EP 6
大人のマリーシア(狡猾さ)。残業を許さない公爵の一撃
ポポロ山のV字渓谷の出口で、死蟲軍の黒い波を食い止めていたフェイトとマンミアさん。
リーザちゃんの『Love & Money』による理不尽なステータスバフを受け、鬼神の如き活躍を見せていた二人だったが、数万という圧倒的な物量の前では、徐々に疲労の色が濃くなり始めていた。
「チィッ……! 斬っても斬っても湧いてきやがる! キリがねぇぞ!」
フェイトが大剣を薙ぎ払いながら毒づく。
「ナツコ様が作ってくださった防衛線がなければ、とっくに突破されていましたわ……!」
マンミアさんのパイルバンカーも、オーバーヒート寸前で赤い蒸気を噴き出している。
私が限界を迎えてへたり込んだ切り株の横を通り過ぎ、静かに前線へと歩みを進めたジルヴェスター様は、スゥッと涼しげな通る声で指示を出した。
「フェイト、マンミア。よく持ちこたえた。……二人とも、後ろへ下がれ」
「公爵の旦那!? でも、ここを開けたら一気に村へ流れ込んじまうぜ!」
「構わん。退け」
一切の反論を許さない、絶対的な司令官の響き。
フェイトとマンミアさんは反射的に動きを止め、私のいる安全地帯まで一気に後退した。
ギギギギギッ……!!
邪魔者が消えたとばかりに、死蟻型と死蜂型の群れが、渓谷の出口から黒い雪崩となって一斉に溢れ出ようとする。
(ああっ、ダメ……! せっかく塞いでいた出口が!)
私が悲鳴を上げそうになった、その時。
ジルヴェスター様は慌てることなく、渓谷の入り口の地面にスッと右手をかざした。
「ナツコ。ビジネスにおいても、軍略においても……最も無駄なコストは『不要な長期戦(残業)』だ。そうだろう?」
彼が軽く地面を踏み鳴らす。
ドゴォォォォンッ!!
その瞬間、ジルヴェスター様が先ほど「天然ボケ」で真っ二つに両断した岩山の、片側の地盤が大きく跳ね上がった。
鏡のように滑らかに切り裂かれていたV字渓谷の断面。その斜面の角度が、闘気による地盤操作によって、急激にすり鉢状へと傾いたのだ。
「ギ、ギギッ!?」
出口へと殺到していた死蟲機たちが、足場を失う。
ガラスのように滑らかな両断の断面。そこに急な傾斜が加わったことで、何万という死蟲機たちが、重力に従ってズルズルとV字渓谷の『一番底』の一点へと滑り落ちていく。
「な、なんだと……!?」
フェイトが目をひん剥いた。
「……マリーシア(戦術的狡猾さ)ですわ!」
私は震える声で叫んだ。
ジルヴェスター様は、自らが引き起こした「地形の破壊」を、瞬時に「敵を密集させるための巨大な罠」として再利用したのだ。
敵が何万いようと関係ない。広範囲に広がられる前に、地形の傾斜を利用して『一つのお弁当箱』に強制的にかき集めてしまったのである。
「さて。これで、無駄な動きをせずに済む」
谷底でグチャグチャに絡み合い、酸や毒針を撒き散らしてパニックに陥っている数万の死蟲機たち。その中心には、露出した不気味な隠し要塞のコアが剥き出しになっている。
ジルヴェスター様は、腰の宝剣をゆっくりと引き抜いた。
先ほどの、山を両断した時のように天を突くほどの派手なオーラはない。
剣身に纏わされた闘気は、極限まで圧縮され、刃の表面を薄い蒼の光膜として覆っているだけだ。
だが、その『静けさ』こそが、異常だった。
周囲の空気が、ピンと張り詰め、温度が急激に下がっていく錯覚に陥る。
「争いは好まん。……そして、愛する女性とのバカンスを邪魔されるのは、もっと好まん」
極めて合理的な、けれど情に厚いB型ヒーローの、無慈悲な宣告。
「一撃で終わらせる。――『覇閃』」
ジルヴェスター様が、下段からスッと、本当にただゴミを払うような最小の動きで、剣を斜めに振り抜いた。
カッ……!!!!
