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至高のプロトコル ~『アカシックレコード』と再起動の預言~  作者: 如月妙美


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7/10

第7章:七つの封印とシステム・クラッシュ ——黙示録の警告

7-1:紅蓮のデッドロック

 季節は、逃げ場のない真夏へと到達していた。  高地天文台から戻った二人が目にしたのは、もはや日常の影も形も留めていない、壊れかけた世界の凄惨な末期症状だった。空は不気味なほどに燃え上がるような紅蓮ぐれんに染まり、沈まない夕焼けが数時間も街を焼き続けている。その色は、大気による散乱や夕焼けの波長などという物理現象では到底説明がつかない。それは、演算限界に達した宇宙という名の巨大なディスプレイが、末期の「焼き付き」を起こしているかのような、暴力的なまでの、そして救いのない赤だった。

 湿度は飽和し、空気は粘り気を持って皮膚にまとわりつく。だが、その熱気は生命の息吹によるものではなく、巨大なサーバーファンの排熱のような、乾いた機械的な不快さを伴っていた。大気が酸素を供給する機能を忘れ、ただ熱量を分配するための媒体へと成り下がっている。

 徳永隆明は、汗で不快に張り付いたツイードジャケットを雑踏のゴミ箱へ投げ捨て、ワイシャツの袖を肩まで捲り上げていた。大学生時代の土方仕事で巨大な鉄骨を担ぎ、灼熱のアスファルトを均して鍛え上げた基礎体力。以来三十年以上、一日の欠かしもなく鉄の重みに抗い続け、自らの実存を筋肉という重力に刻み込んできたその逞しい前腕には、絶え間ない緊張と低酸素状態での激闘の名残として、太い血管が怒れる蛇のように浮き出ている。彼は新宿の、パニックと虚無的な沈黙が不気味に混在する雑踏の中に立ち、周囲の異常を冷徹な捕食者のような目で見つめていた。

 街の喧騒を支配しているのは、せみの声だった。だが、それはもはや自然界の音ではない。数千、数万の蝉が一斉に、音程の狂った電子アラームのような、あるいは高負荷のプロセッサが発するコイル鳴きのような一定の周波数で鳴き続けている。時折、その音はデジタル音源のシークミスのように「プチッ」という不快な破裂音とともに途切れ、また同じ一節を、コンマ一秒の狂いもなく不自然に繰り返す。

「……聴けよ、玲子。自然界にこれほど完璧なループは存在しない。これは生物の鳴き声じゃない。音響プログラムが致命的なスタックに陥り、特定の音声バッファを延々とリピート再生しているだけだ。世界の『サウンド』という変数が、固定値に貼り付いてしまったんだよ」

 徳永が顎で指し示した先では、アスファルトの歩道の一部が、市松模様の「Missing Texture」という白紫の不気味な文字列に置き換わっていた。そこを歩こうとしたサラリーマンが、腰のあたりまで地面に沈み込み、まるで底なしの沼にはまったかのように、しかし重力の影響を感じさせない不自然な浮遊感を持って手足を動かし続けている。彼の顔は無表情のままで、口だけが「エラー、エラー」とでも言いたげに、音声のないパクパクとした動きを繰り返している。

「物理演算のコリジョン(衝突判定)が消失しているんだ。このエリアの座標計算は、すでにマスターシステムから優先順位を切り捨てられた。重力の計算リソースさえ、別のクリティカルなプロセス……おそらくは世界の『消去処理』に回されている。世界は、今この瞬間も、重要度の低い周辺部から順にアンロードされているんだよ。今の彼は、ただの座標データと、衝突判定のないポリゴンの塊だ」

 玲子は遮光グラス越しにその光景を見つめ、震える指で、もはやノイズだらけになったタブレットを操作し続けていた。画面には世界各地からの絶望的な報告が、滝のようなスクロールで流れ込んでいる。

