111/277
発達障害者の日誌111
疲弊の中で得られるものはあるかもしれないけれども、否定という疲弊の中では心を消耗するだけで何もないような気がする。嚙み合わない話だとしてもすり合わせるだけの言葉があれば救われるのだけれども。その言葉すら用意できず心からの罵倒ほど人間というものを乏しめるものはない。
なればどうするかというと、やはり離れるという選択はあっても良いんだよということを自覚していくことだろうか? それとも選択してもいいと教えてあげることだろうか? それがどういう選択はしらないが、結局内面での疲弊や苦悩に相対するのは本人次第なので外部における接点としては。
幸福を与えるものではなく一緒に考えて幸福になればそれでいいような気がする。愛のある人だとかそんなものはありがとうと引き受けて苦しんでるひとがいたらそっと側に動くぐらいの事でいいのかもしれないね。