音すらなかった。
極限まで圧縮された蒼き闘気の刃が、谷底に密集した数万の死蟲軍と、その背後にある巨大な要塞のコアを、光の線となって透過した。
一秒。二秒。
時間が止まったかのような静寂。
そして。
ピキッ……パリンッ!
要塞のコアと、数万の死蟲機たちが、まるで脆いガラス細工のように一斉にヒビ割れ――次の瞬間、圧倒的なエネルギーの奔流とともに、音もなく『蒼い灰』となって虚空へサラサラと崩れ去っていった。
「「「…………」」」
爆発音も、被害の拡大もない。
ただ、V字渓谷の底に密集していたすべての敵が、文字通り『蒸発』して消え去った。
余波は完全に計算され尽くしており、私たちのいる広場にも、麓のポポロ村にも、木々の葉一枚すら揺らす風は届いていなかった。
「う、嘘だろ……」
フェイトが、ポキリと折れたポポロ・シガレットを口からこぼし落とした。
「あ、あれだけの軍勢を……たった一振りで、地形ごと消し炭に……? しかも、余波を完璧に殺しきってやがる……」
「これが……ルナミス帝国全軍総司令官、ジルヴェスター・フォン・ヴァルハイト公爵閣下の、真の力……!」
マンミアさんが、畏敬の念に打たれてその場に膝をついた。
リーザちゃんに至っては、あまりのスケールに理解が追いつかず、口をパクパクさせている。
私は、切り株に座ったまま、その広く、逞しい背中から目を離せなかった。
(なんて……なんて、圧倒的なの……)
前世でも今世でも、私は「仕事は自分がやらなければならない」「自分が一番動かなければ現場が回らない」と、常に気を張って生きてきた。
だが、この人は違う。
私が全力で組み上げた防衛線を完璧に理解し、それを最大限に活かす狡猾さ(マリーシア)で敵を追い詰め、最後は誰の真似もできない圧倒的な『実力』で、すべての理不尽をねじ伏せてしまった。
チャキッ……。
ジルヴェスター様が、一切の汚れも刃こぼれもない宝剣を鞘に納める。
「ふむ。チリ一つ残さず片付いたな。……さて、これでようやく、心置きなく慰安旅行の続きができそうだ」
振り返った彼の顔には、先ほどまでの冷徹な司令官の凄みは微塵もない。
ただ、愛する人との休暇を楽しみにしている、少し気の抜けた穏やかな大人の微笑みがあった。
完璧なまでの、オンとオフの切り替え。
その果てしないギャップに、私の心臓が、今まで経験したことのないほどの大きな音を立てて早鐘を打った。
(あぁ……ダメだわ。私、この人の前じゃ、一生『社畜』になんて戻れない)
絶対的な安心感と、頼りがいのある大人の男の余裕。
理屈の鎧を身にまとって生きてきた私の内側で、明確な『熱』が弾けるのを感じる。
それは、尊敬や信頼を超えた、一人の女性としての強烈な恋心だった。
「ナツコ」
ジルヴェスター様が、ゆっくりと私のもとへ歩み寄ってくる。
その優しい声に安堵した瞬間、私の体内でギリギリ繋がっていた緊張の糸が、今度こそ完全にプツリと切れた。
「あ……」
立ち上がろうとした私の足から力が抜け、身体がぐらりと傾く。
だが、冷たい地面にぶつかることはなかった。
私の身体は、鍛え抜かれた力強い両腕によって、フワリと宙に浮き上がっていた。
お読みいただきありがとうございます!
第四章第6話、ジルヴェスター様の本気の戦闘(と大人のマリーシア)が炸裂しました!
ただ力任せに山を吹っ飛ばすのではなく、自分の作った地形を利用して敵を一箇所に集め、被害ゼロで蒸発させる。この「無駄な残業を許さない完璧な効率」こそが、社畜令嬢ナツコの心を撃ち抜く最大のクリティカルヒットとなりました。
そして、ついに緊張の糸が切れて倒れ込むナツコ。
ここからはいよいよ、コメディ&アクションから一転して、極上に甘〜い「ロマンス&ヒーリング」の後半戦へと突入します! B型ヒーローによる極上の癒やし(甘やかし)をお楽しみに!
「公爵様カッコよすぎる!」「一撃で蒸発はヤバい!」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と、ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価いただけますと大変励みになります!