「先生……事態は新宿だけではありません。ロンドンでは時間が局所的に逆行し、人々が若返りながら赤子となり、最後には受精卵にさえ戻らずに、存在した事実ごと消滅したという報告が上がっています。モスクワでは光の屈折率という定数が狂い、街全体が万華鏡のような鏡合わせの迷宮と化しました。そこに入った者は、無限反射の中で自分自身の像に押し潰されて死ぬそうです。これはもう、パッチを当てて済むレベルではありません。完全に、システム全体が『デッドロック』——相互待ちによる処理停止状態に入っています。宇宙という名のOSが、自らの矛盾と計算負荷の重みに耐えきれずフリーズしようとしているんです」

 彼女の美しい黒髪は、乾燥しきった空気が孕む異常な静電気によって不気味に広がり、その表情には、キャリアや理性を越えた、人類という種としての本能的な恐怖が深く刻まれていた。

「デッドロック? いいや、玲子。それは楽観的すぎる。デッドロックなら、誰かがリセットボタンを押せば済む話だ。だが、これは不慮の事故じゃない。意図的な、そして不可逆的なシャットダウン(終了)プロセスだ。管理者は、この宇宙というプロジェクトを『失敗作』としてクローズし始めたんだよ」

 徳永は、ポケットからボロボロになった聖書を取り出した。それは、もはや戦友を呼ぶような、あるいは武器の装弾数を確認するような、無骨で迷いのない手つきだった。その瞳には、崩壊する世界への哀悼よりも、巨大なシステムの終着点を見届け、その急所をアナログな力でハックしようとする狂的な知性の光が宿っていた。


7-2:第一の封印 ——ホワイトアウト・エラ

 二人は、機能不全に陥った都市のパニック……空中で静止した車や、重力の消失で空へと吸い込まれていく噴水の水を避けながら、廃墟と化した大学の地下講義室に身を潜めた。ここは厚い鉄筋コンクリートの壁に囲まれ、現実の「テクスチャ」がまだ辛うじてその密度を保っている、この世界でも数少ない安全なキャッシュ領域だった。  非常用電源の青白いライトが不規則に点滅し、古い空調が死に際の喘ぎのような異音を立てる中、徳永は埃の積もった教卓の上に聖書を広げ、ヨハネの黙示録を開いた。その指先は、砂漠での掘削と連日の限界突破した筋トレによる過負荷により、爪の端から滲んだ血が乾いて固まっていたが、彼はそれを拭うことすらしなかった。

「玲子、黙示録の六章一節だ。……よく聴け。『小羊が第一の封印を解いたとき、私は四つの生き物の一つが、雷のような声で「来なさい」と言うのを聞いた。見ると、白い馬が出てきた』。……一般の信者や、想像力の欠如した神学者は、これを征服や勝利の象徴だと解釈する。あるいは疫病の到来だとな。だが、宇宙のソースコードを覗き見た我々には、別の、より工学的で冷徹な意味が見える」

 徳永は、モニターに映し出された、ノイズとグリッチだらけの衛星画像に目をやった。地球の極点から、不自然なほどに無機質な純白の「壁」が時空を削り取るように押し寄せ、地表のすべてのデータを物理的に一掃しているのが見て取れた。

「これは白い馬などではない。『ホワイトアウト』、つまりメモリの完全消去プロセス(Zero-Fill)だ。創造主は、蓄積し、矛盾しすぎた不整合データを一括フォーマットするために、最初の終了コマンドを実行したんだ。雷のような声というのは、システムが全計算リソースをディスク・クリーンアップとガベージコレクションに投入した際に発生する、ハードウェアの悲鳴だよ。宇宙という巨大なマシンの冷却ファンが、最高回転数で回り続け、軸受が焼き切れる寸前の音だ」

