第34話 −怒れる海の復活−
びゅうびゅうと風が吹き荒れ、海は怒り狂い白波を立てている。その影響で木製の古い船はギシギシと軋み、今にも転覆してしまいそうだった。
「ここに来るのはいつぶりかしらね」
荒れ狂った海のど真ん中に佇む一隻の船の上で、女はそう独り言つ。
「久しぶりに外に出れて嬉しそうねぇ」
何者かに向かって楽しげに話す女は、腰掛けていた船端から船内へと降り、ヒールの高い靴をカッカッと高鳴らせながら歩く。
「あの子も帰っちゃったし、私もそろろそ行こうかしら......ん?」
船や波風の音とは別に、遠くからとても小さく途切れ途切れな人の声が聞こえ、それがだんだんと近づいて聞こえてくる。
「何かしら、あれ」
声の聞こえる方へと目を凝らしよく見てみると、今乗っている船よりもだいぶ小さな船がこちらに向かってきているのが見えた。
「あれは...人間...?」
小さな船に乗った人間は、おーい!!と叫びながらこちらに手を振っている。一体なんの目的があってこんな海にいるのか。
「おーい!そこの人ー!!」
ある程度の距離まで近づいてくると、小さな船は減速し止まる。
「こんな所で何してるんですかー?」
「それはこっちのセリフよ。なんでアンタみたいな子供がこんなトコに居んのよ」
船に乗っていたのは予想に反して、まだ少し幼い子供だった。こんな荒れた海に子供が一人で居るなんて、目的がさらに読めなくなる。
「ある人を探しているんですけど...」
「ふ〜ん...っていつからここに!?」
子供はいつの間にか、かけてあった梯子を船端の手すりのある場所まで登ってきていた。
「ハシゴがあったので」
「あっそう...あいにくだけど、私はなんにも見てないわよ」
海が荒れ始めてから人間は皆逃げていった。今この状況でわざわざ海へ出るバカもいない...目の前の子供を除いては。それに正直、この子供の目的なんてどうでもよかった。ここですべきことは達成したのだから、私には関係ない。
「そうですか...じゃあ他をあたりますね」
子供はさりげなく船へと乗り込み、そう言う。言葉と行動が矛盾しているが...
「いや、こんなとこに他の人間がいるわけないでしょ」
そんなくだらない会話をしていると、暗い海の底からとても低く、唸り声ような音がする。それと同時に、波が今まで以上に高く複雑に荒れ始める。
「なに、いまの...」
その音の不気味さに、子供は少し怯えている様子だった。一瞬、ほんの一瞬だけかわいいと思ってしまった。どうかしてる...
「...来るわ」
「え?」
その言葉の直後、海からとてつもなく巨大なヘビのような怪物が、不快な叫び声のような、鳴き声のような声を出しながら現れる。
「ふふっ...あれが太古の昔にこの海を統べていた大悪魔。『エンビュート』よ」
「エンビュート...」
「彼女は、"八つの罪"の一柱。嫉妬を司る悪魔よ」
アルマント·ハー...?嫉妬を司る...?彼女は、とても楽しそうにあの怪物について話しているが、意味が全く理解できない。
「あなたは一体何者なんですか...?」
「ふふ...相手にものを聞くときはまず自分のことから言うものよ。坊や」
女性は不気味な眼差しでこちらを見遣ると、妖しい声でそう言う。
「そっか...僕の名前はリオ。貴女の名前は?」
リオは曇りなき眼で相手を見つめ、少しも疑う素振りを見せずに自身の名前を言う。
「ちょっとは警戒しなさいよね...まぁいいわ、私の名前を教えてあげる。特別よ?」
赤い口紅の塗られた唇にそっと人差し指を当て、クスッといたずらに笑う。
「私の名前は『リリス』よ。また会いましょう...坊や」
女性がそう言うと、今までにないほど大きく船が揺れ、何かに捕まっていないと立っていられないほどだった。
「おい!そこで何してるんだ!!」
突然、背後から聞き覚えのある声がする。
「あ、さっきの人魚男!!」
振り返ってみると、先程まで自身が探し回っていた人物が居た。
「今すぐ陸に戻れ!!ここにいれば死んでしまうぞ!!」
とても焦っている様子で、こちらの話を聞く余裕もないのか、怒ったような口調でそう言われてしまう。
「あなたの手助けをしたくてここまで来たんだ。今更帰るなんてできない!!」
「あれが見えないのか!!」
男は真っ直ぐ、後方へ指をさす。その先を辿って見ると、先ほど見た巨大なヘビのような怪物が暴れている。
「あれはその辺にいる魔物たちとはわけが違うんだぞ!」
「知ってるよ...でもこのまま逃げたらあなたは死ぬかもしれない。もしそうなれば、海に近い国や街は壊されちゃうんでしょ?お願い...!」
男は何かを言おうとして言葉を詰まらせ、押し黙ってしまう。正直、自分が協力したところでなにも変わらない気がするが、ここまで来てしまった以上逃げるわけにもいかない。
「──っわかった...でも俺は君を守る余裕はないぞ」
「大丈夫。僕のことは気にしないで」
「そうか......死なないでくれよ...」
男はとても心配そうな目でこちらを一瞥し、再び海へと戻っていった。
「そういえば、さっきの女性は──って、いない!?」
女性はいつの間にか姿を消していた。船の中を軽く見渡すが、それらしい姿はどこにもなかった。
「何者だったんだ...あの人は......って、こんなことしてる場合じゃない!!」
ゆらゆらと大きく揺れる黒い海を眺め、はっと我に返る。今は、先ほどの女性ではなく目の前の化け物を何とかしなければならないのだ。
「とりあえず、作戦を考えないと...!」




