないかと思ってたんですが、危害を加えていることすら分かってなかったのか。 それにしてもイザベラ先生の救助が素早い。 あらかじめ警戒して…
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