 玲子はタブレットに表示される、地図から冷酷に抹消されていく都市のリストを凝視し、絶望に唇を噛んだ。

「……封印が解かれるたびに、世界を構成するリソースが一つずつ、剥ぎ取られるように遮断されていく。第二の封印、赤い馬は『戦争コンフリクト』。これは国家間の政治的な紛争じゃない。プログラム同士の資源優先権争い、デッドロックによるプロセスの共食い暴走だ。お互いのデータを上書きし合い、世界は情報の血の海に沈む。第三の黒い馬は『飢餓(リソース枯渇)』。エネルギーの保存法則という名の変数が書き換えられ、物質の分子結合を維持するための最小電力すら供給されなくなる。太陽光が熱を持たず、酸素が肺に入っても燃焼しない。世界中の全生命が、エネルギー不足でフリーズ(凍結)するんだ」

「その通りだ。創造主という名の、あまりに傲慢で、同時に疲れ果てたエンジニアは、あまりに複雑になりすぎたこの『人類』という名のプロジェクトを、もはやデバッグすることを諦めたんだ。彼は今、主電源のリセットボタンに手をかけている。だが、一気に電源を落うとデータの整合性が完全に崩れ、再起動リブートすら不可能になる。だから、彼は一つずつ封印——つまり『プロセス・ロック』を丁寧に外し、段階的に、しかし確実にサービスを終了させているんだ。我々人類という名の動的なオブジェクトは、その終了シークエンスにおいて『不要な一時キャッシュ』として、真っ先にデリート対象に指定されているに過ぎない」

 徳永は、懐のスキットルから最後の一滴……喉を焼き切るような安ウイスキーを煽り、吐き捨てるように毒づいた。

「クソ野郎め。あれだけの文明を築かせ、これほどの喜怒哀楽を演算させておきながら、バックアップすら取っていないのか? それとも、我々の数千年の歴史なんてのは、一度実行してバグが出ないか確認したら消すだけの、使い捨てのワンショット・スクリプトだというのか。創造主よ、お前のコードには、被造物に対する慈悲という名のコメントアウト一行すら存在しないのか? お前の書くコードは、あまりに機能主義的で、反吐が出るほど美しくない」

 彼の言葉には、被造物としての純粋な怒りと、同じ「コードを書き、世界を構築する者」としての創造主への激しい蔑みが、筋肉の微細な震えとなって混じっていた。  徳永は教卓を拳で叩いた。その衝撃で、大学の頑強な机が、まるで強度が設定されていないかのように不自然にひしゃげた。

「筋肉が、この世界の『剛性』という変数を上回ったか。……いいぜ、物理法則が先に死ぬなら、こっちの都合のいいように物理を再定義オーバーライドしてやるまでだ」


7-3:カウントダウンの咆哮

 突如、大学の建物全体が、巨大な地震を遥かに凌駕するほどの激しい、および異質な振動に見舞われた。  しかし、その振動には自然界の揺れが持つ周期性が全くなかった。それは一定の周波数で空間の基底そのものが震える、物理現象というよりは、巨大なスピーカーがハウリングを起こし、増幅されたノイズによって世界という膜を物理的に引き裂こうとしているかのような不快な共振だった。耳の奥で、現実が「割れる」音が、ガラスが砕けるような不吉な音響を伴って響いた。

「……来たか。第四の封印だ」

 徳永は、その場から逃げることもせず、むしろその「終わり」を迎え撃つように立ち上がり、壁のコンクリートがピクセル単位で剥がれ落ち、背後の石膏ボードがワイヤーフレームの線へと還元されていくのを凝視した。  窓の外を見上げると、燃えるような紅蓮の空に、巨大な「数字」が浮かび上がっていた。それは数字というよりは、十六進法のヘックスコードが光速に近い速度でカウントダウンされている、天に記された死のログだった。

「先生、あれは何ですか!? 空に、コードが……空が、文字に侵食されていく! 世界の解像度が落ちて、すべてが文字化け(モジバケ)している!」

 玲子は、今や実体を失い、ただの光の残像と化しているタブレットを投げ出し、悲鳴に近い声を上げた。

宇宙システムの終了を告げるプログレスバーだよ。目に見える形でカウンタが表示されているということは、もはや一般ユーザーに対してシステムの健全性を隠蔽エンカプスレートするリソースすら残っていないということだ。管理者は今、なりふり構わず実行プロセスを強制終了(SIGKILL)させている。ヨハネが見た死の馬、青白い馬の正体は、これだったんだな。生命活動という名のプロセスが、管理者権限によって直接デリートされているんだ」

 徳永は、自らの頑強な、鋼の束のような胸板を拳で叩き、筋肉が波打つのを確認した。彼の肉体は、情報の激流による微細な共振を受け、異常なまでの熱を発し始めていた。その熱は、彼がこれまでの人生で積み上げてきた「実在の重み」そのものであり、デジタルな消去プロセスに抗う唯一の熱源だった。

「玲子、最後の場所へ行くぞ。情報の終着点、アカシックレコードのマスターサーバーが置かれている物理的座標……この宇宙の特異点シンギュラリティだ。創造主がシャットダウンの最終入力を完了し、実行キーを叩きつける前に、そのコンソールに私のこの拳……アナログな執念の固まりを叩き込んでやる。物理的な質量こそが、今のこの世界で唯一、計算不能な変数なんだ」

「……先生、そんなことが本当に可能だと思っているんですか? 宇宙という名のプログラムそのものをハックして、神の指を止めるなんて。数式の上では、私たちはゼロに等しい存在なのよ! 創造主の計算リソースの端数にすらなれないわ!」

「いいや、不可能だ。論理的にはな。計算上、我々の勝率は負の無限大だ。そもそも、プログラムの中の変数が、キーボードを叩いている人間を止めるなんて、本来は成立しない理屈だ」

 徳永は不敵に、そしてこの世で最も不遜な、創造主を正面から嘲笑うような笑みを浮かべた。

「だがな、玲子。どんな完璧な、あるいは傲慢なプログラムにも、必ず『タイムアウト』がある。管理者が『はい(Yes)』という実行キーを押す直前の一瞬、システムが応答を待つ空白の数ミリ秒……。その計算不能な隙間スロットに、私のこのアナログな執念と、物理的に鍛え上げられた筋肉の質量をねじ込んでやる。論理回路が追いつけないスピードで、因果律を物理的に殴り飛ばしてやるんだ。計算不能な筋肉の質量が、論理の壁をぶち破り、宇宙の仕様を力ずくで書き換える瞬間を、特等席で見せてやるよ。ついてこい、お嬢様! 君のその高いヒールを脱ぎ捨てて、全速力で走れ!」

 外では、蝉の声が狂ったような超高音に達し、一斉に、そして不気味なほどの完全な無音となって鳴き止んだ。  次の瞬間、世界の色彩が一段階薄れ、街の輪郭が曖昧に融け始めた。遠くのビルが、まるで溶けたロウソクのように歪み、空へと引き伸ばされるように消えていく。  システム・クラッシュの足音が、目に見える絶望となって、二人の足元、床の境界線まで迫っていた。

 徳永は玲子の手を力強く掴んだ。その手は、どんな冷徹な数式よりも熱く、重く、そしてこの崩壊する世界において唯一の、絶対的な確かさを伴っていた。

「行くぞ。……サービス終了後の世界に、新しいログイン画面を強制的に割り込ませてやる。それが、バグとして生まれた我々の、創造主への最初で最後の返礼……『Hello World』の本当の意味だ」

 二人は、壁が文字の海へと溶け落ち、床のテクスチャが消失していく大学の廊下を、光さえも消えつつある出口に向かって走り出した。  背後では、現実という名のテクスチャが、容赦なく、そして静かに、虚空の中へと崩落し続けていた。二人の足音だけが、存在を許可されていない暗闇に、重々しく響き渡っていた。


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